文章の表現とか――「新幹線大爆破」
嫁さんに勧められて、2025年度版の「新幹線大爆破」を観ました。この作品は、1975年に公開された高倉健主演の「新幹線大爆破」を下地にして、「シン・ゴジラ」の樋口真嗣監督が草彅剛を主演にして制作されたリブート作品になります。いやー、面白かった。
50代になってからの僕は、涙もろくなりました。良い作品に出合えて、その作品とシンクロが出来ると、泣いてしまいます。この作品では冒頭から入ることが出来ました。これから起こるであろう困難に、この誠実な主人公が対面するのかと想像するだけで泣けました。
内容については紹介しませんが、とてもテンポの良い作品でした。製作には、「JR東日本」が協力しており、新幹線を舞台とするアクションシーンは圧巻でした。設定としてハイジャックされた舞台となる新幹線は、時速100kmを下回ると爆発してしまいます。青森を出発したこの新幹線が東京に到着するまでに、乗客を助けなければなりません。新幹線で車掌を務める主人公は勿論のこと、新幹線の運行管理局や、警察や政府が、この絶体絶命のピンチに立ち向かいます。非常にスリリングなノンストップアクションでした。
ただ、そうした手に汗握るアクションシーンと比べると、人間描写は弱かった。この点については、ネット上で多くの方が触れていましたが、137分という限られた時間枠の中では十分に表現した方ではないでしょうか。人間描写の深堀が作品に厚みを与えるのは勿論ですが、中途半端な挿入を行うと作品全体のテンポを損なってしまいます。この作品は、限られた時間による緊張感が面白さを加速させていました。監督は、そのバランスに悩まれたと思います。同じ観るのなら、娯楽作品として気楽に楽しんだ方が良いと思います。言い出したらキリがない。とまー、そんなことを思いつつ、頭の中で映画と小説を比較していました。
人物描写という点でいえば、映画よりも小説の方が表現しやすい。「~思った」と、役者の心をダイレクトに表現できるからです。映画は、映像で表現します。もし、役者が自分の気持ちをセリフで語ってしまったら、それは格好が悪い。雰囲気が台無しです。だから、心の表現を演技でカバーするわけですが、観る人にとってはその演技が理解できない場合もあります。また、ナレーションで役者の心を代弁する方法もありますが、その表現は古すぎる。
その反面、映画の様なスピード感を小説で表現するのは難しい。映像と違って、小説の表現方法は言葉だけなので情報量が少ない。描写に力を入れて書き込むと、それだけテンポが遅くなります。言葉が多くてもスピード感を落とさない技術もあると思いますが、僕にはまだ良く分からない。
この間、白馬岳登山の体験記を書き上げました。登山の体験を文字であらわすというミッションに挑んだわけですが、どこまで上手く書けたのか自分では良く分かりません。何事も研鑽するしかないので、今後も「書く」という作業は続けていきます。聖徳太子の小説を書くと宣言していますが、歴史的な事跡を追いかけるだけでなく、今後は文章表現や物語の構成といった技術に関しても深く理解する必要があります。自分がまだ何も知らないことを実感させられます。




