カイトとまつろわぬ人々
ネット広告で変わった題名の書籍が紹介されていました。井藤一樹著作「カイト地名と縄文遺跡ー謎の関係」。内容も分からず、即購入。一気に読んでしまいました。井藤一樹氏は、学者ではなく在野の研究者になります。ですが、民俗学者の谷川健一氏と交流があり、彼からカイトに関する研究を期待されていました。一見すると地味なテーマに見えます。しかし、僕にとっては飛鳥時代を感じる為に必要な研究内容でした。
「垣内」と書いて「カイト」と読みます。飛鳥時代は音に合わせて漢字を当てはめたので、表記は色々とありました。「貝戸」「開戸」「廻戸」「海道」どれもカイトと読みます。更には、「会津」「開津」「貝津」これらは「カイツ」と読みますが、「カイト」がなまったものだと井藤氏は考えていました。
カイトは、小字の地名になります。民俗学者の柳田国男も関心を示していましたが、深い研究には及んでいません。1889年(明治22年)に市町村を合併する明治の大合併が行われました。これ以降、それまで使われてきた古い地名が統合されていき、小字は番地に置き換わっていきます。それ以前の土地の区画は大字がベースになっており、その記録は平安期の荘園まで遡りました。この大字を更に細かく区割りしたものが小字になります。
小字は数えきれないほどの種類があるのですが、奈良県五條市の小字を拾い上げると、「谷」「平」「迫」「岸」「風呂」「垣内」などがあります。小字の意味は漢字から大体の予測が付きますが、風呂と垣内だけ理解しにくい。井藤氏の説明によると、風呂は当て字になり本来は「森」の意味になります。昔は森のことを「フロ」と呼んだ例がありました。で、問題の垣内になります。
カイトは、東北や薩摩を除いて日本全国に広く分布していました。奈良県は特に多く、公称だけで3,500以上はあります。作者が住む岐阜県でもカイトという小字が多くみられました。こんなにも多く使用された小字なのに、意味が判然としない。カイトは、地域の関係性から次のような特徴がみられました。
①地域結合
②地域の共有山林
③同族集団
④屋敷の一部の名
⑤一区画の屋敷地
⑥屋号
⑦区画された耕地
⑧一区画の原野
ここで井藤氏は、岐阜県におけるカイトの分布について大きな特徴を発見します。それは、縄文遺跡と合わさるようにしてカイトが分布していました。彼はその後、各地の縄文遺跡とカイトの関係性を調べていきます。彼の予想は概ね合っていたのですが、大きく食い違う事例が立ちはだかりました。最もカイトが多い奈良県において、縄文遺跡とカイトの関係性が合わないのです。井藤氏は大きく悩みました。そうした井藤氏のカイトに関する格闘の変遷がドラマチックに展開されていくのですが、ご興味がある方は本書を読んでいただくとして、要点をまとめさせていただきます。
文献的な資料を基にして、井藤氏はカイトの誕生は日本の古代律令制で施工された班田収授法と関係があったと推論しました。班田収受法は、耕作に対する税の仕組みなので戸籍と対で実施されます。ところが、そうした律令制に従わないまつろわぬ人々が一定数存在していました。それが、縄文時代から続く狩猟採取で生活してきた人々になります。
現代の研究では、弥生時代は3,000年前に北九州から始まったとされますが、縄文時代の生活スタイルである狩猟採取で生きる人々が居なくなったわけではありません。平安時代にも鎌倉時代にも、また昭和の初期においても「サンカの人々」として存在していました。そうした狩猟採取で生活する人々のことを、まつろわぬ人と呼びます。従わない人、自由人といった意味になります。
記紀においても、そうしたまつろわぬ人々は、「蝦夷」「熊襲」「土蜘蛛」と表現されていました。彼らから税を搾取するためには、当時の律令制度に従わせる必要があります。つまり、狩猟採取ではなく稲作をさせました。その耕作地してあてがわれたのが「カイト」だと、井藤氏は考えます。奈良県において縄文遺跡とカイトの分布に関係性が無かったのも、奈良県が大和王権の中心地であったからでしょう。
古代の理解を単純化するために、縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代といった時代区分をしますが、実際は地域的にかなりの差がありました。奈良県に「カイト」の小字が多いのも、施行された中心地ということもありますが、それだけまつろわぬ人々が多く生活していたのでしょう。その様子を文献から理解することは出来ません。
僕が考える聖徳太子の物語は10人の主人公を用意したい。手塚治虫の名作「火の鳥」のように、聖徳太子を核にして10人の主人公の生きざまを物語にします。その最初の主人公を「捕鳥部万」にしたい。狩人である彼の生きざまを想像するために、僕は山岳信仰に興味を持ちました。また、山岳信仰を疑似体験するために登山も行ってきました。しかし、それだけではまだイメージが出来ない。そんな中、このカイトに関する書籍に出会います。
飛鳥時代において、大和王権の影響を受けないまつろわぬ人々が生きていた。彼らは、弥生時代から続く神道的な世界観ではなく、縄文的な世界観のなかで生きていたと思うのです。そうした、二つの世界観が並行する飛鳥時代において、第三の世界観である仏教的な思想が聖徳太子を中心として広がっていきます。僕はその違いを、明確に分かりやすく物語として表現してみたい。思想が変遷していく様子を描きたい。
この思想の変遷は、現代も同じです。普通に生きていると、そうした「思想」というものは形として見えないし、感じることもない。特に、自分の思想について考える機会も無いと思います。でも、これからの未来において、とても重要な論点だと僕は考えています。
宮崎駿の「風の谷のナウシカ」は、僕も大好きな作品で、世界中で愛されています。この作品の影響力は計り知れませんが、大きなテーマとして「環境問題」は外せない。このまま文明がすすむと世界は深刻な環境破壊に陥るという危機感を、物語を通じて世界に感じさせました。ひょっとすると、昨今のSDGsブームの引き金になったかもしれない作品だと考えます。
世界には様々な問題が山積しています。環境問題は勿論のこと、戦争も無くなっていません。このような問題の根本的な原因を突き詰めていくとき、僕は思想に辿り着くと考えています。まだ、僕の中で漠然としていますが、この世界を駆動しているのも、自分自身を駆動しているのも思想ではないでしょうか。僕たちが何を信じているのかということは、実は重要な問題だと考えています。




