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だるっぱの呟き  作者: だるっぱ
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西成の銭湯と国宝展

 開催前は成功が疑問視されていた大阪万博ですが、最近のニュースを見ると来場者からの好印象の感想が次々と発信されています。先日、知り合いの女性が万博のパスを購入したと聞いて驚きました。僕も行ってみたいと思いますが、万博よりも行きたい場所があります。それが、リニューアルした大阪市美術館。現在、万博の影響から、大阪、京都、奈良の三都市で国宝展が開催されています。教科書で紹介される有名国宝の数々が、今なら幕の内弁当のように次々と観覧することが出来ました。かなり贅沢。先月は奈良に行ってきたので、今回は大阪に足を運んでみたのです。


 大阪市美術館は、天王寺公園の中にありました。摂津市からは阪急電車から地下鉄にアクセスして、動物園前駅で下車します。この駅の周辺は、北に通天閣がある新世界があり、南はあいりん地区や飛田を擁する西成というかなりディープな土地柄。通勤客に紛れて朝早くから電車に乗った僕は、美術館に行く前に朝風呂を堪能することにしました。日之出湯という銭湯で、以前に朝風呂が最高だと知人から紹介されたことがあって、いつかは味わってみたいと思っていたのです。駅から歩いていくと周辺には、簡易宿舎や減ったとはいえ浮浪者が道で寝ていたりしました。銭湯の目と鼻の先には飛田新地があり、大阪に住んでいながら異国に来たような感慨を味わえます。


 10年以上も前に、全国規模で次々と大浴場が建設されるブームがありました。僕の家の近所にも建設されましたが、その煽りを食らったのが地域でひっそりと営業していた小さな銭湯になります。露天風呂がある大浴場も悪くはないけれど、番台がある小さな銭湯が僕は好きです。地域に密着した銭湯は、地域住民の生活の一部になっていて、特徴的なのが洗濯ができること。日之出湯では三台だったかな? 洗濯機が脱衣場にずらりと並んでいました。そんな特徴を懐かしみながら、ここ日之出湯だけの特徴を発見します。それが、ぶら下がり健康器。筋肉隆々の若いお兄ちゃんが、必死に懸垂をしていました。裸になり風呂に入ると、風呂場で腕たせ伏せをしている別のお兄ちゃんもいます。


 ――へ~。


 ここ日の出湯の特徴なのか、西成界隈の特徴なのかは知りませんが、朝から銭湯がとても賑やかでした。他にも気になった特徴があります。それは、本棚でした。風呂上がりに本が読めるサービスがあるなんて、現代でいうところのネットカフェみたいです。蔵書数は少ないのですが、そのラインナップは中々の骨太。地域柄なのか、トレーニングに関する書籍や将棋に関する書籍が多いのですが、それ以外の書名を少し並べてみます。


「さぶ」山本周五郎

「塩狩峠」三浦綾子

「八甲田山死の彷徨」新田次郎

「しろばんば」井上靖

「ノックの音が」星新一

「野火」大岡昇平

「プリンセス・トヨトミ」万城目学

「日の名残り」カズオ・イシグロ

「ライオンと魔女」C・S・ルイス

「友情」武者小路実篤

「三四郎」夏目漱石


 「プリンセス・トヨトミ」が良い味を出していますが、名著百選に選ばれそうなラインナップでした。風呂だけでなくサウナも堪能した僕は、日の出湯を後にします。商店街を抜けて美術館に向かうのですが、朝から営業している飲み屋がありました。風呂上がりの一杯、という誘惑に駆られます。ただ、朝っぱらから飲んでしまうと、美術館で集中が出来なくなるので、ここは我慢我慢。


 ただ、気になったのは西成区と浪速区の街の雰囲気の違いでした。西成区にある動物園前商店街は、完全なシャッター商店街。国道を越えて新世界のジャンジャン横町に入ると人々が行き交う観光地。見えない壁で遮られているように、人の流れが遮断されていました。とはいっても、ジャンジャン横町だから商売繁盛というわけではありません。将棋で有名な三桂クラブが閉店していました。商売の不振か後継者の不在か、原因は分かりませんが時代の波に飲まれたのは確かでしょう。一抹の寂しさを感じました。


 新世界の東隣に天王寺公園があります。天王寺動物園の真ん中を走る橋を渡っていくと、その先に大阪市美術館が見えてきました。橋を歩いていると、足元から動物園に遠足に来ている子供たちの歓声が聞こえます。美術館の前では開館前だというのに多くの人が並んでいました。僕のその列の最後尾に並びます。入場に小一時間は待たされました。その間、持ってきていた小説を読みます。


 美術館には多くの国宝が陳列されていました。一番の目玉は狩野永徳作「唐獅子図屏風ー右隻」でしょうか。想像よりもはるかにデカい。資料によると縦247.5㎝、横476.2㎝もあります。背が小さかった豊臣秀吉が、狩野永徳に描かせました。狩野常信作の左隻と並べると、10m近い大パノラマ。圧巻です。口を開けて、見上げてしまいました。他にも様々な国宝が陳列されているのですが、僕は聖徳太子に関係するを観てみたい。幾つか紹介してみます。


 まず地味なところから、「銅製船氏王後墓誌」。日本で出土された最古の墓標みたいなものになります。時代は飛鳥時代。実は、古代は墓に埋葬者の名前を残しませんでした。文字を使用していなかったという時代背景もありますが、多分、忌み名と関係していると考えます。目上の者の名を呼ぶことは失礼という風習があり、知られると精神を操られると考えられていました。だから、本当の名前は公言しません。しかし、飛鳥時代の後期になると、大陸の影響から名前を残すようになりました。「銅製船氏王後墓誌」は、発掘された最初の墓誌になります。


 埋葬された船王後は、冠位十二階で序列三位の「大仁」を授かった実力者だそうで、西暦641年に没しました。墓誌は、大阪府柏原市の大和川流域で出土したようです。船氏は渡来人系の氏族で、始祖は第16代百済王・辰斯王の末裔である王辰爾おうしんにになります。彼は蘇我稲目の命で船の賦(税)の記録を行った功績で、船司に任ぜられるとともに、船史姓を与えられました。当時の姓 は「かばね」と読み、その集団の身分や地位を表しています。大陸との外交交渉で活躍した文官でした。


 ところで、船氏の居地である柏原市周辺ですが、当時は非常に重要な地域になります。丁未の乱以前は、お隣の八尾市の周辺は物部一族が弓矢を製作する一大工業地帯でした。その影響から、生駒山の南端で鉄を生成する炉が幾つも築かれます。鉄の生成にはまず原料である鉄が必要ですが、当時は朝鮮半島から輸入していました。大和川は難波と大和を繋ぐ河川であり、貿易の道でもあります。柏原市周辺は、鉄を陸揚げしやすく、生駒山には火を熾すための木材が豊富にありました。丁未の乱以降は、この物部の支配地域を厩戸皇子が引き継ぎます。外交面で活躍した船氏は、皇子の庇護のもとこの柏原市周辺で生活をしていたのでしょう。

 

 次に紹介する品は、「七星剣」と「丙子椒林剣へいししょうりんけん」になります。共に四天王寺が所蔵しており、厩戸皇子が佩刀していたと伝えられています。この二振りは、直刀といって反りがありません。一般的に剣は真っすぐで両刃、刀は片刃になります。剣はその重量で叩き切る、もしくは突いて攻撃を行いますが、日本刀はその鋭利な刃を振り下ろして切りつけます。「七星剣」と「丙子椒林剣」は、その中間に位置しており、真っすぐなのに片刃。長さも共に60㎝オーバーくらいで、日本刀のように長くはありません。とても美しい直刀ですが、戦闘のための武器というよりは貴人が身に着ける装飾品といった印象を受けました。ただ、「丙子椒林剣」に限っては物部守屋の首を、この剣で斬ったとの伝説があります。


 後は、馬具も興味を持って見学しました。厩戸皇子の幼馴染に、鞍作止利くらつくりのとりがいるのですが、彼は馬具を製作する鞍作部の子供でした。皇子は馬に深く関係していたと考えていて、その馬具を作る鞍作部の作業場に足蹴く通っていたと思うのです。止利はその後、馬具から仏像を製作する仏師へと成長していくのですが、そうした鞍作部が製作していた馬具の技術をじっくりと拝見しました。実に見事なものです。ただ単に、馬の鞍部に人が乗れたらよいという仕事ではありません。装飾が煌びやかでした。


 非常に多くの国宝が展示されていたのですが、正直言いまして、途中で疲れてきました。疲れの原因は、人の多さ。ゆっくりと見学ができない。ずっと並んで待たされるのです。仕方がないことですが、国宝を見ているのか、他人の頭の後ろを見ているのか分からなくなってきました。ただ、聖徳太子関連ではないのですが、どうしても拝見したいものがありました。それが「縄文のビーナス」と「火焔型土器」なのです。ただ、いつまでたっても拝見できなくて、終いには展示室の表示に、エピローグの文言が現れました。


 ――おいおい!


 目録に載っているし、展示していると信じてはいるものの、ものすごく不安になりました。本当に見れるのか……と思った矢先に、最後の展示室に鎮座していました。そこは真っ暗な部屋でした、縄文の遺物三点が、白いスポットライトに照らされていました。主役である縄文のビーナスと対面した時、涙が出ました。マジです。まず先に火焔型土器から、その感想を。


 岡本太郎の頭を爆発させた火焔型土器、正に燃えていました。実用性は全く考えていない。渦巻く炎を見事に表現していました。ただ、驚いたのは、それらの炎は不規則ではありません。縦に四つのパーツに分けることが出来るのですが、全て同じ模様で同じ造形。炎の表現は微細で、平坦ではなく膨らみ。中が空洞になっていました。


 ――出来るのか?


 素人ではありますが、ろくろで土を捻ったことがあります。焼いたこともありました。しかし、土で複雑な構造を表現するのは、とても難しい。出来たとしても、火を入れると割れるのです。火炎土器をじっくり観察しましたが、割れてない。というか、この火焔型土器って、出土時点で割れてなかったの? 修復技術が高いのかもしれませんが、滅茶苦茶に綺麗でした。縄文土器の中でも、異彩を放つ火焔型土器。新潟県の十日町市でしか出土されないそうです。オンリーワン。芸術性のみならず技術の高さに感服でした。


 ――この世界は、女神によって生み出された。


 そんなことを想起させる縄文のビーナス。あまりにも可愛くて、連れて帰りたい気持ちにさせられました。もし僕がルパン三世なら、盗んでいたかもしれません。出土される土偶の多くは、手足の何れかが欠損していました。呪術的な医療具として、土偶は使われたと推測されています。ところが、この縄文のビーナスは欠損していません。そりゃ、そうです。この土偶。女神だもん。


 特徴的なのは、デフォルメされたふくよかな臀部。リオのお姉さんたちが憧れるような豊かな盛り上がり。安定した下半身とは対照的に、胸は小柄。頭部の髪の毛は、一見するとヘルメットに見えなくもないですが、これは長い髪の毛を頭の上で巻き上げたヘアースタイル。とっても小顔で鼻が高い。目と口は細いへらでスジを付けただけですが、どこか遠くを見つめているようなアンニュイな表情をしています。


 縄文のビーナスから発せられる神秘的なオーラを、更に神々しくさせているのはその腹部。妊娠していました。このビーナスはこれからお母さんになります。子供を産むという機能は、女性に特有のものでした。男には出来ません。縄文時代の遺物は、この出産をイメージしたものが非常に多い。生命が誕生するということを、とても大切にしていたのでしょう。感慨深い。目に焼き付けるようにして、ガン見しました。変質者のように。


 部屋を出ると、そこは国宝展に関連したイベントショップでした。縄文のビーナスのぬいぐるみや、縄文のビーナスの備前焼が販売されています。一瞬、


 ――欲しい!


と思いましたが、よく見るとディティールがかなり違います。感じなところが表現できていない。似ているんだけど、傍に置いておきたいという気持ちにさせられない。特に、臀部。違うんだよな~。

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