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だるっぱの呟き  作者: だるっぱ
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⑧更なる刺激を求めて

 東大台のコースを地図で俯瞰してみると、スタート地点であるビジターセンターから大蛇嵓までは山の尾根を伝っていたことが分かる。比較的緩やかで高低差は160m程しかない。道は整備されていてハイキング気分を楽しめるが、シオカラ谷を下りていくとこの高低差が270mに広がる。小山は僕に「ゴロタの道に気をつけろ」と言ってくれたが、実際にそうだった。下り坂に階段といった設備はなく、むき出しの斜面は足が滑りそうだった。積み重なったゴロタの道は、足場の悪さから足首に負担がかかる。転んでしまいそうだ。高低差がある所はロープが用意されている。掴みながら身体全身を使って降りていった。


 子供の頃、アスレチックが好きだったことを思い出す。丸太を組んだの櫓に登り、木から木へと乗り移った。ロープを掴んで空を飛ぶ様は、まるで映画で見たターザンみたい。アスレチックのような遊具ではないけれど、シオカラ谷へ向かう下り坂は、僕に童心を思い出させた。五十を超えたオッサンだというのに、子供のように燥いでしまう。走るようにして降りていった。


 脱線するが、素直に楽しめるって大事なことだと思う。子供の頃は、公園にある小さな滑り台でも十分に楽しめた。ところが大人になっていくと滑り台くらいでは満足できなくなり、遊園地や映画館、更には車でドライブを楽しむなどより強い刺激を求めるようになる。でも、少し考えてみてほしい、心の底から楽しめたのはいつだったのかを。多分、滑り台を楽しんでいた子供の頃が、一番楽しかったのではないだろうか。親もそのことが良く分かっていて、自分の子供が無邪気に笑っている様子を見ると、自分のことのように嬉しくなる。子供の笑顔は、うそ偽りのない素直な感情表現だからだ。とても尊いと思う。


 僕には同い年の仲の良い従兄がいた。僕たちがまだ子供だったころ、京都に住む彼と大阪に住む僕は、両親の仲が良かったこともあり頻繁にお互いの家に遊びに行っていた。中学生になりサイクリング自転車に乗るようになると、お互いに自転車に乗ってそれぞれの家に遊びに行くようになる。京都と大阪は隣接しているとはいえ片道40kmもある。中学生にしては大旅行だ。とても仲が良かった僕たちだが、僕は彼に対して気を遣うことが一つあった。それは、彼は耳が聞こえなかったのだ。


 耳が聞こえる僕の勝手な思い込みかもしれないが、子供の頃の彼の笑顔はとても無邪気だった。誰が言ったのか忘れてしまったが、それは他人からの悪口が聞こえないからだと諭されたことがある。なるほどな~、と納得した。人の心というのは、他人からの一言にとても影響されやすい。自分に対する悪口ならなおさらだ。そうした悪口を聞く機会が少なければ、素直になれるのかもしれい。


 ただそれは子供の頃の話で、彼は反骨心が強い大人に成長した。僕の勝手な想像で申し訳ないのだが、耳が聞こえないというハンデに対して、社会はそれほど優しくない。様々な思いをしてきたはずだ。そんな彼の楽しみは、マツダのサバンナRX-7を乗り回すことだった。RX-7と聞いてニヤリとする方は、きっと車が好きな方だと思う。RX-7に搭載されているローターリーエンジンは、レシプロエンジンと違って少ない排気量でも爆発的なパワーを生み出すことが出来た。彼曰く「アクセルを踏んだら踏んだだけ走る」だそうだ。この頃からスピード狂の兆しが現れる。


 叔母さんから連絡があり、彼の見舞いに行くことがあった。スピードの出しすぎで、RX-7で事故を起こしたのだ。そのことで彼は大怪我を負ってしまう。普通であればこれで懲りる。でも懲りないのが彼だった。HONDAかSUZUKIか忘れてしまったが、次に大型バイクを購入する。ある時、彼と飲みに行ったときに、そのバイクの話になった。彼の話によると、世界最速を狙えるバイクだという。


 ――世界最速!?


 世界という言葉が冠につく話は興味深い。その内容というのが、時速300kmの世界だった。断っておくが、この話は酒の席の話である。本当かどうかは知らない。時速300kmの挑戦は、バイクのスペックだけではなく幾つかの環境条件を整えねばならない。時速300kmという速度は、たった1秒間で83メートルも走ることになる。よそ見どころか一瞬でも集中力を欠いてしまうと壁に激突するだろう。なので、長い直線道路が必要になる。緩やかなカーブであっても、時速300kmの世界では急カーブに変貌する。同じような理由で、車の交通量も少ないに越したことはない。時速100kmで走っている車との時速差だけでも200kmもあるのだ。あっという間に追い抜いてしまう。


 この行為は道路交通法において許される行為ではない。なので、オービスが設置されている区間や、白バイからの追跡は避けたい。そのような条件を鑑みたうえで、彼は和歌山県をスタート地点にした。時間は太陽が昇りはじめた早朝。阪和自動車道のインターチェンジから侵入して大阪に向かう。ナンバープレートは隠しており、ヘルメットのシールドはスモークで顔が見えない。車の交通量が少ないタイミングを見計らってフル加速する。酒の力のせいか、彼はイキイキと語ってくれた。僕も目を丸くしながら、時速300kmの世界を想像しようとする。きっと目も眩むような速さだとは思うが、それよりも彼の無邪気な笑顔が思い出深い。


 スピード狂の従兄は、更なる刺激を空に求める。それがスカイダイビングだった。落下速度は時速300kmには届かないだろうが、体感的な刺激の強さはバイクを上回るのかもしれない。


 ――どこまで突っ走るんだ。


 一緒に酒を酌み交わすたびに、彼の行動に驚いていた。ところが、そんな彼がある時期にスカイダイビングをやめてしまう。やめたどころではない、スピードに対する追及自体をやめてしまったのだ。それ以降、彼が求めた世界は登山。ある意味、最高速とは対極の世界だった。


 脱線しすぎてしまった。兎に角、素直に楽しめるということは幸せなことだと思う。ただその幸せも、慣れてくると更なる刺激を求めてしまうのが難点だ。従兄のように更なるスピードを求めたのは、より大きな刺激でないと楽しめないからだ。似たようなことは世間に往々にしてある。お金を更に儲けようとするのも、競技で更なる強さや速さを求めるのも、若さを保つために美容にお金をかけるのも、原理は似たようなものだと思う。それなのに彼が登山に目覚めたことが、僕には不思議だった。


 シオカラ谷に到着する。美しい渓流に吊り橋がかかっていた。周りには誰も居ない。こんな山奥に僕一人だけしかいない。大きく手を広げて、山の空気を吸った。マイナスイオンが、体の中をめぐる。とても気持ちが良い。山の上からの眺望も良かったけれど、深い山の中も悪くない。吊り橋の上から、渓流を眺める。この山に包まれていることを感じた。


挿絵(By みてみん)

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