この世界を感じたい
ここ最近の困りごとは、家のトイレが詰まっていることです。完全に詰まっているわけではないので、時間が経てば流れていくのですが、それでも何とかしないといけない。素人なので、スッポンを使えば何とかなると思っていましたが、効果はなし。いよいよ業者に頼むか……と思っていたのですが、請求される金額が怖い。4月は子供たちの学費関係の出費で嫁さんがあたふたしているので、出来れば出費は避けたい。そんな折、お義母さんから家の裏に汚水桝があることを知らされました。
――汚水桝ってご存じですか?
台所やトイレの汚水は下水道を通って公共の施設で処理されるのですが、その下水道に行く手前に汚水桝という中継地点があります。これが汚水桝になります。これまでその存在を知りませんでした。恐る恐る汚水桝蓋を開けてみました。
――臭い!
蓋の縁まで汚水が溜まっています。詰まりの原因は、この奥でした。道理で、スッポンごときじゃ解消できないわけです。やっぱり業者に頼むか……と思ったのですが、ネットで調べてみました。検索すると、水道修理の業者の広告ばかりが上位にあがってきます。多くは、高圧洗浄機を使っての詰まり解消の紹介でした。やっぱり業者に頼むしかないのかな……という気にさせられます。ただ、更に調べていくとホースを使った解消方法も紹介されていました。これなら、僕にも出来そうです。早速、ホームセンターに赴きリール状のホースを買ってきました。
作業方法は、詰まっているとみられる土管方向にホースを伸ばしていき、物理的に詰まっている部分を壊します。やってはみたのですが上手くいきません。昨日は作業を始めたのが夕方ということもあり、暗くなってきたので作業を中断しました。家のトイレは使用禁止です。近所に嫁さんの実家があるので、実家のトイレで用を済ませるように家族には伝えました。本日、再チャレンジになります。
僕は、毎日ではありませんが思ったことを文章にすることが日課のようになっています。今回のトイレ詰まりもそうですし、聖徳太子の話やスーパーカブのこと、更には宗教や哲学といった思想系のことまで、何でも文章にしています。僕のプライベートなことだけでなく、頭の中まで素っ裸。ある意味、露出狂と一緒です。なぜこんなことをしているんだろう……と、ふと思いました。以前に、アインシュタインの言葉を紹介したことがあります。
――すべての宗教、芸術、科学は、同じ一つの木の枝である。
実はここ最近、この言葉がずっと僕の心に突き刺さっています。宗教も芸術も科学も、人間が創造して表現したものになります。自然界にもとからあるものではありません。自然界を写し取った絵画と一緒なのです。宗教は、この世界の構造について演繹的に表現しようとしました。芸術は、この世界の美しさや汚さといった心に感じたことを、歌や絵それに文章といった媒体で表現しようとします。科学は、帰納法的なアプローチでこの世界の理に近づきました。人間っていうのは、この世界を知りたい。そういう生き物なんだと思いました。
僕にとって「書く」という行為は、この世界に爪痕を残すことと同意です。曖昧で不確かでぼんやりとした一日を、はっきりと明確にしたい。書くことは考えることです。書くことでこの世界を感じたい。




