㉖恥ずかしくない
大台ヶ原の最高峰である標高1695mの日出ヶ岳に到着したのが15時半。粟谷小屋から3.5kmの道のりに2時間もかかってしまった。あまりの体力の消耗に展望台の上で座り込んでしまう。気温は低く肌寒い。傾いた太陽の日差しは弱弱しかったが、それでも光を浴びるのが心地良かった。雲のない青い空で、山頂からは伊勢湾を見下ろすことが出来る。登頂できたことの喜びを嚙みしめた。連休だったこともあり、山頂には多くの観光客で賑わっている。ここに来るまでに大杉谷で出会ったのは5人だけ。それに比べると大きな違いだ。
もう少し休んでいたかったが立ち上がる。大台ヶ原の登山口にある今晩の宿屋に向かった。山頂からは2km程の道のりで、ずっと下り坂になる。足を踏み出すと踏ん張りがきかなくて少しよろめいてしまった。ただ、今晩は風呂や食事を楽しむことが出来る。そのことを思うと心がはやった。宿までの道のりは、前回に一度と歩いた道でミヤコザサが生い茂っている。懐かしい気持ちにさせられた。
宿屋に入る前に、上北山村物産店に立ち寄る。明日の下山に備えて行動食を調達するためだ。前回はこのお店でパンとアイスクリームを購入した。パンくらいは残っているだろうと期待していたのだが、残念なことに売り切れ。今回の登山ではエネルギー切れでかなり苦労した。無いわけにはいかない。検討の末、チョコレートを二つ購入した。その時、店の隅っこに立てかけられている木の杖が目に留まる。
登山にトレッキングポールは有用だが、僕は持っていない。今回の登山では落ちている枝を杖代わりにしてみたが、あまりにも重すぎて直ぐに手放してしまった。店に陳列されている杖は2種類。大台ヶ原ブランドのお土産にもなる加工された杖と、加工していない天然の枝そのままの杖。両者は価格に大きな差があった。少しでも安い方が良いので天然木の杖を購入してみる。ただ、丈夫さが気になった。
物産展を出て宿屋に向かう。宿の名前は心・湯治館。白壁に黒い柱が特徴的な洋風の建物。ロビーに入ると、連休ということもあり多くの宿泊客で賑わっていた。僕の前に二組のグループが受付をしている。順番を待っていると、通路の向こうから一人の男性客がやってきて、受付作業をしている女性従業員に問いかけた。
「コーヒーが飲みたいんやけど、お湯はないんかな?」
受付の対応に追われていた女性従業員が、男性客の声に反応する。
「あの、部屋に備え付けのポットがありますが……」
「俺、相部屋なんやけど」
「ああ、相部屋にはありませんね……」
目の前には受付をしている客がいるのに、横から声を掛けられてその女性従業員は対応しきれずに困っていた。尚も男性客は問いかける。
「コーヒーは自分で入れるから、お湯だけが欲しいんや」
「あの……どうしましょう……」
女性従業員は言葉に詰まってしまった。
「分かった。もうええ」
短気にも男性客は背を向けて、奥に消えてしまった。女性従業員は中断していた受付作業に戻る。サービス業において、オペレーションにない突発的な客からの要求はよくある。一連の出来事を見ながら、僕は懐かしい思い出に浸っていた。
今から20年前のこと、僕は大阪市西区新町でフルーツカフェを営んでいた。16席しかない小さなカフェだが、フルーツという特徴がウケて一躍人気店になった。コンセプトは、ランチにフルーツを食べる。定番のフルーツサンドはもちろんのこと、変化球でフルーツちらし寿司やアボカド丼を提供していた。そうしたメニューの中で、店の人気を決定づけたのが看板商品であるフルーツキーマカレーだった。バナナ、林檎、パイナップル、アボカド、キウイ、オレンジといったフルーツを贅沢に使ったカレーで、甘くて辛い。当初はオフィスで働く女性をメインターゲットに考えていたのだが、テレビや雑誌に取り上げられたことでステージが変わった。特にテレビ番組の影響は大きすぎて、毎月何かしらの番組で紹介されていたので店は連日の大賑わい。大阪近郊だけでなく、遠いところでは北海道からも沖縄からも観光のついでにお客様が来店されるようになる。
そんなフルーツカフェだったが、開店してから2年弱で行き詰った。儲け方を知らない、人の雇い方を知らないなど問題は多岐にわたるが、要は僕に経営者としての才がなかった。僕を支えてくれた右腕左腕の従業員が去っていき、店舗の運営が困難になる。苦渋の末、閉店を告知した。すると、馴染みだったお客様たちが挨拶に訪れるようになる。暇だったお店が嘘のように忙しくなった。以前のような活気が戻ってきて、閉店を決意したことを後悔しそうになる。ただ、これは一時的なことだと自分いに言い聞かせた。
来週には閉店するある日のこと。一日の仕事が終わりカウンターの中で後片付けをしていた。皿を洗いながら四角い店内を眺める。濃い茶色で統一したシックな店内は、間接照明に照らされて幻想的な空間を演出していた。店内が暗いのは意味がある。カットされたフルーツは果肉が白い。その白さを強調するために、盛り付ける皿や店内は農家の土臭さをイメージしていた。僕のこだわりを詰め込んだフルーツカフェ。食事をされた多くのお客様が「美味しかったよ」と言ってくれた。その一言に、どれだけ元気づけられたことか……。でも、来週にはこの店を閉じる。たった2年ではあったけれど、目まぐるしかった日々に思いを馳せた。その時、店の前に一台のタクシーが停まった。もう夜の21時になろうとしている。
――こんな時間にお客様だろうか?
手を止めて店のガラス越しに様子を伺っていると、運転手が降りてきた。なんと父親だった。父親はタクシーの運転手をしているが、僕の店にタクシーでやって来たのは初めてだった。慌てて駆け寄り店の自動ドアの電源を入れる。父親を招き入れた。
「どうしたん? こんな時間に……」
僕を見た後、恥ずかしそうに父は目を背けた。視線を店内に移し、グルリと見回す。
「ああ、ちょっと近くまで来たもんやからな。寄ってみたんや」
「カウンターに座ってや。いまコーヒーを淹れるから」
カウンターに戻ると、ポットに水を入れて火にかけた。コーヒー豆を二人分用意してミルにかける。挽かれた豆をドリッパーにセットした。湯が沸いたポットを高く掲げて、ドリップ用の鶴口ポットに移し替える。熱湯に空気を含ませた。父親は、僕がコーヒーを淹れている仕草を見ている。何も語らなかった。
「ミルクと砂糖はどうする?」
父は首を横に振った。
「ブラックでええ」
香り立つコーヒーを父親の前に提供する。父親がコーヒーを飲んだ。目を細めて、ゆっくりと味わっている。僕もカウンターに立ちながらコーヒーを飲んだ。正直なところ、父親の突然の来訪に驚いていた。何を話せばよいのか分からない。若い頃には父親を軽蔑していた時もあったが、あれから時間も経った。当時の父親がどれだけ苦しんでいたのかが、今の僕なら分かる。大阪市内に店を持つために僕は一千万円ほど用意した。自己資金もあったが、結局のところ大半が借金として残ってしまった。父親が背負った借金と比べれば小さいが、それでも大きな金額になる。店を閉めた後の身の振り方はまだ決まっていない。これから借金を返すために働かなければならなかった。
「あんな……」
父親が口を開いた。でも、言い淀んでいる。
「ん、どうしたん?」
父親が僕を見つめた。
「仕事を畳むことは、恥ずかしいことやない。それだけをな、言いたかったんや」
父親なりの励ましだった。
「うん」
素直に頷く。暫くの沈黙の後、コーヒーを飲んだ父親が立ち上がった。
「邪魔したな」
「ううん。そんなことない。来てくれてありがとう」
「がんばれよ」
「うん」
父親がタクシーに乗って去っていった。赤いテールランプを見送る。一週間後、フルーツカフェは閉店した。ゆっくりと休む暇もなく、僕は工場で仕事をするようになる。店を畳んだ後、「人気店やったのに、なんでやめたんや?」と多くの人から質問された。「商売なんかせんかったらよかったのに」とも言われた。商売が軌道に乗らなかったのは、僕に力がなかったから、それは認める。でも、そのことを恥ずかしいとは思わない。開業から廃業に至る一連の出来事から、僕は人生に関する多くのことを学ばせてもらった。結果的に大きな借金が残ったけれども、これは僕の人生の授業料だと思った。
「大変お待たせしました」
女性従業員に声を掛けられる。やっと僕の受付の順番が回ってきた。今晩は相部屋での宿泊になる。女性従業員が宿泊に関する注意事項を説明し始めた。僕は宿泊以外に、明日のお弁当を別に注文する。
「おにぎりになりますが、構いませんか?」
「ええ、それでお願いします」
受付が終わった。女性従業員に請求された金額を払う。相部屋は二階にあった。階段を登り、奥に進む。相部屋に入ると、畳まれた布団が壁際に並べられていた。先客は一人だけ、荷物だけが残されている。多分、先ほどコーヒーを飲むために、受付でお湯を求めた人だろう。コンセントの近くに陣取っていた。スマホが充電されている。僕は一番奥にある角地に荷物を置いた。ここでは、風呂に入る時間と食事の時間が決められている。風呂に入るためには、まだ一時間近く待つ必要があった。畳まれていた布団を広げて横になる。ペラッペラの布団だったが、横になれることが嬉しかった。




