全裸監督と愛のコリーダ
お久しぶりです。だるっぱです。この夏に、興味があったので、二つの作品を鑑賞しました。
全裸監督
愛のコリーダ
ご存じの方も、ご存じの無い方もいるかと思います。概要を少し説明します。
全裸監督は、ネットフリックスで配信されているドラマです。1980年代にアダルトビデオの帝王として活躍をした村西とおるの半生のドラマです。まだ、途中までしか観ておりませんが、見ごたえのあるドラマです。裏本やアダルトビデオを作成して売りまくって成りあがって行く主人公の行動に目が離せません。観る人によっては好みが大きく別れる作品です。俳優の熱量も凄いのですが、何と言っても実話をベースにしている時点で、説得力があります。当然、男女の本番シーンも映し出されます。お子様には見せることが出来ません。そうした作品なのですが、完成度はかなり高いです。面白いのが、決意して裸を晒した女優の株が上がっています。朝のテレビ小説にも同じ女優が出演しているということで話題にもなっています。
変わって愛のコリーダ。大島渚監督の映画です。大好きな男を殺害して、その一物を切り取ったということで有名になった阿部定を主人公にした、これも実話ベースの映画です。全編を通してアダルトビデオもビックリの本番のオンパレードです。正直言いまして、時代を感じました。現代のように、テンポの良さはありません。かなりしつこく描写を繰り返す作品です。観ているうちに、ちょっと飽きてきます。ただ、大島渚監督の熱意は伝わります。構図と言いますか、絵がキレイです。美術館で、絵画を鑑賞しているような美しさがあります。ドラマを追いかけるというよりも、絵を楽しむ。そうした、意図を感じました。しかし、全裸監督との違いは、出演した俳優女優が、その後、表舞台から姿を消しました。吉蔵訳の藤達也(映画では、凄い色気です)は、晩年に姿を現しましたが、定役の松田暎子は、ほとんど仕事をさせてもらえなかったみたいです。
これは「性」に対する、時代の捉え方が大きかったと思います。ある意味、全裸監督のヒットは、時代に合っていたんだと思います。性という、隠したいテーマを表に出すことで、視聴者の興味を引き付けた。晩婚化して、男と女の接点が、遠くなった今という時代だからこそ、興味を掻き立てられたのかなと、思ってみたりします。
さて、今日は、ネット小説大賞9の二次選考の発表の日でした。気にしないようにすればするほど、気になるのが人間の性です。
「俺は、気にしないよ!」
と、噓吹いても、やっぱり気になるものです。何度も、スマホを弄っては、今か今かと待ちわびていました。結果です。
「ありがとうございます」
嬉しいことに、二次選考も通過することが出来ました。応募総数の1パーセントに残ることが出来ました。これは、出木杉君です。なんだか夢を見ているようです。出来ることなら、ネットフリックスで全裸監督のスタッフを再度終結して頂いて、僕の小説の「逃げるしかないだろう」をドラマ化してくれないかなと、思ってみたりします。同じ80年代です。セットは使い回しで、何とかならないのかな? そんな妄想を抱きながら、今日は就寝したいと思います。
ありがとうございました。




