がんもどき
僕は中央卸売市場で仕事をしています。この中央卸売市場について、名前は知っていてもその機能について理解している方は少ないかもしれません。スーパーの店頭に行くと、産地直送というポップがデカデカと書かれている場合があります。この産地直送の言葉からどのようなイメージを持たれますか?
――市場の手数料が省かれるから、安そうだな。
確かに手数料は頂きますが、産地直送よりも安いかどうかはケースバイケースで難しいところです。というか、中央卸売市場の方が安い場合が多いかと思います。なぜなら、物品の移動には輸送料が発生するからです。宅急便なんか顕著ですが、年々輸送料が上昇しています。宅急便で品物を送る場合、みかん箱くらいだと一箱当たり二千円近い輸送料を請求されます。対して、産地から中央卸売市場に荷物を送る場合は10トン車を満載にして運ぶから、一箱当たりの輸送量をグッと安くすることが出来ます。だから、産地直送の価値は安さではありません。実は、鮮度なのです。今朝、港で水揚げされた魚が店頭に並んでいる……的な価値を前面に押し出す時に、産地直送という言葉が使われます。
中央卸売市場の特徴は、集荷機能、相場決定機能、分荷機能の三つをあげることが出来ます。日本全国だけでなく海外からも様々な商品を一カ所に集めるのが集荷機能。それらの商品を小売屋さんに降ろしていく過程で、その商品の価格が形成されていきます。この価格の決定について市場と産地は、毎日のように情報交換を行います。毎日ということは、それだけ産地との関係性が深くなります。時には、産地から無理なお願いをされることもあります。果実を扱う業界なのですが、なぜか山形県から乾燥枝豆が送られてきました。「秘伝ハッピー豆」という商品です。
これ結構美味しいんですよ。一昨年前も扱ったことがあります。前回はこの枝豆を使って味噌を作ってみました。乾燥枝豆なので一晩水に漬けこんでおく必要がありますが、茹でるとプリップリの枝豆になります。大きくてほんのりと甘い。枝豆本来のたんぱく質の味がとても濃厚なんです。塩をパラパラッと振りかけるだけで、ビールのおつまみに最適です。この枝豆を使って、どのような料理をしようか考えてみました。
最初に浮かんだのは、ポテトサラダの中に入れるです。茹でた枝豆の煮汁を使ってジャガイモを煮て、熱いうちにお酢を振りかけて潰します。味付けにマヨネーズはもちろん使いますが、お酢を利かせるのが僕のレシピです。お酢が強くなると、味の輪郭がハッキリとして立体的になるような気がします。こちらの方が美味しいと思うのです。具材には、玉ネギやゆで卵それにソーセージのみじん切りを混ぜ込みます。黒コショウも忘れない。そして枝豆。主役である枝豆をどっさりと入れて、枝豆入りポテトサラダの完成です。
次なる料理は、枝豆の糠漬けです。糠漬けの具材としてはあまり聞きませんが、とても美味しい。ただ、枝豆の糠漬けには、一つ難点がありました。それは、枝豆が小さいということです。僕はポリ性の漬物樽を使用していますが、ここに茹でた枝豆を工夫もなしに入れてしまうと、次の日のサルベージが大変なのです。手を突っ込んで一粒一粒、枝豆を探さなければならない。頼れるのは指先の感触だけで、乱暴に扱うと割れてしまいます。20粒だった枝豆が40粒になるなんてとても面倒なことです。
工夫としては、シンクの排水溝に使うネットで枝豆をまとめてしまうのが簡単です。ネットごと糠床に入れてしまうのです。でも、今回は糠床を二つに分けることにしました。実は、糠床が水っぽくなってきたので、新しい糠を投入するつもりだったのです。だから、糠床が増える。増えた分を枝豆用として丼に移しました。明日の晩が楽しみです。
それらの作業を終えた後に、表題にもあるように「がんもどき」の調理に入りました。枝豆をたっぷりと使用したがんもどき。とっても美味しそうな気が気がします。ところで「がんもどき」ってご存じですか? 地域によっては飛竜頭とも呼ばれています。おでんの具材として有名ですが、それ以外ではあまりなじみがない。スーパーで売っている様子も見たことがないような。がんもどき……個人的な感想ですが、日本を代表する料理として頂点を極めた逸品と考えても良いような気がします。その理由について、説明を試みたいと思います。
がんもどきの主原料は、豆腐を使用します。日本において豆腐は、江戸時代頃に文献に登場するのですが、その源流はかなり古い。確実な資料はないのですが、唐の時代の中国でその原型が生まれたようです。もともと豆腐は肉の代替品として誕生しました。
――代替品?
素直に肉を食べれば良いのに、代用品を作る必要があったのは禅宗の影響です。禅宗は、肉食を戒律として禁止しています。肉を食べないということは、人間に必要なたんぱく質を摂取することが出来ません。このたんぱく質を大豆に求めました。当時の豆腐は、肉のように固めたものになります。現代の豆腐のように柔らかくはありません。それこそ、肉のように調理するのです。この豆腐や野菜を使って、禅宗の世界で精進料理が発展していきました。
この禅宗は日本にも大きな影響を与えます。飛鳥時代までは当たり前のように雉や猪を食しているのに、肉を食べない文化が日本に広まりました。精進料理は豆腐や野菜が主体の料理になりますが、肉を使わないのでどうしても淡白な味になりがちです。この淡白さをどうにかして美味しくする工夫が必要でした。禅宗といえば永平寺が有名ですが福井県にあります。昔は越前と呼ばれていました。
越前は、北海道と京都を結ぶ要衝として栄えました。北前船で積んできた昆布を陸揚げして、京都に運ぶのです。越前から京都までは、琵琶湖の船輸送もありますが、陸路での輸送は避けられない。馬では多くのものが運べません。乾いた昆布なら軽いうえに価値が高い。商売効率が高かったのです。この昆布が、精進料理の世界で出汁の材料として重宝されました。
がんもどきは漢字で書く場合「雁擬き」と表記します。つまり鶏肉の代替品という意味です。中国と同じように肉の代替品としての豆腐を使用します。調理方法としては、水分を抜いた固い豆腐をすり潰して、丸く成形します。具材には、人参やゴボウ、ヒジキや銀杏を使用しますが、今回は銀杏を枝豆に変えてたっぷりと入れます。それを、油でしっかりと揚げてきつね色に仕上げます。出来たてのがんもどきは、鶏の唐揚げにそっくりでした。精進料理では、揚げるときに胡麻油を使用したのではないでしょうか。胡麻豆腐をはじめ、胡麻を使った料理が精進料理には多く登場するからです。贅沢ですが、香りがよくて美味しそうです。
この揚げたてのがんもどきに、醤油をかけて酒のアテにしました。サクサクして美味しい。枝豆がアクセントになっていて、中身のジューシーさとの対比が面白い食感です。出汁をアンカケにして食べてみましたが、これも美味しい。でも、本来のがんもどきはおでんのように煮含めます。そうすることで、出汁の美味しさががんもどきに含まれるからです。
豆腐を使用する、油で揚げる、出汁を含ませる。これらの概念は、室町時代後半か江戸時代に入ってから認知されます。どれ一つをとっても日本の食の歴史において革命的な変化でした。それらの技術を、一つの料理に昇華させたのが「がんもどき」という料理になります。厚揚げも美味しいですが、同じ材料でも「がんもどき」のこだわりには敵いません。
子供の頃は「がんもどき」の名前の由来を知らないので、変な名前だなと思っていました。僕が台所に立っていると、息子が様子を見に来ます。次男のシンゴは好き嫌いが激しい。ポテトサラダを見るなり「ポテサラ、嫌い」と言いました。
――こ、こ、この野郎!
心の叫びは口にしません。シンゴの好き嫌いは今に始まったことではないので、それくらいでは動揺しない。それよりも、がんもどきを食べて欲しい。真打は「がんもどき」です。
「ポテサラだけじゃないで」
「他には?」
少し考えました。がんもどきと言っても良いのですが、繊細なシンゴに妙な先入観を持たれたくありません。ここは、先手を打っておく必要があります。シンゴの好きな食べ物に唐揚げがありました。
「初めて作ったんやけど、豆腐の唐揚げ」
「ふーん」
気のない返事でした。食事が始まると、ポテサラには一切手を付けませんが、がんもどきは完食です。
「美味しかった?」
「うん。おかわりほしい」
「分かった。シンゴだけ特別にもう一つ。パパのをあげる」
ちょっとしたやり取りでしたが、嬉しかったです。




