タイトル未定2025/05/20 13:36
僕が学生の頃は、日本最古の貨幣は「和同開珎」と教えられました。現代は新しい発見から「富本銭」とされています。これは7世紀後半に奈良県の飛鳥で製造された日本最古の公的な銅製の鋳造貨幣でした。このようなお金の特徴は、様々な種類の商品の価値を、単一の価格というスケールで表すことが出来ることです。例えば、林檎一個が200円、レジ打ちの時給が1,100円、大阪から東京までの新幹線を使った電車賃が13,870円、何かしらのセミナーの受講料が一回30,000円といった具合です。
4つの例をあげましたが、それぞれの商品は属性が違いました。林檎は物質、時給は時間、電車賃は移動距離、セミナーは知識を売買しています。属性が全く違うこれらの商品を、価格という単一の物差しで価値を表現する……。よくよく考えるとかなり無茶なことをしていると思うのですが、僕たちはこのお金社会を当たり前に受け入れています。全く属性が違う商品であっても、お金を媒介することで交換することが出来ました。
では、貨幣が無かった古代社会はどうだったのでしょうか? 漁師が釣ってきた魚とお米を交換する時、お互いにどれだけの量を用意すればつり合いが取れるのかが分かりません。お金が無いとかなり不便に感じます。どうしたと思いますか?
お金が無かった古代においても、お金に代わるものはあったようです。貝殻、翡翠、絹織物といったものになります。どれも珍しいものなのでお金の代わりになりました。生鮮食品と比べると、腐らないし、運びやすいし、お金に必要な条件の幾つかを満たしています。しかし、数字的な比較までは出来ません。そうした古代の経済について、どのような流通がなされていたのかをずっと悩んでいました。
しかし、縄文時代を勉強していくと、沖縄で捕れた貝が北海道で発掘されたり、北海道のヒグマの皮が本土で珍重されたりします。つまり、流通はあったわけです。しかも、1万6千年前から、2千年前くらいまでずっと交易がなされてきました。お金なんかがなくても交易は可能だったわけです。ずっと不思議に思っていたのですが、瀬川拓郎著作「縄文の思想」で気付かされました。
――等価交換ではない!
商品の価値を計ろうとする、この考え方そのものが現代的だったのです。縄文時代は、そんなことは考えません。もっと言うと個人で所有するという概念自体が希薄でした。例えば現代であれば、プレミアの限定アイテムが売り出されたりすると、マニアはお金を握りしめて買いに行きます。そうした衝動が無かったということです。では、何が交易を可能にしていたのでしょうか? それはプレゼントだったのです。
アイヌの生活様式を例に挙げますが、狩猟によって獲物を手に入れた場合、その獲物は自分が仕留めたものとは考えません。神様からのプレゼントだと考えました。熊を村に持って帰り、熊を解体して、皆で平等に分け与えました。また、この熊は神様だと考えられていて、皆で食された後、神様の魂は山へと帰っていきます。ここには、神のまえの平等が存在していて、独り占めという概念が介在しません。
因みに、この縄文時代の平等観は、近世に誕生した共産主義的な平等観とは、意味が異なります。水平的な贈与だけでなく、神からの贈与という垂直的な関係性が組み込まれているからです。また、土産に対しては返礼という行為が必要でした。この土産と返礼の相互的な関係性が縄文時代の交易を可能にしていたのです。
縄文人の末裔である漁民に次のようなエピソードがありました。船を住まいとする家船漁民は、自分たちが捕った魚などが金銭で買われることを好みませんでした。陸上の知人に贈り物として与えるのです。その代わり、その返礼として祭事に招待されることは喜びました。そのような知人との関係性を「親戚」と呼んでいたのです。
ここで、縄文時代の経済を深く理解するために、哲学者である柄谷行人の思想をご紹介します。彼は、この世界の構造を「交換様式」で考えました。以下に図を示します。
【交換様式】
B:略取と再分配 | A:互酬
(支配と保護)_| (贈与と返礼)
―――――――――|――――――――→平等
C:商品交換 | D: X
(貨幣と商品)_↓
自由
これまでに説明してきた縄文時代の交換様式はAになります。柄谷氏はAを氏族社会と表現しました。順に、Bであれば国家、Cの場合は資本制社会になります。Dに関しては、彼が求める未来社会Xでして、まだ現出していません。この図から分かることは、それぞれの社会が自由と平等というパラメーターで区分されていることです。
Bの国家は、税を徴収し自由を拘束する代わりに、国民の保護を約束しました。支配と保護が交換されています。Cの資本制社会は、自由ではありますが貧富の格差が増大しました。縄文的な氏族社会は平等でありますが、実は閉ざされた社会になります。個人という概念が希薄で、コミュニティーという閉ざされた人間関係を大切にしました。能力があるものは疎まれ、コミュニティーからはじき出されることがあったようです。ただ、この処置がマイナスに働いたかというと一概には言えません。そのことによって個人の自立と遊動性が生まれ、縄文時代の広範囲な交易に繋がったかもしれないからです。
古代社会において、贈与という思想が社会を駆動していた事実は、僕にとって大きな衝撃でした。飛鳥時代を理解するための、大きなピースを手に入れたと感じています。現代の個人主義的な感性のままなら、大きく見誤っていました。「美」という漢字は、丸々と太った羊を神に供養する姿勢が語源になっています。贈与という行為を、「美しい」と感じた社会。縄文とはそんな時代だったのです。とても勉強になりました。