死生観
僕は聖徳太子の話を書きたい。その事は、これまでにも述べてきました。その為に、色々な資料を集めて、当時の世界を想像しようとしています。しかし、その想像を難しくしているのが宗教です。
なぜ、あの様な巨大な古墳を作ったのでしょうか?
ネットで検索をすれば、権力を誇示するため、というような記述が多く散見されます。多分そうなのでしょう。しかし、その、動機については説明がない。
八百万の神を信仰していた当時の民にとって、大王が亡くなるというのは、その地域を守護する神の誕生だったのではないでしょうか? だから、神の誕生に対して、古墳を壮大にするというレバレッジが働いたような気がします。
前後関係を取っ払った、唐突な話ですみません。
国の平穏を、祈ることで収めようとした原始神道。神をなだめ、その存在を尊んとだ。しかし、その対局として仏教がやってきた。仏教は、神を崇めるというスタンスが元々はありません。(今はあります)お前の人生は、お前が責任を持たないとあかんやろう。みたいなニュアンスがあります。ちょっと、突き放したようなスタンスです。具体的には、因果律を説きます。お前がやったことは、お前が落とし前をつけないとあかんやろう、と冷たく突き放します。そうして中で、人間の死、というものに対して、一つの方向性を示しました。
当時の日本としては、革新的な思想だったと思います。自分の行いが、結果として降りかかる。そんな事を、酔っ払いながら考えています。