歩いても良い
仕事から帰ってきた後、12キロ、走って歩いてきました。走って来たのではありません。走って、歩いてきました。今日の目標は、歩いてもいいから万博の外周を回って、12キロという距離をトレースすることでした。
経験的に感じていることなのですが、ランニングというのは故障が一番怖い。僕は二十歳の時に交通事故で、左膝を割ってしまったので、殊更、故障に対しては慎重です。今でも、左膝からくる故障とは付き合っています。ランニングをすると、自然と左膝を庇うように走っているみたいで、何かしらの影響が出やすい。ですから、体が危険信号を発したら、歩きます。昔は、無理して走ったこともありました。でも、無理すると、その後の影響が怖い。左足を引きずりながら、歩かなければならないこともありました。故障をしてしまうと、ランニングそのものが出来なくなります。だから、異変を感じたら、歩きます。
練習においては、歩くことは問題が無いと考えています。42キロというフルマラソンを走るとき、一番重要なことは、最後まで歩いてでも完走することが重要だと考えています。僕に、フルマラソンを薦めた会社の社長も言っていました。
「歩いてでも、ゴール出来たらええやろ」
目から鱗の言葉でした。マラソンという競技は、ずっと走っているイメージです。でも、走る必要はありません。ゴールすることが目的です。
「歩いても良い」
このワードが、僕をマラソンの世界に導きました。40代の僕は、マラソンという世界に、どっぷりと嵌ることが出来ました。今後も、自分の体と相談しながら、大会を目指したいと思います。
ところで、今日は走りながら小説の事を考えていました。走るという行為は、考えることを深くします。ついつい、色んな事を考えてしまいます。
「小説を書く」
これは、僕にとって大きな事柄です。これまでにも書いてきましたし、これからも色々と書いていきたいと考えています。ところが、これが、なかなか書けない。無理やりに内容を考えてみても、筆が走らない。何故なら、心が踊っていないんです。ワクワクしていないんです。文章が書けるときというのは、書きたくて仕方がない時なんです。頭の中でイメージが膨れ上がり過ぎて、書かないと収まりがつかない時なんです。反対に、書かなければいけないという重圧感は、丁度良い時は良いんですけど、そればっかりだと、押しつぶされてしまって、書けない。
そんなことを考えながら、聖徳太子の事を考えていました。皆さん、ご存じですね。別名は、厩戸皇子です。多くの方が、歴史の授業で勉強したことがある人物です。
「彼の事を書いてみたい」
その様に考えています。既に資料を集め調べ始めています。百均で、マス目が付いた模造紙を買ってきました。彼の歴史を整理して書き出してみたいからです。彼の事を調べ始めると、多分、キリがないと思います。日本の歴史の根本を司る人物です。仏教を重んじたという点で、仏教も調べる必要があります。単純に考えて、前作の1980年を舞台にした「逃げるしかないだろう」の舞台設定を調べていた様なレベルではないと思います。
「でも、気になる」
そう思えたことが、出発点だと考えています。モチベーションを失わないように、取り組んでみようと思っています。
ところで、話は変わって、今日の晩御飯は天津飯を作ります。昼に、中華料理店「王将」に行ってきました。天津飯がとても美味しかった。そのままの味を表現するのではなく、僕なりにアレンジをしようと思いました。カニカマは家に無いので、玉子はそのままのふんわりスクランブルエッグにします。その代わり、アンに変化を加えました。玉ねぎのみじん切りと、豚肉のみじん切りを、アンに加えました。豚肉を入れたせいで、アンの色が濁りましたが、結構、美味しいと思います。子供たちが、喜んで食べてくれると良いんですけど・・・。




