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だるっぱの呟き  作者: だるっぱ
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動画編集後記――変わるということ

 以前に、動画編集にかかりっきりになっていることを紹介しました。全部で3本あるうちの1本は大学生の男の子にお願いし、残りの2本は末っ子のレントと一緒に編集作業を行いました。この動画の作成は、計画の発表から数えると約2カ月間にわたる濃密な出来事でした。発表当日は、70人もの方々に参加していただき、たぶん、喜んでいただけたと思います。当日も含めてこれまでに多くの方にご尽力して頂きました。お礼を言いたいです。ありがとうございました。


 映画も含めてテレビ番組やYouTubeなど、巷には映像が溢れかえっています。一昔前であれば、映画の編集というのは手作業でフィルムを繋ぐ作業でした。その編集が、パソコンがあれば素人でもできるのです。更にはそのデータをスマホを介して受け渡しが出来るなんて、凄い時代になったと思います。映像の歴史を振り返ってみると、初めは映画という大きな箱が主体でした。ナチスドイツは映画を使ってプロパガンダを行ったのは有名な話です。そこからテレビに移行し、現在ではYouTubeを始めとするネットの世界が主戦場になりました。僕の場合は地域コミュニティーで視聴する為に映像を作成したのですが、これ程までに便利になるとそうした映像の使われ方も今後は増えていくかもしれません。


 映画「ニュー・シネマ・パラダイス」をご存じでしょうか。1988年のイタリア映画で、アカデミー賞を受賞しています。シチリア島の小さな映画館を中心にして物語が展開されていくのですが、メインストーリーは主人公である幼いトトと映写技師のアルフレードの出会いと別れです。映画館がある小さな村では、映画が最大の娯楽でした。アメリカをはじめとして世界各国の映画が上映されるのを、村の人たちはとても楽しみにしています。しかし、映画を上映するにはある検閲をパスする必要がありました。それは、ラブシーンのカットなのです。


 イタリアの厳格なカトリックの世界では、男と女が愛を交わす様子を皆で視聴することを許しませんでした。アルフレードは、教会の指示で作中のラブシーンだけをカットさせられます。そのラブシーンを主人公であるトトが興味を示すのですが、そのフィルムを巡る二人のやり取りが面白い。このカットされたラブシーンはアルフレードによってひと繋ぎに編集されるのですが、映画の中ではそのフィルムが大きな存在となっていきます。とても素晴らしい作品で、切なく甘い気持ちで一杯になります。楽しいことや悲しいことそれに悔しかったことを、大人に成った主人公のトトが振り返るノスタルジーたっぷりの映画でした。


 映像というのは、過去の記録です。カメラを回している瞬間から次々と過去が記録されていきます。もう、あの瞬間に戻ることは出来ません。今回、僕はそうした映像の編集に関わりました。撮り溜めた多くの笑顔を繋ぎ合わせていきましたが、それだけでは面白くないので意図的に脚色します。音楽をのせて、その音楽に合わせて動画を切り貼りしました。ある意味、これは事実ではない映像集になります。完成した映像を視聴した皆さんが笑っていただけたので、概ね大成功でした。ただ振り返ってみて「面白いなー」と思うのは、僕がそのままの事実ではなく過去を改変したということなのです。


 映画にしろドラマにしろ、それこそニュースだって事実を改変しています。その改変の意図が、物語性であったり、事実を捻じ曲げるプロパガンダだったりするわけですが、視聴する僕たちは見たままに信じることが出来ます。映画を観ながら、監督やカメラマンや脚本家の存在を意識して、これは虚構なんだと疑って観る方はあまりいません。作られたものと分かっていながら、その世界観を楽しむことが出来る。この人間の特性って、かなり面白いです。


 以前に、ハラリ著「サピエンス全史」を読んだことをご紹介しました。前半の山場は、虚構を信じる「認知革命」になります。人間は、現実ではない虚構を皆で共有することで社会を発展させてきました。初期の虚構は神であり、現代にいたっては、お金や法律、それに株式会社などになります。そうした虚構の一つに、今回の映像もありました。


 過去を改変するという行為は、何も映像に限りません。人間の記憶だってそうだと思うのです。長男のダイチが赤ちゃんの頃、夜泣きが大変でした。当時から朝が早い仕事だったので、寝れないというのはとても辛い。あやす為にダイチを抱っこしてユラユラと揺するのですが、半分寝ぼけ眼です。あまりの眠たさに腹立たしくなり、泣いているダイチをこのまま落っことしてやろうかと考えたこともあります。当時としては辛い出来事でしたが、いま振り返るとそんな出来事が懐かしい。


 大学生になったダイチは、僕よりも大きくなりました。僕に対する反発からここ一年半はまともに会話が出来ていません。まだ僕とダイチの溝は深いままですが、それでもダイチなりに悩んでいるようです。親子なのに会話すらままならない状況というのは辛いですが、先の未来では今の状況を懐かしく振り返る時期がやって来ると思うんですね。どんなに辛いことがあったとしても、人は人間として成長するに従い捉え方が変わっていく生き物だと思います。事実は変わりませんが、見方が変わる。自分が変わる。そんなことを思いました。

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