ランニングとアレ
今日は酔っぱらったまま書いています。少し下ネタに脱線することをご理解ください。
今日はランニングをしました。いつもの12kmの万博を回るコースです。スタートが18時だったので、外は真っ暗。寒い冬ということもあり、万博を走られている人は少なかった。いつもは音楽やポッドキャストを聞きながら走るのですが、音楽を聴きながらよりも、自然を感じながら走った方が頭が活性化する……みたいなネット記事を読んだので、今回はイヤホンは付けませんでした。街の喧騒が聞こえる。それは悪くなかった。街と一体化したような感覚になりました。更に良かったことは、ずっと考え事をしていたことです。現在の僕を客観的に見つめることが出来ました。これは良かった。
――なぜ走るのか?
この命題に、ランニングをされている方はどの様に答えるのでしょうか。大会で自己最高のベスト記録を更新する為。ダイエットが目的で少しでも痩せたい。医者から習慣的な運動を勧められたから。走る目的は人それぞれで、色々とあるでしょう。僕の場合は、血液のコレステロール値が増えていたことが直接の切っ掛けですが、それだけではありません。最大の目的は性的なことです。
若い男性には想像が出来なことかもしれませんが、男が50代になると、その、あれですよ。大事なものが起たなくなります。原因は色々とあると思います。性的なことを散々こなしてきたことで、普通の刺激では反応しなかったりします。50代の男性が性的な事件を起こすとき、多くは不倫だったりします。あれって、違う刺激だと元気になったりするからじゃないかな……と思ったりします。
あと物理的な問題で、老化が原因で起たないというのもあります。一時、バイアグラなるものが流行しましたが、あれは薬の作用で強制的にアレを起たせます。僕は試したことはありませんが、年配の人の不倫の話を聞いていると、50代になってからの不倫ではバイアグラにお世話になったそうです。そこまでして不倫をするのか……という疑問が沸きますが、男にとって起つか起たないかというのは、大きな問題になります。
男と女のセックスを考える時、男っていうのは起たないと行為が出来ません。これって大きな問題だと思うのです。以前に僕のことを紹介したことがありますが、僕はEDでした。大事な場面で起たないというのは、男としての自信がなくなります。かなり悩みました。
対して、女性は起たなくても行為が出来ます。女性の立場で考えると、男性から自分を求められた時、女性は「YES」と「NO」の選択肢が与えられます。気がなければ断るし、その男性に好意があれば受け入れます。この相手を受け入れるという姿勢に、女性の「愛」の根源がある様な気がします。
まー、色々ともっともらしいことを書きましたが、要は男っていう生き物は男性を示すなら「起つ」ということが重要なわけです。起たない自分を認めてしまうと。一気に老けてしまいます。「起つ」というメカニズムを考える時、二本の足はとても重要になります。足は第二の心臓と言われており、足の衰えはアレが起つか起たないかに直結するからです。ランニングをすると足の毛細血管が発達して、アレが起つことに貢献します。僕なりの見解ですが、50代60代の男性でランニングをしている方は、その事をよく理解しているのではないかと、実は密かに思っています。
先程、大河ドラマの「光る君へ」が最終回を迎えました。僕にしては珍しく、一話も欠かすことなく、NHKプラスで全編視聴しました。とても面白かった。あの時代は、天皇家の跡継ぎを残すことが、とても重要でした。正妻がいながらも妾を用意するのは、セーフティーネットになります。正妻であろうが妾であろうが、男の子を生むことが重要だったのです。
現代であれば、妾がいるなんてご法度です。慰謝料を払うだけならまだマシで、下手をすると不倫をしたことで地位を失い生きることを否定されます。これは、現代的な価値観になります。
――お前は不倫を肯定するのか!
と怒られそうですが、僕は不倫はしません、嫁さん一筋です。ある意味、EDだったことが功を奏しましたが、もしそうでなければ自信はありません。弱い人間なので。
ただ、僕が飛鳥時代の話を書くとなると、そうした正妻と妾の関係性を理解したうえで話を進めなければなりません。また、正妻と妾の関係にドラマが生まれるとも思っています。自然界で考えると、ボス猿がハーレムを形成するのは、子孫の繁栄を考えると理にかなっています。
ただ、過去と現代を比較するときに大きく違っているのは、何を大事にするのかという核になります。過去は、組織を維持することが正しかった。お家の為に命を投げ出すのは美徳とされたのです。ところが現代は、個人主義にシフトしました。個人の権利を守ることが社会的に求められています。
過去においては、組織を維持するためには「神」という概念が重要でした。神を数える時、一柱、二柱と数えますが、これは亡くなったご先祖様が神となって一族を支える柱になると考えられてきたからだと思われます。
現代においては個人主義が主流なので、「神」の存在は意味が変わりました。なろう系の神なんか象徴的です。酔っぱらっているので、もう書けません。話が、あっちこっちに飛びました。すんません。




