カレーライスとアルゴリズム
20年ほど昔のことですが、大阪の西区新町でフルーツカフェをオープンさせたことがあります。フルーツパーラーではなくてフルーツカフェです。フルーツパーラーだとスイーツのイメージがありますが、僕が想い描いたフルーツカフェは、フルーツをガッツリと食べることが出来る軽食店のイメージです。僕の理想としては、カットしただけの美味しいフルーツを食べて欲しかった。ただ、それだとお客様に付加価値を感じてもらえない。なので、ランチメニューを用意することにしました。ヒット商品は「フルーツキーマカレー」です。
スパイスと一緒に、フルーツを大量に煮込んだカレーなんです。欧風カレーだとジャガイモの澱粉がトロミを作ったりしますが、フルーツキーマカレーの場合だとトロミはバナナが作り出します。他にも、リンゴやアボカド、キウイやオレンジ、そうしたフルーツを大量に使います。フルーツの爽やかさが前に出て、甘いのに辛い。そんなカレーが出来ました。
この話を聞いて、甘いカレーに嫌な顔をされた方がいるかもしれません。フルーツを材料に使うので甘さはあります。しかし、カレーですのでスパーシーです。想像される以上に、クミンやコリアンダー、生姜に胡椒といったスパイスを投入しています。カレーに限ったことではないのですが、辛さだけでは奥深い味を表現することはできません。辛さの奥に隠れた甘味や酸味という土台があってこそ、主役である辛さが引き立ちます。バーモンドカレーだって林檎が入っているじゃないですか。
15席の小さなカフェでしたが、北海道からも沖縄からもお客様が訪れてくれました。それはテレビの影響が大きかったです。毎月のようにテレビに取り上げられていたので、とても有名なカフェに育っていました。当時は、テレビでモーニング娘が活躍していたのですが、そのメンバーがお店に取材に来られたこともあります。テーマパークのアトラクションようにお客様が店前に並ばれ、その様子を取材にきた番組もありました。
そんなフルーツカフェでしたが、二年と持ちませんでした。打ち上げ花火のように、パッと咲いて直ぐに散りました。理由は色々とあります。まず、人気メニューのフルーツキーマカレーの価格設定が、原価に対して安すぎた。売っても売っても儲からないのです。利益が出ない商売は、悪だということを知りました。関係する人に迷惑を掛けてしまいます。アイデアはあっても、僕は商売人として見通しが非常に甘かった。更には、僕は人を雇用するという現実を知りませんでした。そのつもりは無くても、忙しすぎてブラックな仕事環境を作ってしまいます。スタッフからは、悲鳴が上がりました。店を畳んだ原因を挙げだしたらキリが無いのですが、要は、店舗を運営するためのやり方が杜撰だったのです。
小さなカフェであっても、経営方法は重要です。様々なことに気を配らなければなりません。店の顔である「メニュー構成」をはじめ、店舗デザイン、コンセプト、仕入先、品質管理、帳簿、利益計算、スタッフの雇用、スタッフの教育、スタッフの労働環境の維持などが直ぐに思いつきます。更には営業時間が始まったら、仕込み、接客、注文の対応、調理、品出し、会計、皿洗い、BGMの管理、清掃など現場の仕事は戦争です。他にも、当時の僕は、店舗の広告の為にブログの管理も行っていました。その頃は、ブログというSNSが流行り出したころで、上手く時流に乗りました。店舗に訪れたお客様が店舗のブログのユーザーになり、僕のお店を紹介してくれるのです。新しい口コミの形でした。
そうした様々な要素が上手く噛みあい回転すれば良いのですが、僕は経営について素人でした。様々な仕事を一人で抱え込んでしまうところがあります。上手く仕事を分散して、効率的に運営することが出来なかった。そんな昔のことを思い出す切っ掛けがありました。「ゆるコンピューター科学ラジオ」という番組です。 嫁さんの影響で「ゆる言語ラジオ」を聴き出したことを以前に紹介しました。折角なので、その姉妹番組である「ゆるコンピューター科学ラジオ」も聴いてみることにしたのです。最初のテーマは「アルゴリズム」でした。
――30巻の漫画が散らばっています。1巻から順番に揃えてください。
この様な作業があったとします。僕なら、まず1巻を見つけて順番に揃えていきます。簡単ですよね。30巻くらいなら問題ありません。しかし、この漫画が1000巻ならどうでしょうか。1巻から順番に見つけて揃えていくのは骨が折れる仕事です。もっと効率的な方法はないでしょうか。そのやり方のプロセスを「アルゴリズム」といいます。
幾つかの方法があるそうですが、ラジオで紹介されていた方法には名前がついていました。「分割統治」です。ここでは、詳しい解説をしません。要は、1000巻を分割してグループ分けをします。仕事を細分化することによって効率をあげるという方法なのです。コンピューターは計算は出来ますが、判断が出来ません。判断させるためには条件を用意する必要があります。また、作業の手順についても指示する必要があります。
そうしたアルゴリズムの話を聞きながら、僕は縄文時代や弥生時代のことを想い描いていました。狩猟採取が中心の縄文時代は、「散らばった漫画が30巻」の時代です。小さなコミュニティーを維持するだけなら、狩猟採取の生き方で十分なのです。縄文時代が、1万年以上も平穏に維持できたのが証拠です。いま必要なことを、今やる。それで良かった。
ところが、弥生時代は農耕の時代です。大きなコミュニティーを運営することが出来ますが、そのプロセスは複雑です。「散らばった漫画が千巻万巻」の時代です。多くの小作人を抱え込み労働させる必要があります。高度なアルゴリズムを用意しないと、民衆が飢えて死んでしまいます。
僕が開業したフルーツカフェも、小さな頃は平和でした。地元のお客さんから愛され、それこそ育ててもらっているという実感がありました。ところが、テレビに紹介されたころから世界が変わりました。多くのお客様が、一斉にやって来るのです。満席どころか、店舗の外にお客様が溢れています。それまで、フルーツカフェを愛してくれた地元のお客様が、店舗で寛ぐことが出来なくなりました。
――僕は、誰の為に仕事をしているのだろう?
流行というのは、いつかは飽きられるのもです。ブラックな仕事環境にスタッフが悲鳴をあげた頃、客足が減り始めました。店の賞味期限が切れ始めたことを感じます。地元のお客様を大切にすることが出来ず、多くの来店者を満足させることも出来ず、どっちつかずで店舗は廃業に追い込まれました。もし、僕に経営的な力があったのなら、違う未来もあったかもしれません。
昨晩、カレーを作りました。普通のカレーです。フルーツキーマカレーではありません。ただ、生姜やニンニク、トマトや花椒を炒めて味の底上げはします。ちょっと辛いです。それでも子供たちは喜んで食べてくれます。料理の良いところって、作業の工程が一人で完結しているところです。自分の好きなようにイメージして、美味しさを追求することが出来ます。僕は、縄文時代的な人間だなと思いました。全ての仕事を一人で見渡せる。そんな仕事が好きです。
でも、世界は人口が80億人になり、より複雑さが増しました。より高度なアルゴリズムを必要としています。そうした時代に、AIが生まれているのも時代の要求なのでしょう。