古墳と死生観
先に言っておきます。フラグではないので。
昨日は、いつもの12kmを走りました。ペースはゆっくりです。走りながらオーディブルを聞きました。書籍は、和田晴吾「古墳と埴輪」になります。2024年に発売された新しい本で、日本列島と中国・朝鮮半島の墳墓を比較しながら、古代の人たちの死生観を探っていきます。圧倒的な量の古墳情報から導き出された考察は、説得力があり非常に参考になりました。中でも古代の死生観として、天鳥船信仰の話は、今後僕が小説を書く上で重要なキーワードでした。
簡単に紹介すると、人が亡くなるとその魂は他界に赴くと考えられていました。他界とは黄泉の国であり、亡くなった人はそこで新たな生活をします。古事記に出てくるイザナギとイザナミの話でも、この黄泉の国は登場しました。この他界へは、渡り鳥に先導されながら、船に乗って赴きます。他界は天上にあり、そこで被葬者が安寧に暮らせるように古墳が建設されました。古来から日本では、亡くなった人は三途の川を渡ると考えられてきました。古い中国に天鳥船信仰の源流が見られることから、この観念は大陸から運ばれたものだと推測することが出来るのです。
もう一つ気になったトピックは、弥生時代の墳墓は方形だったことです。記紀では、天津神と国津神と神を分けています。大陸から渡ってきた天津神が、奈良の桜井市に前方湖円墳の建造を始めたと考えると、それ以前の国津神の墳墓は方形墳だったと推測することが出来ます。国譲り神話では、天津神が国津神である大物主を従えさせますが、国津神の影響力が無くなったわけではありません。崇神天皇の御代では、疫病で国民の半数が無くなったことから、国津神である大物主を祀り大神神社が創建されました。
俯瞰してみると、大和王権とは天津神と国津神が婚姻関係等で合わさったけれども、権力的な綱引きはずっと内包していたのだと思います。その綱引きに変化が現れたのが継体天皇の御代であり、その側近であった蘇我一族が、その後権勢を振るうようになりました。蘇我馬子、用明天皇、推古天皇の墳墓は方墳になります。ここに国津神の影響力が再び現れたと僕は考えるのですが、どうでしょうか? 和田晴吾「古墳と埴輪」では、用明天皇や推古天皇の墳墓が方墳であるとの紹介はあるのですが、その理由についての考察はありませんでした。
しかし、とても面白い。ゆっくり走っているけれど、頭の中は暴走状態。天鳥船信仰をベースにした古墳時代は、仏教の信仰が深まることで終焉を迎えます。止めを刺したのが聖徳太子になるわけですが、その時代の思想的な衝突について、もっとイメージしたい。
白馬岳の登山日が近づいてきました。僕の心の中は、ずっと興奮状態です。昨日は12kmを走りましたが、膝の不調は全くありません。とても軽い。足は仕上がったと思います。今度は、当日まで足を休めます。
――ところで、掃除って好きですか?
僕は嫌いです。とても苦手です。若い頃から、あれこれ作ったり調理したりと、創造的な活動はのめり込みますが、やりっぱなし散らかしっぱなしが、僕のスタンダードでした。ただ、最近は、掃除を意識するようになっています。調理をするときも、作りながら並行して調理器具や食器を洗います。二日前は、風呂場を徹底的に綺麗にしました。昨日は、玄関や寝室を掃除しました。
寝室には布団だけでなく、僕のパソコンと一緒にこれまでに購入してきた本が周りに散らばっています。布団はベランダに干して、シーツは洗濯機で洗い、パソコン周りの要らなくなった沢山の書類は廃棄して、溢れかえった書籍は種類ごとに本棚に収めました。
――ふー。
気持ちが良い。苦手な掃除をする気になったのは、登山が影響しています。必ず帰ってきますが、登山は死の危険があります。万が一のことを考えて、登山保険も掛け捨てで入っています。登山に限ったことではないのですが、自分の死を意識するのは悪いことではないと思います。いつかは必ず訪れます。逃げることは出来ません。死を意識すると、今という時間を大切に生きたいという気持ちにさせられます。縁する人を大切にしたいなという気持ちになります。登山という切っ掛けではありますが、そんなことを感じれてとても新鮮な気持ちです。




