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だるっぱの呟き  作者: だるっぱ
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美しい春画 ―北斎・歌麿、交歓の競艶―

 京都にある細見美術館で「美しい春画 ―北斎・歌麿、交歓の競艶―」が開催されているのを知ったのが先週。開催期間は、9月7日㊏ ~11月24日㊐。今月の末には終わってしまいます。早速、行くことにしました。当初は、電車に乗っていこうかと思ったのですが、僕はあまり電車に乗らない。どうせ行くのなら、やっぱり相棒のスーパーカブかなと思い、グーグルマップを開き駐輪場を探し始めました。


 京都という町はこじんまりとした都市で道が狭い。また、駐車場もそれほど多くない。車での移動は制限がかかるので、一般的には電車とバスを使って移動します。スーパーカブにしてもそれは同じで、行くには行けるけど、到着してからの駐車場に困ります。ただ、50ccのスーパーカブの利点は、原動機付き自転車なので駐輪場に停めることが出来ました。調べてみると、細見美術館の近くにある岡崎公園に無料の駐輪場を見つけます。


 ――ラッキー!


 細見美術館に行く前日まで、スーパーカブで行くつもりだったのです。それなのに、当日に急遽変更してしまいました。その足とは、自転車。大台ヶ原まで登山に行ったお話はこれまでにもご紹介してきましたが、反省として、足の筋力不足を感じていました。ランニングはしていましたが、登山とは使う筋肉が違います。自転車のペダル漕ぎは、階段状の坂道を上る運動と似ています。


 ――自転車での練習は効果があるかも?


 そんな風に考えて、次男が乗っているシティーサイクルに毛が生えたようなロードバイクで京都に行くことにしました。こう見えて若い頃は、自転車小僧だったんです。大阪出発の琵琶イチ――琵琶湖一周のこと――は、何度もチャレンジしてきました。感覚的には、京都に行くくらい楽勝……みたいな気持ちで出発したのですが、これが大間違い。京都……遠かった~。そんでもって、お尻……痛かった~。片道40kmの道のり、ヘロヘロになりながら細見美術館に到着しました。


 細見美術館、二階建てくらいの大きさの茶色い建物なのですが、意外と小柄。小さな美術館だな~というのが、第一印象でした。チケットを購入して受付に行くと、お姉さんから注意事項を言い渡されます。


「写真撮影、それにスマホの操作は厳禁です。また展示室を出られると、再入場は出来ません」


「あっ、はい。分かりました」


 スマホの操作はともかく、美術館から出て再入場したことなんてこれまでになかったので、「妙なことを言う人だ」と、その時は思いました。入り口らしき黒い扉の前に立つと自動で開きます。暗くてこじんまりとした展示室でした。満員とはいかないでも、そこそこの来場者が春画を魅入っています。海外から来られたカップルもちらほらと見受けられました。ただ驚いたのは、半数以上が女性客。ご存じのように春画というのは、江戸時代後期に隆盛を極めた浮世絵ではありますが、男と女の性行為を描写した絵画になります。僕のような男性客のほうが少数派なのです。20代前半くらいの若い女の子のカップルがいました。白髪の凛と背筋が伸びた上品なおばあさんもいました。皆が真剣に見つめているものは、猛り立った男根と、花びらが萎れたような女陰なのです。客観的に、「シュールな世界だな~」と感じ入りました。


 ここ近年、春画の再評価の波が海外から日本に逆輸入しているようです。2021年には、フランスで葛飾北斎の春画「蛸と海女の夢」をテーマにして、国際的なアーティストの作品が集められました。また、2013年には、ロンドンの大英博物館で「大春画展」が開催されます。浮世絵の一ジャンルである春画の多くは海外に流出しており、。ロダン、ロートレック、ピカソ、ゴッホといった近代芸術家に影響を与えていました。今回の細見美術館の展示会でも、海外から22作品が里帰りしているのです。


 今回、初めて実物の春画を鑑賞して思ったことは、エロっぽさがないなということでした。例えば、現代的なエロ本やエロビデオといったものは、自慰行為の対象として愛でられます。ところが春画からは、そうした性的なリビドーが沸き上がってくるようなものを感じません。何故だろうと、考えてみました。


 まず、自慰行為において重要なことは想像力になります。エロ本をおかずにしていたとしても、その画像に興奮しているわけではありません。その画像を通して、想像力が刺激されるから興奮するのです。例えば、女性の陰部がスカートなりで隠れていると、その隠れている部分に集中力が集まります。見たいのに、見えない。そうしたチラリズムに、男は興奮すると考えます。


 そうしたエロの前提条件に立つと、春画はあまりにも見えすぎていました。いや、見えすぎているというよりも、ありえないくらいに大きくて本物以上にリアルな男根からは、滑稽さすら感じます。滑稽という意味では、他人の情事を第三者が隣から覗いている構図の春画が多くありました。葛飾北斎の春画「蛸と海女」をwikiで調べてみてください。春画の最高峰であるこの作品こそ、滑稽の極みになります。蛸が海女を襲っているのですが、その海女がなんとも嬉しそうなのです。また、空白部分にはびっしりと文字が書き込まれているのですが、その内容がまた滑稽。「ズウツズツズツニ、チユツチユチユツ、ズウツズウツ……」と蛸が海女の陰部を舐めている擬音や、「アレ、にくいたこだのう。うフゝゝゝ。ヱゝ、いつそ、アレアレ、おくの、フゝゝゝ」と海女の喘ぎ声が続きます。春画を鑑賞してみて、これは現代の漫画に通じるものだなと思いました。題材は、男と女の性行為になりますが、浮世絵画家はそこから更にひねりを利かせて、作者なりの思いを絵に込めています。


 浮世絵と言えば歌舞伎絵と美人画が有名ですが、これらは大量に刷ることが出来る版画でした。極彩色で描かれた浮世絵は、現代でいうところの雑誌のようなものであり商品として売買されていたのです。そうしたジャンルの一つとして春画もありました。ところが、享保7年(1722年)に施行された享保の改革で、好色本が禁止されてしまいます。禁止されると欲しくなるのは、人間の性。それ以降の春画は、浮世絵師個人に資産家が直接注文するようになります。


 ――春画を求められなければ、一流の浮世絵師とはいえない。


 江戸幕府の改革に従わない春画は、浮世絵師にとって自身の力を試す場になりました。最高の技術でもって制作に取り掛かります。今回の展示で目玉の一つが、春画の最高峰とされた葛飾北斎の「浪千鳥」の肉筆画でした。男と女が絡み合う「浪千鳥」は、名作ではありますが版画になります。その版画を、北斎が筆でもって着色していくのです。同じ絵、同じ構図でありながら、リアル感が違いました。こうした一点ものである幻の名品「肉筆浪千鳥」を、版画と肉筆の対比で楽しめたのは、とても面白い企画でした。今回の展示会では、葛飾北斎だけでなく有名な浮世絵師の作品が70点も出品されていました。


 ――70点?


 こじんまりとした展示室には、とても70点もの作品はありません。一通りの鑑賞を終えて部屋の出口に向かうと、また自動扉になります。出口を抜けると、そこは踊り場でした。階段が下に向かっています。踊り場にある手すりに寄りかかり驚きました。メイド・イン・アビスのように、大きな竪穴が地下に向かって掘られており、その側面に地上階、地下一階、地下二階と展示室が縦に並んでいたのです。向かいには、レストランが併設されていました。土地が狭く、高層建築が建てられない、京都ならではの建築方法です。遊び心があって面白い。受付嬢の「再入場は出来ません」の意味も、やっと理解できました。階下に降りていくという構造上、見学者が再び階段を登ってこられたら混雑します。


 70点もの春画を一気に鑑賞すると、初めは興味があった男根と女陰も正直なところ食傷気味。それよりも、浮世絵としての美しさに目を魅かれました。浮世絵の男女の多くは、着物を着たまま行為に至ります。その衣装や髪飾りが、とてもリアルに描かれていました。色を存分に使って、衣装の模様を丁寧に表現しているのです。人物の線は細いし表情は控えめなのに、とても対照的でした。解説によると、着物を丁寧に描くことで、その人物の社会的地位が推し量れるそうです。そう言えば、下男は下男なりの衣装しか着ていませんでした。


 今回の展覧会で、一つ作品を推すとすれば、喜多川歌麿の「夏夜のたのしみ」になります。横幅が1メートルを超える大きな掛軸でして、展覧会を紹介するチラシでも主役級に紹介されていました。観てもらえれば分かるのですが、喜多川歌麿が描く女性は、とても柔らかくて仕草が自然。まー、春画なので足を大きく広げて陰部をさらけ出してはいるのですが、女性を美しく描きたいという思いが感じられました。いやらしくない。


 あと、当時の人々が男と女の性行為について、どのように考えていたのかということに思いを巡らしてみました。僕の個人的な感想ですが、性行為に対してとても冷静。あるがままに受け入れてる……そのように感じました。このことについて、僕なりに考察してみます。


 性に対して大らかだった江戸時代。性を強く規制したのは明治維新以降でした。列強から西洋の思想が導入されるなかで、女性には貞淑という価値観が移入されます。これはキリスト教の影響でした。キリスト教は性に対して厳格です。自慰行為は認めない、同性愛も認めない、性行為においてオルガズムに至ると悪魔にこの身を乗っ取られると考えられていました。その暗い過去の最たるものが、魔女狩りになります。


 対して、江戸時代は銭湯は混浴だし、稚児を抱える母親は人前であろうと胸を開けて乳をあげます。当時は、子供が生まれても半数以上は育つ前に死んでしまうので、性行為によって子供を作る行為は現代とはその重みが違いました。そうした性行為は、自分勝手に学習することはありません。大人たちが子供たちを集めて、実地で教えるのです。その教えるという行為の延長線上に春画もあったようです。だから、陰部を隠していない。パロディ化はしていますが、性行為を人間生活において重要な事柄として見つめていたのが春画だと考えます。


 見学が終わり細見美術館を出ると、外は快晴の青空でした。今から自転車で大阪に帰ります。片道40km……遠いな~。

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