鳥居について
神社にはその土地由来の神が祀られている社殿があります。社殿は神域に守られており、社殿に至るまでは参道が整備されていることが多い。入り口には必ず鳥居があり、くぐる時に「二拝・二拍手・ 一拝」の拝礼が礼儀でした。
年配の方に聞いた話では、参道は「産道」のことで、鳥居は女性がお産において開脚している状態を表しているそうです。そうしたイメージからか、女性のあそこを観音様と言ったりしました。観音様は仏教だから神社とは関係が無いように思えますが、昔は神仏習合の影響でお寺と神社は共存していました。昔の人々は、開脚した女性の向こうに、救いを求めて手を合わせていたのかもしれません。因みに、男性の陰嚢は「お稲荷さん」と言ったりしましたが、こちらには手を合わせたくない。
ただ、観音様にしてもお稲荷さんにしても、これは言葉遊びだと思うのです。ただ、神社からお産をイメージしたのは確かかもしれません。その秘密に迫るために、今回は、僕の浅い見識から鳥居について考えてみたいと思います。
ところで、鳥居はなぜ「鳥」なんでしょうか? ネットで調べても明確な回答が無いのですが、鳥の止まり木だったようです。ただ少ない情報からは、鳥の止まり木と、神域を護る門とがイメージで繋がりません。それよりも、調べながら驚いたことがありました。ウィキペディアから引用します。
「鳥居を立てる風習は、神社の建物がつくられるようになる前から存在した」
つまり、神社よりも鳥居の方が歴史が古いということになります。実は鳥居に似た建設物は、韓国や中国にもありますし、遠くインドにもありました。以前に、グーグルアースでネパールのカトマンズを散策していたら、日本の物とそっくりな真っ赤な鳥居を発見したことがあります。つまり、鳥居の起源は大陸由来で間違いがない。
古墳時代の始まりは、揚子江流域の水田稲作の文化を持った人々が3世紀初頭に日本にやってきたことで始まったと考えていますが、この人々の文化に鳥居があったのではないでしょうか。大和王権の始まりは神武天皇とされています。北九州から神武東征で奈良までやってきて、纏向で前方後円墳の建設を始めました。
最新の研究をまとめた和田晴吾著作「古墳と埴輪」では、天鳥船信仰について語られていました。古墳から出土される埴輪には、船や鳥といったモチーフが多く出土されているようです。要約すると、人が亡くなると他界に赴くと考えられていたのですが、その際、船で川を渡ります。この川を渡る時に、先導してくれるのが鳥でした。鳥は、亡くなった人を他界まで導いてくれる神の使いだと信じられていたようです。神武東征においても八咫烏が登場しますが、古代の人々は空を飛ぶ鳥に対して、人を導くというイメージを抱いていたようです。死後、人を他界へと導いてくれる鳥の為に止まり木を用意した……というのが、鳥居の由来だと僕なりには解釈しました。
ところで、以前に山岳信仰の勉強から縄文時代の世界観をご紹介したことがあります。縄文時代の世界観は海と山という二元的で、海は人が生きる場所、山は死後の世界でありまた生命を生み出す場所と考えられていました。そこから、山の神は女神になったようです。
この縄文的な世界観に、大陸由来の天鳥船信仰がぶつかります。天鳥船信仰における他界とは、黄泉の国になります。山の上ではなく地下。更に、死は穢れたものとされます。縄文時代のアミニズム的な信仰と天鳥船信仰では、死の解釈が違いました。3世紀以降、大和王権が日本を支配していく過程で、縄文的な世界観や思想は大陸の影響を受けていったと考えます。
ただここで面白いのは、縄文的な思想は海と山を往復します。現代でいうところの循環という思想がありました。死んだら終わりではないのです。対して、天鳥船信仰においては他界は黄泉の国でした。埴輪を製作したのも、大王が黄泉の国で生活するための用意なのです。死んだ後も現世と同じような世界があると信じられていました。
そのような古墳の制作と時を同じくして、神社が建設されていきます。その神社において、鳥居と参道が用意されました。神社という神域を女性の体内に見立てたのは、縄文時代のアニミズム的な思想の名残だったのではないでしょうか。素人考えで直感的すぎるのですが、そうだったら面白いなと思いました。
日本は古来より大陸の影響を受け続けてきました。水田稲作、仏教伝来、漢字の輸入、儒教の広がり、黒船……。挙げだしたらキリが無いのですが、ただ注目すべきは、そうした新しい文化をそのままでは受け入れません。取捨選択をして、日本オリジナルに昇華してく特徴がありました。その取捨選択をする基準に、縄文的な思想が意識の奥底で駆動していたのかな……と思ってみたり。
ただ、現代は余りにも自然が遠くなりました。この地球に抱かれて生きているという感覚を感じる機会は少ない。縄文的な意識や思想を、現代の日本から拾い上げるのは難しいのかもしれません。まぁ、縄文だから素晴らしい! と唱えるつもりはないのですが、1万年以上も続いた縄文から学ぶことは多いと思います。




