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だるっぱの呟き  作者: だるっぱ
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デジタルネイチャー③

 200万年も300万年も太古の話ですが、人間は道具として石器を使い始めました。石を石で叩き加工することによって、必要な道具を生み出します。初期の石器は礫器と呼ばれ刃がありません。しかし、黒曜石が見つかると鋭利な石器が生み出されるようになりました。黒曜石は火山岩の一種でガラス質。叩くとガラスの切っ先のように鋭利な刃が現れるのです。ナイフや矢じりに重用されました。


 こうした道具は、人間の生活が豊かになるために生み出されます。そう、人間が生み出したのです。道具というのは、使う目的が定められており、その様にカスタマイズされています。ナイフで歯を磨くのは難しい。歯には歯ブラシが最適です。このように、ナイフにはナイフに合った使用方法があります。人間が想像して、道具は生み出されていくのです。


 こうした道具と人間の関係性を、人間と神に重ね合わせた哲学者がいました。旧約聖書的には、人間は神が生み出したものとされています。人間は神の下僕なわけです。林檎を食べてしまうと、自由意志が生まれエデンの園を追い出されてしまいます。一体、神はどの様な目的で人間を作ったのでしょうか。また、人間は神の為に、どうあらねばならないのでしょうか。


 そうした人間と神の関係性に悩み抜いた哲学者に、キルケゴール、ニーチェ、サルトルがいました。難しいのでこの哲学的な話は展開しませんが――出来ませんが――彼ら哲学者は、自身の存在を神ではなく、自分自身で決める必要性を訴えました。そうした哲学的考えのことを、実存主義といいます。


 デジタルネイチャーを提唱する落合陽一先生は、対談の中でこの「実存」という言葉をよく使用されていました。人間が行っていた労働を、AIが請け負っていくデジタルネイチャーな世界。そこでは人間に自由が生まれます。自由になった時間を、もっと自分の実存を開花するために使っていこう。AIは、もっと利用すべき。先生の話は、そのような意味であると僕は受け取りました。ただ、僕的にはデジタルネイチャーな世界に心配もあるのです。


 AIは、自動的に人間が求める文章や絵画、それに音楽を生成することが出来ます。これらの行為は、本来、人間が想像して生み出してきたものです。写真技術が絵画の世界に革命を起こし、印象派から始まる自由な絵画の世界が展開されてきたように、文章も音楽も作者が悩みながら、新しい何かを生み出してきました。そこには、作者自身の存在を賭けた並々ならぬ苦闘があったはずです。


 AIは、生み出された新しい技術を模倣することが出来ます。しかも、かなり高水準で。僕は、そうしたAIに対して文句を言いたいわけではありません。新しい科学技術が社会を便利にしていくように、新しい美術表現も、AIが模倣して社会に広めていくことは、何も悪いことではありません。どんどん展開したら良いと思います。心配しているのは、受けての人間なのです。


 僕は常々、聖徳太子の物語を書きたいと宣言しています。聖徳太子の概要を知るだけなら、ChatGPTに答えを求めれば、すぐに教えてくれます。大変便利な技術です。ただ、そうした表面的な、継ぎ接ぎだらけの答えが欲しいわけではありません。文献を漁り、史跡を自分の足で巡り、五感で聖徳太子を感じようとして、想像する。そうした思索を繰り返した先に生み出されるものに、僕は期待しています。そこには、僕にしか感じれないドラマがあります。


 陸上競技を見て感動するのは、やはり人間だからこそのドラマがあるからです。スタート地点にバイクがやって来て、100メートルを8秒で走られても誰も喜びません。観客が観たいのは、速さではなく、限界を超えたドラマなんです。そこには、人間の存在を肯定する、実存の世界があります。


 ところが、初めて人類が遭遇するデジタルネイチャーな世界は、キーを打つと問題の答えを簡潔に教えてくれます。それは、絵画、音楽、政治、経済、司法、娯楽、様々な領域で展開されていくでしょう。大人であろうが子供であろうが、考えるよりも先に答えを手に入れることが出来る。それは、人間が考えなくなる。つまり、AIを妄信する社会になるのです。


 ――AIは全能でしょうか?


 違います。AIは過去のデータから解析し生み出されたフランケンシュタインです。ただ、もう一度、繰り返し言います。フランケンシュタインが悪いわけではありません。フランケンシュタインを、妄信する信者が全世界に生み出される社会を、僕は危惧しています。


 最近、回る寿司で動画テロが起こっています。許せることではありませんが、あのような事件が起こる背景を考える必要があります。それは、承認欲求と、想像力の欠如です。


 ネット社会で影響力を持つ人をインフルエンサーと呼びます。より多くのフォロワーを作るために一生懸命です。炎上も含めて、目立つために考えのない行為を繰り返す人がいます。そうした行為が、誰かの迷惑になることを想像できない幼さが、そこにあります。


 現在、僕たちが感じている幸福の多くは、他者との比較で確認されます。人よりもお金が多いか少ないか。自分の容姿は人よりも整っているかどうか。社会的地位は高いか低いか。自分の恋人は美しいか美しくないか。自分のフォロワーが多いか少ないか。挙げだしたらキリがありませんが、僕たちが掴もうとしている幸福感とは、案外そういうものです。だから、成功者という言葉も生まれます。誰よりもスペックの良い条件を自分に引き寄せるために、多くの人が必死になっています。


 もうそろそろ、この幸福感からの脱却が必要だと思うのです。自分は自分。人と違って、それで良い。まずは、そのくらいの余裕が欲しい。先程、人間ドラマの話をしましたが、自身の可能性を広げていこうとする行為には感動があります。それは自分だけでなく、他者にも影響を与えることがあります。


 デジタルネイチャーな世界は、人類を二極化するでしょう。AIを使うものと、使われるもの。使われるものは、考えることをやめた奴隷になるんじゃないのかな。そんな風に、僕は考えています。

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