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だるっぱの呟き  作者: だるっぱ
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漫画と小説

 今日は、少しマニアックなことで呟きたい。小説の書き方に関する、僕なりの考察になります。最近、ネットで投稿されている異世界物の小説を2万字ほど、前半だけ一気に読んでみました。文章が上手な方で、とても読みやすい。舞台設定も凝っていて、これからの物語の展開が気になります。この作品が初めての執筆だと紹介されていましたが、そうした素人臭さが感じられません。主人公の一人称視点で話が綴られていくのですが、途中から他の登場人物の視点に移ったりと、ネット小説らしい流行りの書き方をされていました。最近は、調べものばかりで小説を読んでいなかったので、新鮮な気持ちで読ませていただきました。ただ、ここまで持ち上げておいて少し気になったことがあるのです。登場人物の多さでした。


 主人公たちは異世界に転生されるのですが、その人数が23人。前半部分で、主人公の行動に沿って一人ひとり登場人物が紹介されていきます。主人公と主人公に関わる登場人物の会話はとても軽妙でセンスを感じたのですが、流石に23人ともなると多すぎて覚えきれません。登場人物の名前とその人となりが、頭の中で一致しないのです。途中で全ての登場人物の一覧が用意されていたので、その一覧をプリントアウトした用紙を横において、その後は読み進めました。


 小説を読み始めるとき、誰しもが最初は抵抗を感じると思います。その世界観がまだ分からないからです。主人公の人となりを理解し始め、ライバルや恋人相手といった主人公を取り巻く世界観が分かり始めると、一気に没入する瞬間があります。そうなったら、もう物語の続きが読みたくて仕方がない。小説と読者との好循環が生まれます。なので、読みやすい小説を意識するのなら、できる限り最初の抵抗は小さくした方がよい。登場人物の人数の多さも抵抗になります。転生した人数は23人でも構わないのですが、最初は主人公と近い関係の方との交流に絞ったドラマを展開して、順次広げていった方が分かりやすいのではないでしょうか。


 この小説を読みながら感じたことがもう一つあります。視点は一人称なのですが、読み味は三人称に近かった。主人公がその世界を俯瞰して、ずっと語っている感覚です。いや、説明しています。一人称なのに主人公の思いや悩みがあまり語られない。主人公は、その世界を紹介することに徹しているのです。僕が感じているニュアンスが伝わっているのか心配ですが、読みながら主人公の心に寄り添うことが出来ないのです。どうしてなんだろうなーと、昨日から考えていました。はたと思い至りました。この作品は、文字で語られた漫画だったのです。漫画のような感覚で、文章が起こされていました。


 漫画は、絵で描写します。小説と比べると、情報量の多さが格段に違います。ヒロインが少し気の強い性格なら、わざわざ説明しなくても気が強そうな表情やポーズを描くことで表現できます。文字を読むのではなく絵を見るだけで、読者はヒロインの人となりを感じることが出来るのです。小説に比べて圧倒的に抵抗が少ない。更に、登場人物が沢山いても、漫画なら描き分けることが出来ます。シーンによっては多くの登場人物を一堂に登場させることで、圧力や迫力を表現することも期待できます。


 しかし、小説の表現は文字だけになります。登場人物を表現する場合、最小の単位は名前になります。もちろん、名前で工夫することは出来ます。鬼瓦権蔵という名前からはとても強そうなイメージが感じられますし、白鳥涼子なら高貴なヒロインをイメージすることが出来ます。しかし登場人物を紹介したいがために、髪の毛がロングヘアでカールがかかっているとか、フリルが付いたドレスを着ているとか、詳細な情報を提供すればするほど、読み手には抵抗が増していきます。そこはバランスが必要だと思うのです。しかし、この作品は、漫画のように丁寧に表現されていました。しかも次々と登場人物が入れ替わるのです。頭の中で整理するのが大変でした。少し大げさに語ってしまいましたが、作品はとても面白かった。文章の実力も申し分なしです。


 どうして、このようなことが気になったかというと、今後、僕が小説を書くときに注意したいからです。小説の書き方には、大きく一人称と三人称があります。僕が使いたいのは一人称になります。ただ、一人称は世界観を表すのが苦手でした。自分の目で見たものしか表現が出来ないからです。この欠点を補った方法が、一人称複数視点になります。語り部が複数人用意されていて、様々な角度から物語の世界を表現することが出来ます。先ほど紹介した作品は一人称複数視点ですし、他にも有名なところでは、「異世界居酒屋のぶ」や「無職転生 〜異世界行ったら本気だす〜」などがあります。僕が過去に書いた拙作「逃げるしかないだろう」も、一人称複数視点でした。


 一人称複数視点で気を付けたいのは、むやみに視点を変えてしまうことです。作者は良かれと思い書いていますが、実際は読者が混乱しています。僕なりには、一つの視点に一つの物語を用意したい。「異世界居酒屋のぶ」は、それがとても上手でした。登場人物ごとの小さな物語が用意されていて、それら沢山の物語が繋がっていくことで、大きな世界観を表現していました。しかも、とてもテンポがよい。


 将来的に聖徳太子の小説を書くにしても、僕は聖徳太子を取り巻く人間一人一人を掘り下げて理解していく必要があります。100人の登場人物を登場させるのなら、100人分の人生を用意する必要があると思うのです。そうした登場人物を絡ませて化学反応を起こしていき、面白い物語を描いてみたい。まだまだ勉強の段階で、書き始めてもいないのですが、そんなことを考えていました。

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