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だるっぱの呟き  作者: だるっぱ
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意志について

 僕の甥から手紙を頂きました。内容は公開しませんが、その返信の一部を紹介します。


――――――――――


 「見ているんじゃない、魅せられているんだ」を読ませて頂きました。文面から熱意を感じます。「人間とはなぜ生きるのか」のテーマから、未知への好奇心や知識欲そうした人間の強い意思が平行世界の話に飛躍したのが面白かったです。答えにはなりませんが僕なりの所感を述べさせていただきます。


 「人間は考える葦」と言ったのは、17世紀に活躍したフランスの思想家パスカルです。人間という存在の特徴として、彼は「考える」という行為に注目しました。野生の動物や昆虫も、もしかすると考えているのかもしれませんが、人間のように高度な思考は持ち合わせていません。理由は簡単です。言葉を持っていないからです。言葉を素因数分解していくと、文節になり単語になります。


 単語とは、人間が認知している対象を切り分ける行為です。人間と同じような姿をしていても、青木さんかもしれないし、佐藤さんかもしれないし、服を着たチンパンジーかもしれないし、巧妙に作られた人形かもしれないし、もしかすると異世界から来たエルフかもしれません。でも、僕たちは「人間の姿」をしたそれらの対象をそれぞれ単語を使って説明することが出来ます。人間に関係する多くの対象に名前を付けるという行為は、実はかなり高度な作業です。


 そのような人間の特徴をパソコンに置き換えてみます。名前を付けるという行為は、パソコンのプログラムでは初期の設定です。プログラムは、仕事を実行するうえで必要な命令系統です。それらを統括しているのはOSです。僕のパソコンなら「Windows」になります。「Windows」は、CPUや記録媒体を土台にして動いています。人間の脳を考える時、パソコンならどれになると思いますか。僕は、OSとCPUと記憶媒体とプログラムを含めた関係性を「脳」だと考えます。


 OSやCPU、それからプログラムの発展は目覚ましい。量子コンピューターの話題は事欠きませんし、プログラムの世界ではAIの進捗が凄まじく、欧州や米国では「chatGPT」の使用に関して「待った!」が掛けられました。それはあたかも、人類の人知をAIが超えていくのかという有様です。


 ただ。ここで僕は疑問を呈したい。そうしたAIを操作するのは「誰か?」という問題です。僕は、フルマラソンを4時間1分で走ったことがあります。トップアスリートに比べれば遅いですが、全人類で比較すると上位10%には入っていると思います。いやもっと上位かもしれません。それでも、車と勝負したら負けます。圧倒的差で負けます。しかし、それは「速さ」でしか比較していないからです。もし、車に運転手が居なければ、僕が勝つでしょう。走ることが出来ない車に、僕が負けることはありません。


 冒頭に、僕はパスカルの言葉を引用しました。「人間は考える葦」です。現在の僕なら、別の言葉を添えます。


 ――「人間は意志がある葦」


 AIにしても車にしても、「意志」がありません。計算がどんなに早くても、走りがどんなに早くても、意志が無ければ実行ができません。スペックは重要ですが、それを使い倒せる「意志」はもっと重要です。「本能」ではなく「意志」、これが人間において重要だと僕は考えています。


 夢の話がありました。これから僕の夢の話をします。僕は人生において3度死にかけました。マジの話しです。一回目は僕がこの世に誕生するときです。僕は母親のお腹の中で逆子でした。誕生するとき足から出てきました。臍の尾は首に絡まり窒息した状態で誕生しました。全身真っ青で、仮死状態で生まれました。何とか蘇生したのですが、黄疸が酷く生まれてすぐに入院しました。


 無事成長したのですが、物心ついた頃から小学5年生まで、僕は同じ悪夢に悩まされることになりました。夜中、悪夢を見ると突発的にパニック障害になります。思考が定まらなく息が出来なくなり、夜中にガタガタ震えました。いつも同じ夢なのです。


 当時、僕の家は木造の二階建てでした。子供部屋は二階にあり、兄弟3人は同じ部屋で寝ています。僕の夢はこの子供部屋から始まりました。部屋の中で、僕は大きな毬を護っています。一つだけでもその部屋には入りきらないのに、何と三つもありました。僕はその毬が、部屋の中にあることで安心をしています。ところが、そのうちの一つが階段を落ちていきました。その事実に、僕は怯えます。落ちていかないように必死に支えようとしました。しかし、守り切れない。僕は夢の中で、声にならない叫び声をあげます。


「待ってくれー!」


 木造の細い階段を、一段一段、毬が落ちていきます。僕の心は張り裂けそうで、恐怖に震えました。毬が最後の一段を超えて一階に辿り着くと、場面が変わります。僕は、白衣を着た大人になっていました。しかも、宇宙船に乗っているのです。何故だか、地球を見下ろしていました。宇宙船から見える地球は、赤く燃えていました。地球を護ることが出来なかった事実に、白衣を着た僕は後悔しています。全ての責任は僕にある。その様に感じていました。


 幼い頃の僕は、この夢を何度も見ました。見るたびにうなされ、母親に抱きしめられます。同じ夢を見続ける原因が分かりません。そんな夢の話を、大学生になった僕が友人に語りました。哲学的な造詣に深かった友人は、僕の夢と僕の誕生を繋げました。その時、妙に腹に落ちたのを憶えています。僕が誕生するときのトラウマが、夢となって現れていたことを僕は信じました。


 平行世界の事は分かりませんが、夢と人間の記憶が強くリンクしていることは事実だと思います。ただ、それは一面的なものだとも感じています。僕の場合は、平行世界ではなく、高次元とのリンクだと考えています。そんな話をこれからしたいと思います。


 アインシュタインは、相対性理論を提唱しました。その理論から導き出された物理的作用の一つに重力があります。強い重力によって、この空間は歪められるという現象です。人間の脳は潜在能力があると言われながらも思いのほか低スペックです。何故なら、空間が歪んでいることを認識できないからです。僕たちが想像できる空間は、縦、横、奥行きの3次元までです。しかし、この世界はそんなにシンプルなものではない。空間は捩れているし、もっと複雑です。


 そうした高次元にリンクできる瞬間が、もしかすると「夢」かもしれません。ただ、ここで最初の問題に立ち返るのですが、高次元にある何かの一つに、人間の「意志」があると思うのです。三次元で表現でされる僕たちの世界は、実は器に過ぎないと思います。その器に「意志」が植え付けられ、僕たちはこの世界を生きているような気がするのです。それはあたかも、電脳世界でFPSシューティングを遊んでいるようなゲーム感覚があるのかもしれません。如何でしょか。

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