文章の味
なかなか言葉では表現の出来ない話をさせて頂きます。
これまでに、長編を三篇書きました。短編を一編書きました。全て、一人称です。小説を書く際、一人称か三人称かで、文章の雰囲気は大きく変わります。一般的には、一人称の文章の方が、感情移入がし易いとされています。
僕は、一人称にこだわっています。理由としては、人間の心の内が表現できることが大きいです。「私は、そう思った」と素直に表現することが出来ます。三人称の書き方でも出来なくはないのです。ただ、「彼は、そう思った」という風に、客観的な観察しかできません。そこに、不満を感じています。
僕は、漫画も映画も好きなのですが、小説と比べた場合、情報量が文章に比べて圧倒的に多いです。文章が、目で追う一文字一文字なのに対して、映画なら音声も画像も同時に表現できます。4DXの映画館なら空間や触覚も体験させることが出来ます。
同じ情報を、文章だけで表現しようとすると、饒舌になり過ぎて、くどい文章になってしまいます。表現するために、返ってリズムを崩してしまいます。
文章で表現する醍醐味は、読者に想像させることだと思います。絶世の美女を登場させたとしても、美人に対する認識は人それぞれです。絶世の美女と表現した時点で、どの様な美人なのかは読者にお任せするのです。想像させる領域を残すことで、読者に没入感を得させることが出来るのです。これが、小説の醍醐味だと考えています。
しかし、この文章の書き方には、様々な書き手のセンスが問われます。書き過ぎたらうざったいし、書かなければ伝わらない。同じ文章でも、八人には伝わったけど、二人には怪訝な顔をされた。ということは往々にしてあるでしょう。
前作「逃げるしかないだろう」では、状況を描き込むことに力を入れました。新たに書き始めた「その男、木崎隆」は、描き込まないことを意識しています。所謂、ハードボイルドタッチを真似しています。起きた状況を積み重ねて表現して、客観的な表現に徹する。
正直言いますと、書きにくいです。書く分には、楽なんですが、歯切れのよい文章の連続が、読者にとって良いのか悪いのか、良く分かりません。
それでも「その男、木崎隆」という話は、コミックタッチを貫こうと思っています。テンポの速さと、展開の速さ。良いのか悪いのか分かりませんが、単純で直情的な主人公を表現するのなら、そういう書き方もありかな?
と思っています。
取り留めない文章になりました。これからも宜しくお願いいたします。
実は、少し酔っています。