更に「進撃の巨人」
小学五年生の時に、京都の従兄の家で初めて手塚治虫の「火の鳥」を読みました。小学生の僕には、あまりにもショッキングな内容でした。永遠の命を求めて、人と人とが争い無意味な殺し合いを繰り返します。欲望に塗れたそうした人々の姿は、大人になってから読んだ芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のようでした。一本の糸に飛びつき、誰もが地獄から逃げ出そうとします。しかし、糸は細い。多くの人が幸せになることは出来ません。糸を登ろうとする人々は、幸せになるために他人を蹴落とします。そうしたことが当たり前に繰り返される世界。それが、僕たちが生きている世界です。
「進撃の巨人」の世界は、非常に残酷な世界が表現されていました。誰もが幸せになりたい。たったそれだけの希望を叶える為に、仲間であっても、殺し合いを続けます。
――どうして?
そうした問いかけが、何度も繰り返されます。何故、分かり合えないのでしょうか。何故、同じ殺し合いを繰り返すのでしょうか。エレン・イエーガーは、自らを縛り付けるしがらみを跳ねのけます。自由を叫びます。仲間の幸せを願います。その為に、重大な決断を下します。まだ、最後まで観ていません。アニメ版「進撃の巨人」の最終回は今年の秋になるそうです。
――漫画を購入して、最後を見届けようかな?
そうした欲求に駆られるくらいに、面白いです。現代においても、戦争は繰り返されています。科学が発達して月にロケットを飛ばすし、相対性理論や量子力学を駆使した世界が広がっているのに、それでも尚、愚かな行為は止みません。何故なんでしょう?
原因の一つとして、世代が繰り返すごとに経験がリセットされることはあるでしょう。知識を次世代に残すことは出来ます。しかし、悔恨や反省、苦しみや恐怖、そうした感情は世代を超えて伝えることが出来ません。心で感じる感情は、本人だけのものです。本人しか分かりません。
日本は、敗戦を経験したと言いますが、僕は戦争を知りません。戦争を体験した多くの方は、次々と亡くなっています。戦争はゲームではない。しかし、ゲームと感じてしまう世代が僕たちだと思います。体験した事のない事柄に対して、僕たちは甘い。想像が至らないからです。そうした意味において、「進撃の巨人」を観る価値はあります。少しでもそうした世界を体験できるのであれば、より良く未来を変える力になるかもしれません。そんな事を思いました。また、僕もそうした物語を綴ってみたい。そのように考えています。