トラウマ
いま、物語のプロットを考えているのですが、ちょっと袋小路に入っています。気分転換に本を読んでいたら、「クカダチ」の話が紹介されていました。ご存じですか?
「クカダチ」というのは、漢字で書くと「盟神探湯」と書きます。古代の日本で行われていた裁判の形式の一つです。ある被疑者の正邪を確かめる時、その者に自分の潔白を神に誓わせた後、グラグラに煮えたぎった水に手を入れさすのです。正しければ、手は火傷をしない。間違っていれば、手は火傷を負うのです。
――そんな馬鹿な!
普通に考えれば火傷をしないわけがない。僕が読んでいる本の著者は、この裁判は、ほぼ拷問に近い習わしだったのではと推測しています。そう言えば、似たような話がノルウェーにありました。オリンピックの種目であるジャンプスキーは、罪人の処刑方法が発祥だという説があるのです。両手を縛られスキー板に乗せられた罪人が、高い雪山の斜面から突き落とされるのです。そら、怖いでしょう。スピードを増して、グングンと滑り落ちていく。その先の上がり口で、体が宙に舞う。後は、地面に向かって落ちていくだけ。そんなことを想像しながら、僕の古い記憶が蘇ってきました。
若い頃、大学を卒業した僕はオーストラリアに一人旅に出かけました。英語の成績が赤点だった僕にとってかなり無謀な旅でしたが、色々と面白かった。そうした思い出の一つに、バンジージャンプがありました。
発祥は南太平洋の小さな島で、島民の成人の儀式でした。僕が体験したバンジージャンプは、足首にロープを巻いて、50メートルの高さから飛び降ります。ロープは細いゴムを撚り合わせた特殊なもので、着地点の水面にギリギリ届かないように長さが調整されています。日本国内にあるバンジージャンプは安全性の面から胴体にロープを繋げますが、本場は足首に繋げます。この足首だけ、というのがかなり怖い。
想像してみてください。胴体にロープを繋ぐ場合は、力が分散するようにハーネスを着込みます。対して、足首の場合は、ほとんど身ひとつ。同じように落ちるにしても、あまりにも頼りない。50メートルという高さは、マンションなら20階くらい。見下ろすと、人は黒い点にしか見えません。
落ちる系のアトラクションといえば、ジェットコースターなどがあります。同じ落ちるにしてもジェットコースターは勝手に出発しますが、バンジージャンプは自分の意思で落ちなければいけません。この自分の意思というのが、バンジージャンプをバンジージャンプたらしめる最大の「怖さ」だと思います。
ジャンプ台に立ち、飛び出す覚悟を決めようとします。しかし、なかなか踏み出すことが出来ません。それこそ気を失って倒れ込んだ方が楽そうです。グダグダと覚悟を決めれないでいると、インストラクターの男の人が僕に言いました。
「Back Junp OK?」
50メートル下が見えているから怖い。逆の発想なら、飛べるのかも?
「……OK」
縛られた足をヨチヨチと動かして、体の向きを変えました。このまま後ろに倒れ込んだら、落ちることが出来る。さてと、
――めちゃ、こえ~!
刷り込まれた恐怖が、更に倍増しました。怖くて怖くて仕方がないのです。どれだけの時間、僕は躊躇ったでしょか。インストラクターのお兄さんは、そんな僕を面白そうに眺めています。覚悟を決めて、後ろに重心をかけました。ゆっくりと僕の身体が倒れます。
経験した方なら分かると思うのですが、落ちる感覚というのは、下っ腹の膀胱の辺りが妙な具合にかき回されるような不快感を味わいます。とても落ち着かない。落っこちながら、身もだえします。僕の視線は、下を見つめていました。グングンと水面が近づいてくる。もう少しで激突するという瞬間。強い力が働いて、僕の身体は風に吹かれた木の葉のように舞い上がります。それこそ、自由に空を飛んでいるような開放感でした。先程の恐怖も忘れて、360度視線を動かします。世界が見えました。時間が停まったような、愉快さがあります。
バンジージャンプが終わった後、足首のロープが解かれ僕はボートに回収されます。不動の大地に足を下ろそうとしたら、そのまま倒れ込みました。格好が悪いので、立ち上がろうとしましたが立てません。自分の身体に異変を感じました。ガタガタと小刻みに震えているのです。メタ的に自分を客観視している僕と、心の底から恐怖している僕がいました。生まれて初めての、「腰が抜けた」経験でした。
心の奥底で恐怖した体験というのは、ある日ある時、突然目を覚ますことがあります。友達と琵琶湖に釣りに出かけていた時のことです。当時、琵琶湖大橋の西の端にびわ湖タワーという遊園地がありました。その遊園地に、バンジージャンプがあったのです。友達が僕に問いかけました。
「お前、バンジージャンプ、やったことあるんやろ?」
「うん」
「やってみて」
「ええよ」
軽い気持ちで了承しました。オーストラリアは50メートル。びわ湖タワーは25メートル。半分の高さです。その時は、楽勝だと考えていました。ところが、一人で受付に立つと、ガタガタと全身が震えはじめました。バンジージャンプは危険な遊戯なので、遊戯前に書類にサインをする必要があります。そのサインが震えすぎて出来ないのです。まるでキツツキのように、右手が机を叩くのです。左手で右手を押さえ込み、ミミズが這ったような字で、なんとかサインを済ませました。
でも、そこからが更に大変です。二重人格になったような気分です。メタ的に観察する僕と、心の底から怖がっている僕と、どちらもいました。僕の番がやってきます。ここまで来たら、覚悟を決めなければいけません。この時は迷いませんでした。迷いを振り切るために、走って飛び出しました。
――えいっ、やっ!
それ以来、バンジージャンプ恐怖症は発生していません。それ以降もなんどか挑戦しましたが、震えることはありません。面白いもんだなと思います。最近まで、そんな経験をしたことすら忘れていました。強い恐怖体験は、人の深層心理にトラウマを残します。自我は氷山の一角で、深層心理は非常に深い。人間の人智では解明することが出来ないブラックボックスだそうです。その深層心理に刻まれた恐怖というのは、なかなか治療が出来ない。そんな自我のことを考えながら、パソコンでいうところの、ソフトとOSの関係に似ているのかな……。そんなことを、ふと思いました。