楽しむということは
イタリア半島はよく長くつに譬えられますが、その付け根辺りのエミリア・ロマーニャ州で醸造されているランブルスコというワインをご存じでしょうか? 僕が好んで飲んでいるのはランブルスコの中でもセッコと呼ばれているもので微炭酸の辛口赤ワインになります。ジュースといっても良いくらいにフルーティーで軽やかな口当たりですが、アルコール度数は10%を超えています。微炭酸なため口の中でシュワシュワと炭酸が弾けるのですが、これが心地よい。価格は案外と安くて1000円以内で購入することが出来ます。コスパで有名なチリ産ワインにアルパカがありますが、数百円の違いなら、僕はこのランブルスコを飲みたい。そんなワインになります。
昨晩はこのランブルスコを飲むために、海老のアヒージョを用意しました。海老は皮を剥いて塩を使ってしっかりと洗います。洗い終わった後は、キッチンペーパーで丁寧に水気を取ります。エリンギは食べやすい大きさに切って、ニンニクはスライスしました。小さな鉄鍋にオリーブ油を多めに入れて、ニンニクと唐辛子の輪切りを入れて火にかけます。温まってきたら、材料であるエビとエリンギを投入して弱火にします。この弱火は大切で、強すぎるとエビが硬くなってしまいます。一般的なレシピでは、味の調整は塩で行うことが多い。でも、僕は塩コショウを入れます。その方が美味しいと思うからです。
ランブルスコ・セッコと海老のアヒージョ、とても美味しかった。ランブルスコが辛口なこともあり食中酒としてもピッタリでグイグイと飲んでしまいました。嫁さんと二人で飲んだのですが、あっという間にワインボトルを空けてしまいます。あー、満足満足。
ところで、昨日は僕の誕生日でした。だから、お上品にワインを飲んでいたのですが、この食事を楽しむのは人間に特徴的な行為になります。人間以外の動物は調理という行為をしません。例えば、ライオンは狩りをした後、獲物を生のままで食べます。生肉というのはビタミンやミネラルをそのまま摂取できるのですが、難点は消化がとても悪い。食事が終わるとライオンは寝ます。ていうか、一日中寝ます。消化するのに時間がかかるので動くことが出来ないのです。
人間は火を使って調理をすることで、食物を消化しやすい形状に変化させることが出来ました。そのお陰で、食事をした後でも人間は直ぐに動くことが出来ます。このことによって時間的な余裕が生まれました。人類が火を使い始めたことによる最大の効用は、道具としての便利さよりも、副次的に自由な時間が生まれたことによる効果の方が大きかったかもしれません。
昨晩、僕はランブルスコ・セッコと海老のアヒージョを嗜みましたが、この人間の食事とライオンの食事には大きな隔たりがあります。ライオンは生きるために獲物を狩り食べますが、人間のように食事を楽しむことはありません。人間も生きるために食べますが、その食事を楽しもうとします。この「楽しむ」という部分が、人間を人間たらしめる大きな要素だと考えます。
生きるための食事から、楽しむための食事。この価値の転換は食事に限りません。情報を伝達するための文字は、日本において書道という形で字の美しさを楽しむ文化が生まれました。絵画にしても、もともとは時代を見たままに切り取るためのニュースだったのです。それが、芸術的な楽しさに発展していく過程で、抽象画やキュビズムを生み出しました。また、人間の性行為もそうなのです。
現在、ジャレド・ダイアモンド著作の「人間の性はなぜ奇妙に進化したのか」を読み始めています。これが面白い。地球上では多くの種類の動物が生殖行為によって子孫を成していますが、その形態は様々です。例えば、人間世界は多くの場合、男と女のペアが長期間に渡って子供たちを育てます。しかしこれは動物社会ではほぼ見られない行為で、多くのオスは育児には関わりません。関わらないどころか、生殖行為が終わった途端にオスはどこかに行ってしまうのです。オスが立ち去らないパターンとして猿社会のようにハーレムを形成する場合もありますが、それでもオスは育児には関わりません。夫婦が連れ添い子供を育てるという姿は人間だけに見られる行為になります。
人間は子供を作る目的以外で性行為を行います。しかも、多くは誰にも見られない密室でこっそりと行われます。そうした性行為は、若い時だけではなく女性が閉経した後も行われ、生殖とは全く関係のない娯楽として行われてきました。これも人間だけに特徴的な行為になります。人間以外の動物の多くは繁殖期というものがあり、それ以外では性行為を行いません。繁殖期とはメスが排卵サイクルに入った時期のことで、このサイクルに入るとメスは特徴的なシグナルを発します。性器の周りが鮮やかな赤に染まったり、周りにフェロモンをまき散らしたり、性的な鳴き声を連発したり、オスの前で性器を見せびらかしたりします。すると、オスが刺激され生殖行為が行われるのです。しかし、このサイクルから外れると、メスはオスを受け付けませんし、オスもメスに興味を抱くことはありません。これが動物世界でのスタンダードになります。
繁殖期というワードが出てきましたが、人間の場合はなぜだか排卵のサイクルが分からない作りになっています。分からないから年がら年中に性行為を行っているのかもしれませんが、注目すべきは人間にとって生殖行為が娯楽に発展していることなのです。これは、生きるための食事が楽しむための食事に変化したこととよく似ています。
――生きるために食べるのか、楽しむために食べるのか。
この価値観の差は、人間の生き方に大きく関わっていると思います。人間を人間足らしめている大きな要素に「楽しめること」があると思いました。目覚ましが鳴って朝起きる。通勤電車に揺られて会社に行く。一日8時間の労働に従事する。家に帰り晩御飯を食べる。そうした毎日を僕たちは繰り返しています。過去もそうでしたし、未来もそうです。生きるためにずっと繰り返しています。その繰り返しは、変化のない毎日に見えるかもしれません。しかし、その変化のない毎日から「楽しみ」を見つけ出せるのもまた、人間だと思うのです。もし、毎日がつまらないと感じているのなら、それは「楽しさ」を見つけ出せていないだけかもしれません。目を凝らして探してみると、案外と足元に落ちているかもしれませんね。




