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だるっぱの呟き  作者: だるっぱ
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僕の話

 今日、とても嬉しいことがありました。職場の近くに、僕の拙著「逃げるしかないだろう」の紙の本を、高いのに上下巻セットで購入して頂けた方がおられます。その方が、「とっても面白かったです。読み終わって、いま、逃げるしかないだろうロスなんです」と言ってくれました。嬉しい。嬉しいのだけど、何だか畏まってしまいました。面と向かって褒められるのは、なんだか慣れません。めっちゃ嬉しいのに、素直に表現するのがなんだか恥ずかしかったです。またその方が言われました。


「昨日、金曜ロードショーでカリオストロをやっていましたね」


 そうなんです。昨日の晩は観ていないのですが、僕はカリオストロの城を何度観たか分かりません。公開当時から、大好きな作品でした。


 「逃げるしかないだろう」という作品は、1980年に起こった時事が色々と織り込まれています。全くのフィクションなのですが、なるべくリアルな世界観を読者には感じて欲しかった。昭和という時代感を感じてもらうために、丁寧に表現したつもりです。そうした当時の出来事の一つに、1979年12月に公開されたアニメ映画「ルパン三世・カリオストロの城」がありました。


 多くの方が感じていると思うのですが、カリ城は面白い物語を作るための教科書のような作品です。始まった途端のカジノ強盗のスピード感、ゴート札だと分かった時の停滞感、その後クラリスが登場するカーチェイスのスピード感。物語の運び方が、非常に俊逸です。観ている僕たちを飽きさせない。盗みたいテクニックです。


 小学生だった頃の僕は、カリ城だけでなくルパン三世の大ファンでした。再放送は何度も繰り返されましたが、欠かさず観ていました。泥棒をする主人公なのに、なぜあんなにも憧れたのだろう。時に、峰不二子のセクシーなシーンが映し出されます。小学生の僕は、不二子の胸や腰の膨らみにドキドキしましたし、それが美しいと思いました。僕の作品の女性は、強くて美しい女性が多いです。きっと峰不二子を意識していたのかもしれません。


 その方の感想を聞きながら、「逃げるしかないだろう」という物語は、ある意味、僕という人間を表現した作品なんだな……と感じました。キャバレーが舞台の作品でしたが、僕はキャバレーを知りません。だけど、やっぱり主人公は、僕なんです。物語の冒頭、キャバレーの面接に行く切っ掛けが描かれます。少し引用します。


――――

 今日は、仕事の面接だ。約束の面接時間まで、まだ余裕がある。仕事は、大学で仲の良かった友達が紹介してくれたのだ。

「俺の代わりに仕事をしないか」

「代わりに?」

 妙な紹介の仕方だ。

 理由を聞くと、急な事情で、友達は職場を辞めることになったそうだ。ただ、その職場は人手が足りていない。「代わりのスタッフを探してくるように」と、職場から厳命されたそうだ。

――――


 主人公は、友達からの紹介でキャバレーの仕事をすることになります。実はこれ、仕事こそ違いますが僕の実体験なんです。


 僕が20歳の時、父親が事業を倒産させたことで、大学を休学することになりました。仕事をしたことがなかった僕は、急遽、仕事をして家族を養わなければならなくなったのです。父親はヤクザの取り立てから逃げていたので、その頃はアテになりません。家計は急を要していました。ところが、僕はお坊ちゃんで、仕事のしの字も知りません。僕は、中学校からの友人で、生活力逞しかった友人に相談しました。兎に角、お金になる仕事を紹介して欲しいと。その友人は、大阪にある中央卸売市場の水産でアルバイトをしていました。ところが、そのバイトを辞めるつもりだったのです。友人は言いました。


「金にはなる。心配しなくていい。ただ、忙しくて中々辞めさせてくれなかった。丁度良い。お前を人身御供にして、俺はバイトをやめる」


 そんな風に言われました。初めての本格的な仕事。当時の僕にとっては地獄でした。水産の朝は早い。僕が勤める水産は塩干物といって、干した魚がメイン商材でした。水産にも色々あって、太物であるマグロを扱う仲卸は出勤時間がもっとも早い。それに比べると遅いのですが、それでも朝の3時には出勤しなければなりません。朝の8時ごろまでは、セリを含めて商品の売買が行われます。商売が終わると、明日に向けての商品の仕込みが始まります。冷凍のカラスカレイを解凍して、その鱗を落とし、切り身にするのです。その量が膨大で、夕方の3時から5時までその作業が続きます。


 僕は、三日目に「お腹が痛い」と言って休みました。ストレスがエグイ。まるで奴隷になったような気分です。一回目のズル休みは黙認されました。二回目のズル休みをした次の日、僕は先輩に裏に連れて行かれました。その先輩は、暴走族の出身で武闘派で滅茶苦茶怖い人でした。殴りこそしなかったものの、僕を掴んで睨みつけます。「三回目はないぞ」と言われました。


 そんな職場でしたが、なんだか水が合いました。その先輩から可愛がられるようになり、気が付くと職場からアテにされるようになっていました。給料も良かった。毎月、手取りで30万円を超えていました。20歳の僕がバイトで30万円。家族を支えるには十分でした。職場での仕事が安定していくのとは裏腹に、家庭は最悪でした。父親の借金は億を軽く超えていて、返すことが出来ません。自己破産することになりました。


 それまでの僕は、父親を尊敬していました。自己破産以後は、父を軽蔑しました。父の事業の倒産は、商売仲間の自殺が切っ掛けでした。商売仲間の負債を被ることになったのです。その一面だけを見れば被害者ですが、父は親族を含め多くの人から保証人の印鑑を貰っていました。僕と親しかった人たちが、父によって多額の借金を背負うことになったのです。その怨嗟は凄まじかった。


 当時の僕は病んでいました。仕事をしている時だけが楽しくて、家に帰るのが嫌でした。特に、父親の顔を見たくなかった。給料日、母親にその給料袋を手渡しながら、ワザと「恵んでやる」と言いました。喧嘩して、父親の顔面を殴りました。殴った後、家を出ることを決めました。何もかもから逃げ出したかった。現実から、逃避したかった。僕は、周到に計画して、自転車を購入して、大阪を出て北海道を目指したのです。


 著作「逃げるしかないだろう」の主人公は、自転車に乗って逃げ出します。これ、僕が体験してきたことです。設定は違うけれど、改めて思いました。この物語は、僕のことなんだと。断っておきますが、初めからそのつもりで書いたわけではありません。予め計算して物語を作れるほど、僕の頭は良くありません。面白い話を作ろうとして、無い頭を捻って書き上げたら、僕の話しだったのです。


 今は、聖徳太子の物語を書こうとしています。聖徳太子が、何を考え、なに悩んだのか模索している所です。聖徳太子という姿を借りて、今回も僕のことを書くのかもしれません。僕が作り出す物語ですから、それは自然なことかもしれません。僕は、幼い頃から縁してきた「仏教」というものに、宣戦布告をしたい。何が真実で、何が嘘なのか、暴きたいのです。結果、仏教を改めて再認識するかもしれないし、その逆かもしれない。僕の人生を賭けて、書き上げたいと思います。

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