不登校について
先日、大台ヶ原を舞台にしたエピソードをやっとこさアップしました。9月から書き始めたこの体験記は、現在のところ28エピソードで、8万4千字になります。10万字前後で終わるつもりなので、あと少しです。書き始めた当初は、ただの登山体験記だったのですが、途中から僕の回顧録が混ざり始めました。一人で山を歩いていると、色々なことを考えます。その考えていたことの大半は、自分の人生の振り返りでした。滑落して亡くなった従兄のこと、父親と僕の関係、僕と長男との関係。考えてみれば、人生の悩みごとの多くは家族を含めた人間関係がかなりのウェートを占めます。
現在進行形の悩みと言えば、表題にもある様に、息子たちの不登校でした。僕には3人の息子がいますが、3人とも筋金入りの不登校です。長男は大学に行くようになってから生まれ変わったように逞しくなりましたが、次男と三男は現在進行形。今日は、そんな不登校について考えてみたいと思います。
現在、日本には小中学生が910万人いて、不登校児童とカウントされているのは35万人ほど。割合で考えると、おおよそ3.7%になります。ただ、不登校児童に関しては、感覚的にはもっと多いのではないでしょうか。僕の息子たちは、揃いも揃って不登校。該当率100%になります。当初は、かなり悩みました。僕の育て方が悪かったのかと……。
大人が用意した押し付けにも近い学校制度に乗り遅れてはいけないという思い込みが、僕の中にありました。息子が不登校になった時、「落ちこぼれてしまった」と僕は感じました。ただ、子供からすれば失礼な話です。落ちこぼれるように仕向けたのは、大人ではないのか……。最近の僕は、学校に行かない息子に対して、どのような言葉をかければよいのかが分かりません。学校のシステム自体は良く出来ているので、レールに乗ることが出来れば、効率的に勉強することが出来ます。ただ、僕の息子たちに、そんな効率の話をしても全く響きません。
日本の学校制度は、西欧から移入される形で明治時代に確立されました。日本の国民に平等に教育を受けさせる制度は、素晴らしい取り組みになります。そのお陰で、日本から次世代を担う人材が育ち、目まぐるしい発展を遂げてきました。そのことに異論はない。ただ現代においては、学校制度そのものが時代の変化に対応しきれていないというのも事実だと思うのです。
学校制度は、工業製品のように一律にカリキュラムを子供たちに押し付けます。僕が子供だった頃は、そうしたベルトコンベヤー式な勉強環境でも機能していました。そりゃ、一部にはとんでもない不良君もいたけれど、概ね機能していた最たる原因は、情報が少なかったからと考えます。僕たちが子供の頃の情報元って、テレビか雑誌くらいなものでした。
その存在すら知らないことに対して、人は疑問を持つことが出来ません。例えば、井の中の蛙、大海を知らず……という諺があります。世間は広いのに、お前は何も知らない……という意味合いで使われますが、そもそも、井戸しか知らない蛙に、全く情報がない状態で海を想像させるのは無理な話です。何かしらの情報に触れることで、人は初めてその情報に対して思考を開始することが出来ます。
現代の子供たちは、井の中の蛙ではなく、初めから大海に放り込まれています。情報の洪水の中で生きています。この情報が溢れた世界で何が起こったのか。その最たるものが「希望」の喪失だと考えます。テレビやネットのニュースは、スキャンダルや陰鬱な情報で溢れています。物語にしても、陰鬱でサイコパスなもので溢れています。殺人や強姦、戦争や環境破壊、挙げだしたらキリがない。これでは、世界や未来に希望を見いだすことがそもそも出来ない。この世界を作った大人を信用しなくなると思うのです。
理想と現実という二つの概念があります。理想というのは人間が生きていくうえで目指すべき模範であり、現実とは飾りのないありのままの自分。陸上競技に例えれば、ゴール地点とスタート地点と捉えなおすことが出来ます。子供から大人になるという変化は成長になります。理想の大人というイメージは子供たちに、憧れや尊敬またそのように成りたいという願望を抱かせることが出来ます。ところが昨今の情報の洪水から、理想とされる大人の姿を見つけることが難しい。あったとしても、それ以外の雑多な情報に押し流されてしまいます。つまり、スタートしても、ゴールが見えない。これが、「希望」の喪失のメカニズムだと思います。つまるところ、僕たち大人が襟を正せってことなんですが……。
過去においても、そうした不条理は存在していました。ただ、理想だけはあったのです。その理想とは、宗教的な「神」でした。 現代においては、その「神」は姿を変えています。功徳を与えてくれる存在としてだけ機能していると考えます。困ったときの神頼み。ここに宗教的な思想はありません。ただ、この話はとても長くなりそうなので、ここでやめます。
昨日、ランニングをしました。冬山に登るための準備の一環なのですが、このランニングに家で引きこもっている次男と末っ子も参加しました。とても嬉しい。今度、次男と一緒に樹氷を見るために高見山に登る予定です。その登山の為に練習をしようと呼びかけると、次男が興味を持ちました。どんなことでも良いので、関心を持つことは大切です。勉強は幾つになっても出来ます。学校が全てではない。子供の頃に大切なことは、小さなことで良いので成功体験を積ませていくことです。そのことが自信につながります。思い出に残る楽しい登山にしたい。




