あとがきⅡ
あとがきを書いた後に、又あとがきなんて可笑しな話です。これには訳があります。この物語は、ネット小説大賞九に出品して最終選考に残りました。長編小説三作目にしての快挙です。非常に興奮しました。
――もしかして作家デビュー。
そんな僕の期待は、儚く散りました。期待した分だけ、落ち込みも激しかった。
「なろう系のコンテストにこの作品を送り込んだ僕が悪い。ジャンルが違う。野球の勝負に、サッカーボールを蹴る様なものだ。それでも、最終選考に残った」
その様に、自分に言い訳をしましたが、未練だけは残ります。一度、コンテストに出品した作品だけど、カクヨムコンに再度送り込むことにしました。一ヶ月かけて誤字脱字をチェックする推敲を行います。しかし、カクヨムコンでは、かすりもしませんでした。
ガックシ。
それから半年間、この作品を放置します。ところが、キンドルで出版してみようと思い立ちました。その為に、再度、推敲を始めることにします。それが、底なし沼の始まりでした。推敲に半年以上もかかります。
――推敲
今回、この推敲の重要性を再認識しました。
ネットでの投稿小説のタイプは、連載です。週刊誌や月刊誌のように、物語を創造しながら次々とエピソードを発表します。連載は、一回一回のエピソードの面白さはもちろんのこと、次回のエピソードを読みたくなるような「引き」が重要です。
読者は作者ではありませんから、面白くなければ読んでくれません。どんなに面白い展開が後半に残されていても、飽きられたら読んでくれません。とても、シビアな世界です。
ところが、面白い展開を期待させる伏線というものは、未来の話をイメージ出来ていないと忍び込ませることが出来ません。しかし、それは非常に難しいことです。予めプロットが完成していないと作れないからです。
プロットを完成させてから、話を書き始める作家っているんですか?
色々な作家さんに聞いてみたいです。推理物ならともかく、ほとんどの作家はプロット第一主義ではないと思います。ノリで書いているんじゃないかな。
いや、俺は違う。
そんな方もいると思います。その方は天才です。ただ、そんな方は、三島由紀夫のような極々限られた人だけです。凡人では無理です。
実は、作者も読者なんです。その後の展開が楽しみで、物語を書いています。プロットを用意していても、簡単に脱線します。予定調和が面白くない。そうした事もありますが、登場人物が、勝手に動き出すような瞬間があるのです。そのような瞬間に出会うと、作者は興奮します。それこそ、文章を紡ぐ手が止まらない。まるで書かされているような境地になります。
推敲は、話が完成してから行います。基本は誤字脱字のチェックを行うのですが、物語全体を俯瞰できるからこそ出来る推敲があります。それは話の整合性です。話の因果関係を丁寧に繋げることが出来ます。クライマックスをさらに盛り上げるために、話の伏線を後から埋め込むことも出来ます。それ以外にも、話を面白くするために、ガラッと内容を変えることもあります。更には、物語のテーマを拾い上げることが出来ます。これ重要です。
この物語の題名は「逃げるしかないだろう」です。当初は意味について、それほど深くは考えていませんでした。主人公が逃げるしかない状況を作り出す為に、足かせのように題名を決めました。
ところが、この物語は前半部分で主人公が逃げ出すのですが、後半は運命に立ち向かっていきます。その主人公の生き様について、推敲をしながら、僕は考える様になりました。
――なぜ?
そうした問いかけは、とても哲学的で、人間の存在について考えさせられたりします。そうした「なぜ?」に答える様にして、状況の描写や、精神的な変化を表現しました。主人公の成長を感じて欲しかったのです。その所為で、結構文字数が多くなりました。従来よりも、七万字ほど長くなりました。描きたいことを丁寧に書いたつもりです。
どの様に感じて頂けたかは、読者のあなたにお任せするしかありません。喜んで頂けたのなら幸いです。
この後、外伝のエピソードをひとつ追加します。本編を面白いと感じて頂けたのなら、同じように楽しんで頂けると思います。
こんなにも長い物語に付き合って頂き、ありがとうございました。