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だるっぱの呟き  作者: だるっぱ
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動画編集あれこれ

 寝不足です。最近の僕は動画編集にかかりっきりでして、かなり夢中です。昨晩も、朝が早いのになかなか寝ない。気がつけば日にちが変わっていました。3時間も寝ていません。とても眠いのですが、只今、ナチュラルハイ。思いのたけを文章化してみます。


 前回に、物語性の話についてダラダラと書きました。要するに、意味なく映像を繋ぎ合わせるのではなく、分かりやすい物語にした方が視聴者には分かりやすいよね、ということです。分かりやすい物語というのは古来よりパターン化されてきました。勧善懲悪物とか、ボーイ・ミーツ・ガールとか、なろう系に代表される俺TUEEE系とか色々とあります。どれもが使い古された手法ですから、作家はこれら王道パターンを模倣しつつもオリジナル性を追求しがちです。ところが、オリジナル性というのは、追求しすぎると物語そのものが視聴者に理解されないリスクが高まります。例えると、写真と絵画の関係によく似ている。


 写真は見たままをそのまま写し取るとても分かりやすい表現方法ですが、写真技術の誕生により絵画の世界はそれまでの写実主義からの変革を迫られました。近代以降、抽象画やキュビズムといったオリジナルな表現方法が誕生していきます。しかし、誕生当初から歓迎されていたわけではありません。様々な軋轢を繰り返しつつ、オリジナルとしての価値を段階的に確立していきました。現代では、そうしたオリジナルな表現方法が王道パターンとして確立していき、AIに模倣されるまでになりました。


 オリジナルな新しい価値というものは最初は驚かれますが、その価値が理解され始めると爆発的なブームを生み出すこともあります。作家であるならば誰しもが憧れる現象ですが、そうしたオリジナル性は何もない所からは生まれません。絵画であれば、写実的な基礎という親がいたから子供である抽象画が生まれたんだと思います。この一連の流れを理解することは大切でして、武道や職人の世界では守破離という言葉があります。師匠から学ぶ弟子の成長過程を端的に表した3ステップでして、「基本を身につける」「基本から応用する」「オリジナルを生み出す」という流れが守破離になります。長い前置きでしたが、動画編集が素人の僕は基礎を大切にしろよ、ということです。


 取り掛かっている動画は、2本あります。一本目はカラオケ風にしました。BGMである演歌に合わせて動画を編集するのですが、特徴は演歌に合わせた歌詞の表示になります。画面の下の部分に表示された歌詞を歌に合わせて字の色を変えていくのですが、その仕組みを理解するのに少し時間がかかりました。作業的には全編に渡り歌詞を表示してその速度を調整していくのですが、これがかなり細かな仕事でした。でも、歌詞の挿入は、本来はやらなくても良い作業になります。だって、僕はカラオケ動画が作りたいわけではない。地域の皆さんの笑顔を集めたアルバム的な動画が作りたいだけです。なぜ、歌詞の挿入にこだわったのかというと、「カラオケ動画」という基礎を模倣したかったからです。


 王道パターンの良いところは、皆が共通に認識し合えていることです。特に説明しなくてもカラオケ動画のような作りになっていたら、視聴者はそのように認識してくれます。つまり、視聴者が経験している「カラオケ」という物語を、僕は利用させてもらったのです。その方が観る方からすると分かりやすいし、パロディとしての要素が加味されます。いつものカラオケ動画なのに、近所の知り合いが出演していて、自分も登場している。それだけで面白い。なので、オシャレな映像にするよりも、古風でベタベタな作りにしました。このように書くと、とても簡単なことに見えるかもしれませんが、ここに至るまでに結構な時間が必要だったんです。


 二本目は、先にイメージを頂いていました。映画「WEST SIDE STORY」です。映画音楽をそのまま使って編集しました。映画では「COOL」という音楽が流れるのですが、映像を部分的に倍速することで暴力的でアグレッシブな雰囲気を表現したりしました。全編を通して、この動画の編集は非常に面白かったのですが、この編集で一つ勉強したことがあります。


 登場人物が街中を歩く映像を作る場合、色々な撮り方があります。例えば、目線の高さにスマホをかざして歩くことで一人称視点のリアルな表現は可能です。でも、こればっかりだと変化がありません。退屈になってしまいます。三人称視点で登場人物を追いかけても良いのですが、それだけだとやはり退屈になってしまいます。映像に変化を持たせるためには、一人称や三人称、それにポイントとなる接写を混ぜることが重要だったのです。これは、小説にも通用する技術でした。ここで、僕の稚拙な小説の一つのシーンをします。かなり臭いラブシーンになります。


◇◇◇

「お前のことが、好きや」

 桜の目から涙が溢れだした。ワナワナと体が小刻みに震えている。立ちすくんでいる桜に歩み寄り、俺は抱きしめた。周りの視線なんか全く気にしない。俺の肩にも届かない小さな桜は、俺の腕の中で小さく震えていた。必死に嗚咽を止めようとしている。そんな桜が愛おしくて仕方がなかった。桜の小さな頭を撫でる。

 ――その男、木崎隆 【逃げるしかないだろう外伝】

◇◇◇


 小説において描写は重要ですが、描写はいくつかの要素に分けることが出来ます。ここで先程の文章を分解して、特徴を見てみます。


 桜の目から涙が溢れだした。――俯瞰的

 ワナワナと体が小刻みに震えている。――接写的

 立ちすくんでいる桜に歩み寄り、俺は抱きしめた。――俯瞰的

 周りの視線なんか全く気にしない。――感情

 俺の肩にも届かない小さな桜は、俺の腕の中で小さく震えていた。――俯瞰的

 必死に嗚咽を止めようとしている。――接写的

 そんな桜が愛おしくて仕方がなかった。――感情

 桜の小さな頭を撫でる。――俯瞰的


 感覚的なものですが、一連の文章を分解してみると目まぐるしくカメラの位置が変わっていることが分かると思います。これ、映像でも同じでした。CMなんか特に顕著で、プロの映像を何でもよいので観察して欲しい。俯瞰と接写が目まぐるしく入れ替わっていることに気づくと思います。


 映像は、漫然と撮っていればよいものではありません。何でも写し取れるカメラだからこそ、ポイントをあぶりだして事細かに説明する必要があったのです。そうしたことに気づき始めると、撮影の仕方が変わりました。ハイアングルやローアングル、引きや寄せ、そうした様々な映像を撮らなければ、説得力のある動画は作り出せません。とまー、最近の僕の近況です。動画にかかりっきりで、本は読めてないし文章を書くこともお座なりになっています。もう暫く、忙しそうです。

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