チンプンカンプン
正確な情報ではないですが、むかし宮崎駿が「天空の城ラピュタ」を誕生させたときのインタビューで、次のように語っていたと記憶しています。
「冒険の世界は、もう空にしか残されていない」
記憶違いならすみません。一応ググってみたのですが、それらしい情報を、すぐに見つけることが出来ませんでした。冒険譚は過去から様々な名作があります。地上ではアラジンを初め数多の名作がありますし、海にしたって海底二万里があります。地中だってありますし、宇宙もあります。ただ、空中というのは、思いの外ありません。宮崎駿は、浮遊石というアイデアでラピュタの根幹である物語の信憑性を支えました。僕も何度も観ましたが、非常に面白い作品です。
面白い作品を創造するとき、新しいアイデアを作家は求めます。商業的には、名作を叩き台にした量産型は安定感があり、利益を考えても多くの支持者を得やすい。対して、新しいアイデアというのは、当たればムーブメントを起こすことが出来ますが、外れる可能性が非常に高いという博打性があります。それでも、作家は独自の世界観を打ち立てようと頭を捻ります。
最近の小説界においては、異世界物が主流でしょう。僕が子供の時は「ナルニア国物語」を読みましたが、あれも異世界ものです。昔から、「異世界転生」は人気のジャンルだと思います。多くの人がそのテーマに魅了され、その世界の発掘に腕を振るいました。推理小説や歴史小説のように、一つのジャンルとして確立されたと言っても良いのではないでしょうか。ゆとり世代Z世代は、現実世界に期待していない。だから、異世界転生ものに救いを求めている。そんな風に感じたりもします。僕の個人的な解釈ですが……。
作家が、新しいアイデアを求める方向性というのは様々です。天空の城ラピュタのように、場所に関して新しい方向性を求める場合もありますし、ツンデレのように登場人物の個性で新しい価値を生み出す場合もあります。要は、アイデアの源は一つではないということです。場所や個性、ジャンルや思想など、従来からある価値に対してちょっとした変化、または見方を変えることで、全く新しい切り口が生まれたりします。作家性が強い人は、そうした新しい何かを求めがちだと思うのです。
僕の場合は、「思想」に注目しました。現代において「思想」という言葉を使うと、どこか怪しげに聞こえてきます。昨年は統一教会で日本が荒れましたが、あのような宗教も思想です。過去に学生運動が日本を揺るがしましたが、あれはマルクスが現した資本論をベースにした思想集団です。世界には三大宗教があります。キリスト教、イスラム教、それから仏教です。宗教戦争という言葉がある様に、思想や宗教の違いで人間は殺し合いをした歴史もありました。それほどに、思想が人間に与える影響は大きいと言えます。
そんな歴史を経て「無宗教」という言葉も生まれました。日本において顕著です。では、無宗教とは何でしょうか? 様々な宗教を信じないというのは、無宗教という「思想」にはならないでしょうか。僕が言いたいのは、「思想」というのは、個人の行動を制限しているということなのです。
人間は、己が信じていることを基にして行動を起こします。僕が信号機を見て赤なら止まるのは、赤は「止まれ」だと信じているからです。これも「思想」です。過去に、パチンコに溺れたことがあります。千円札の投資が3万円になった事がありました。その記憶が強烈過ぎて、僕の場合は「思想」になりました。3万円を追いかけて、10万20万を投資しました。損を繰り返しても、3万円になると僕は信じていたのです。
――自分が何を信じているのか?
普段の生活では、当たり前すぎて考えることは無いと思います。自分の行動規範をカテゴリーに分けて考えるなんて、普通はしません。自分が行動している「それ」は、ごくごく普通のことだからです。疑問に思うことは不自然なことです。多くは「常識」や「当り前」で忘却されてしまうのではないでしょうか。
僕は聖徳太子の物語を書きたい。その理由は、当時の思想に関するカルチャーショックを描きたいからです。僕のベースには「仏教」があります。しかし、その「仏教」が何なのかを、僕は理解が出来ていない。この「仏教」を知りたいというのが、僕の一番の動機です。その為には、仏教と比較させる何かが欲しかった。その対象として「聖徳太子」を僕は選びました。
仏教が伝来する依然の日本には、神道がありました。神道って何でしょうか? 仏教を知るためには、当時の神道の世界を知る必要があります。そうした手探りの中に僕はいます。最近、「忌み言葉」に関心があります。当時の日本には「言霊思想」があり、言葉に対してとても慎重でした。言葉が現実に影響することを、非常に怖がったのです。その怖がりの根幹は「穢れ」だそうです。神の領域を犯す「穢れ」に、当時の日本人はとても慎重でした。同じように、自分自身が「穢れる」ことも恐れます。その「穢れ」という世界観を、「忌み言葉」で体系化したようです。これも「思想」です。そうした日本という世界に、仏教がやってきました。
――仏教の何が革新的で当時の日本人を驚かせたのでしょうか?
僕は、そんな事に関心があります。聖徳太子を描くために、今は外堀を埋める様にして当時の世界を旅しています。現地に赴き、当時の文献を読み、その世界観を想像しています。そうした工程が終わったら、聖徳太子が現したという「法華義疏」を読むことになります。ただ、今は読むべき書籍が多すぎて読み切れておりません。また、読んでいるのですが、正直な所、ちんぷんかんぷんです。先は長いな~と感じております。