リアキャリアと僕の文章のこと
今年に入り、小難しい話ばかりをアップしてきました。大台ヶ原登山の体験記も裏では書いているのですが、終盤に向かうところで足踏みをしています。今日は、最近感じていることをダラダラと書き綴ってみたい。
この間、思い付きで工作をしました。のこぎりで木材を切り落として、電動ドリルでビスを埋め込んで、完成したのはスーパーカブの延長リアキャリアになります。スーパーカブのリアキャリアと言えば、新聞配達で使う四角くてデカいやつを思い出す方もいるかもしれません。僕のスーパーカブは20年前のもので、リトルカブに似ているのですが、カブストリートという製品名になります。リトルカブよりも、タイヤがデカい。リトルカブもストリートも可愛さを目指したのでリアキャリアがとても小さい。
野宿の旅に出るときは、この小さなリアキャリアにサイドバックを載せていました。他にテントや寝袋も積み込むので、結構な荷物量になります。その状態で、長いときは一日に350kmも走りました。走れなくはないんですが、ちょっと窮屈なんですよね。僕は身長が180㎝あります。普通に跨ると、お尻がシートからはみ出してしまいます。これが僕のベストポジション。ところが荷物を積み込むと、座る位置が前に押されてしまう。このちょっと前というのが、長距離のツーリングではかなり堪えた。
で、製作したのが、延長リアキャリアになります。これで荷物の位置を後ろにずらすことが出来るようになりました。このリアキャリアは脱着式で、普段は使いません。野宿の旅に出るときだけ装着します。ちょっと工夫していて、外すと野宿用のローテーブルとして使えます。前から欲しかったんだな~、野宿で使えるテーブル。
車なら積載量に余裕がありますが、スーパーカブの場合はどうしても荷物量が制限されました。この延長リアキャリアを装着すると、座るポジショニングに余裕が出来るだけでなく、ローテーブルとしても使える。それでいて場所を取らない。一石三鳥の優れモノなのです。独りで酔いしれていますが、メチャ嬉しい。今は何かと忙しくしているので、旅行の予定はありませんが、早く試してみたい。
ところで、僕は3種類の文章を並行して書いています。今回のようなエッセイ的な文章と、ワンテーマの論文と、それから小説になります。どれも文字で表現するという意味では同じなのですが、書き手の僕からすれば、取り組みの姿勢が全く違います。その違いについて、少し紹介してみたい。
僕が感じる書くのが難しい順番は、小説、論文、エッセイになります。エッセイは思いつくままに書いているので、非常に気持ちが良い。僕の中では、デザートのような感覚です。読者を意識した場合は、もう少し体裁を考えたりもしますが、それでも気負いなく文章が書けるのは、草原を走っているような気持ち良さがあります。
最近は論文を連投したのですが、論文の難しさは説得力になります。結末に説得力を持たせるためには、前提条件をしっかりと明示しなければなりません。そのうえで、三段論法を基本とする論理展開を、順番を間違えずに積み上げる必要がありました。まるでパズル。でも、書き上げるとスッキリするんですよ。今までモヤモヤとしていたものが、頭の中で晴れ渡るような気持ち良さがあります。
一番難しいのは小説です。小説も論文に似ているところがあって、三段論法ではないのですが、話の前後関係に因果関係を持たせる必要がありました。分かりやすいのは伏線です。伏線は、前もって明示していることで効果を得ることが出来ます。伏線無しで物語が展開されたら、ご都合主義に陥ってしまい読者を困らせてしまいます。
また、小説は同じ文章に見えても伝える目的に種類があります。大きく分けると三つ。キャラクターが置かれた環境を説明するパート、主人公の思考を伝えるパート、会話文のパートになります。読者がストレスなく読めるように配置しないと読んでもらえません。また、イメージを伝えやすくするために比喩表現の使用は大切だと思います。他にも、文章の美しさだとか、色々と気にしなくてはならない箇所が多い。
今朝、微睡ながら、色々と考えていました。朝の微睡って大好物です。普段、発見できなかった事柄を、ふと思いつくことがあります。夢と現実を行ったり来たりしながら、ぼんやりと考えていたのですが、もうそろそろ聖徳太子の小説を書き始める頃かな……と思いました。
僕の中の予定では、僕が60歳に成った時に作品は完成します。それまではじっくりと勉強して、数年は情報を吸収しようと考えていました。ただ、漫然と勉強していても本質が見えていないから上滑りなんですね。分かった風に納得するだけ。具体的に書き始めると、次々と分からないことにぶつかると思います。その分からないことを調べながら、書き続けた方が良いのかなと。実際のところ、勉強は全然足りていません。もう少し全体を俯瞰できるようにしないと、プロットすら組み立てることが出来ません。それはそうなんですが、はやる気持ちもあったりと……。
あと、前々から悩んでいたことなんですが、聖徳太子の小説を、一人称で書くか、三人称で書くか決め切れていませんでした。今日の微睡で決めました。三人称で書きます。一人称の良さが好きなんですが、三人称の方が世界観を表現するときに都合が良い。私小説は一人称で書きますが、歴史ものは三人称で書いた方が無難でしょう。
大台ヶ原を舞台にした小説は、最後まで書き上げます。書き上げたうえで、再度、全体の推敲を行います。この作業だけでたぶん半年は必要でしょう。登山に引っ掛けた僕の自伝小説になりますが、避けて通ることは出来ない。一つの作品として、納得がいくものに仕上げたい。そう考えると、聖徳太子の小説を書き始めるのは、まだ先かな。




