第130話 お食事会
冬の寒さが収まり、すっかり春めいてきたある日。
私のもとに、ハノーヴァー家から一通の手紙が届いた。
真っ白な封筒には蝋で封がされ、そこにハノーヴァー家の家紋が押されている。
差出人は、ジェラルド・ハノーヴァーとあった。
手紙を手にした瞬間、心臓が大きく暴れ出す。
実はお父様からの手紙を受け取るのは二回目だ。一回目は、私とエリックさんの婚約の話をお父様が公表してしばらしてから。正式に、この婚約を受けてもらえないだろうかという手紙をいただいていた。
でもそのときはどうしていいのかわからなくて狼狽するばかりで、サブリナ様に相談したんだ。
サブリナ様は「あなたが承諾しないかぎり話は前には進まないから大丈夫よ」と宥めてくださり、一緒に文面を考えてお断りのお手紙を書いて返した。
でも、そのあと、それに対して何の返信も来てはいない。私のお断りの意志を了承するともしないともどちらの答えも聞くことなく、いままで宙ぶらりんになったままだった。
この手紙には、その返事が書いてあるんだろうか。
それとも、この前フランツが出したという絶縁状に対する何かしらが書いてあるんだろうか。
震える手でなんとかペーパーナイフをあてて封筒を開けると、中には一枚のすかし入りの美しい便せんが入っていた。
気持ちを落ち着かせるために、ひとつ深呼吸してからゆっくりと便せんを開く。
でも、そこには拍子抜けするほど短い文が書いてあるだけだった。
今度の週末の夜に、王都にあるレストランで食事会をしたい。ひいては貴方にも是非とも参加してほしいのだが都合はいかがか。そんな内容だった。
最後には、ジェラルド・ハノーヴァーとサインもある。
「食事会……? それもお屋敷じゃなくて、街のレストラン?」
単に親睦を広げるためにお食事をしましょう。そんな会じゃないことは、私にもわかる。そこで何かしらのお父様の判断がくだされるのだろう。
行かないわけにはいかない。でも、まずはフランツに相談してみなくちゃ。
そこで翌日、騎士団本部で彼をみつけるとすぐに金庫番室に連れ込んだ。こんな話、他の人に聞かれたら何を噂されるかわからないものね。
「フランツ、あのね。昨日、お父様から手紙をもらったんだけど……」
そう切り出すと、フランツは「ああ」と驚いた様子もなく頷いた。
「今度の週末、一緒に食事しようってやつだろ? どうやら、エリックとターニャさんも呼ばれてるらしい」
「え、ええええ!? ターニャさんも!?」
「うん。そこで、なんらかの話があるんだろうな」
「そ、そうだよね……」
不安に顔を曇らせていると、フランツが私の頭を優しく抱き寄せた。
「父さんが何を言おうと、俺の気持ちは変わらない」
愛しそうに見つめられて、私の顔にもようやく笑みが戻る。この手紙を受け取ってからというもの、次の食事会のことを思うと胃に鉛を流し込まれたみたいに重くなっていたから。
「うん。私も」
そのままフランツの顔が近づいてきて、私も目を閉じたときだった。
「カエデ! ちょっと帳簿をみてほしいんだ!」
勢いよくドアが開き、ベルナードが飛び込んで来た。
慌てて私はフランツと離れる。でも、遅かったかも。うわあああ、油断してた。見られたかもしれないと思うと、急に顔が熱くなってしまう。
ドアを開けたかっこうのままかたまるベルナードに、つい恥ずかしさの裏返しで声をあげた。
「部屋に入るときは、ノックしてくださいっ!」
「ご、ごめんなさいっ!」
ハッと我に返ったベルナードは急いでドアの外に出ると、今度はコンコンとノックをしてくれた。
もう、いまさら遅いんだからっ!!
そして週末。いよいよ食事会の日がやってきた。
夕方、サブリナ様の屋敷にラーゴに乗ってやってきたフランツとともに、馬車でレストランへと向かう。
でもね、でもね。
レストランっていうから、街の小洒落た洋食屋さんくらいのものをイメージしていたの。
でも、着いたところは予想とは全然違っていた。
王城にほどちかい場所にあるそこは、小城のような建物だったんだ。白亜の美しい石造りの建物で、敷地の周りを良い香りの薄黄色の花が咲き誇る生け垣がぐるっと囲んでいて、豪奢な門の両側には怖そうな門番が立っている。
「え、え……ここで食事会するの?」
馬車の窓からラーゴに乗るフランツに声をかけると、
「ああ、そうだよ。ここは昔、王族の別邸だったらしくて、いまは他国の要人の接待とかに使われてるんだ」
そう教えてくれた。一般人が入れる場所ではないではない。いわゆる迎賓館というやつだ。
しまった、うっかり忘れてた。ハノーヴァー家は王国の名家の一つで、莫大な財産をもつという貴族の家柄だった。
私的に迎賓館を貸し切るなんてわけないのだろう。
車寄せで馬車を降り、恭しく案内してくれる燕尾服の案内係について中に入ると、高いホールの天井には立派なシャンデリアが悠然と輝いていた。
王城の中と装飾が似ているけれど、こちらの方が幾分豪華だ。
さすが、他国の要人を歓待するための施設だけある。
私たちはそのまま三階の一番奥にある部屋へとつれていかれる。
そして「フランツさま。カエデさま。おつきになられました」と案内係が室内に声をかけたあと、その大きな両開き扉が開かれた。
扉の向こうには白いテーブルクロスのかけられた長テーブルが置かれており、その右側にハノーヴァー婦人とリーレシアちゃん。左側にはエリックさんと、ターニャさん。
奥にはお父様のジェラルドさんが既に席についていた。
みんなの視線がいっせいにこちらに向く。私はあわあわと固まってしまったのだけど、隣に立っているフランツが右手を胸にあてて丁寧に腰を折った。
ハッ、そうだ。まずは挨拶だった! 慌てて私も足を折ってスカートをつまむ淑女の挨拶をする。
すると、お父様が手のひらでテーブルの左手を示した。そこに二人分の席が用意されている。
フランツは自然な足取りでそちらへ歩いて行くけれど、私は緊張のあまり動きがぎこちなくなってしまっていた。長いドレスの裾を踏んでしまわないように気をつけながらなんとかたどり着き、給仕係さんに椅子を引いてもらって腰掛ける。
向かいの席ではリーレシアちゃんがにこにこと無邪気な笑顔を向けてくれていた。その隣では婦人が穏やかに微笑んでいらっしゃる。
一度しかお会いしたことないけれど、お二人と楽しくお茶をしたときのことを思い出して、私の頬の緊張もわずかにほぐれた。
すぐに給仕係さんが各人のグラスにワインを注ぎはじめる。リーレシアちゃんのグラスには果実水が注がれていた。
「それでは、我がハーノーヴァー家の繁栄を願って」
お父様がグラスを掲げて言うのに合わせて、私たちもグラスを掲げて乾杯する。
たぶんとっても高級なワインなんだろうなと思うけど、何の味も感じなかった。
前菜が次々と私たちの皿の上に運ばれてくるけれど、誰も話さないから緊張ばかりが高まっていく。
一つ目のお皿を食べ終わったころ、ようやくお父様が話を切り出した。
「今日はよく来てくれた。どうか食事を楽しんでほしい」
お父様がハノーヴァー婦人に視線を向けると、彼女はこくりと柔らかくうなずく。それにうなずき返して、お父様は声を整えるように咳払いをひとつした。
「エリックとフランツ。今日は、お前たちに話しておかなければならないことがある。あの絶縁状の件だが……」
お父様がそう話し始めたときのことだった。
突然、扉が激しく叩く音が室内に響いた。
「何だというのだ!」
話を遮られて少しイラッとした口調でお父様が扉の向こうに声をかけると、給仕係さんが開けた扉の向こうから一人の少年が転がるように駆け込んできた。
水色のシャツと金色のさらりとした髪の少年は、テオだった。
彼は一礼したあと、フランツの前に走り寄ると膝をついて頭を垂れる。
「フランツ様! 団長から、至急、騎士団本部へ参集するようにとの伝言です!」
驚いたフランツは音を立てて椅子から立ち上がる。
「え、団長が?」
息をはずませながら顔を上げたテオの額には玉のような汗が浮かんでいた。よほど急いでここまで来たのだろう。
「はい。王都内で多数の正体不明の亡霊が現れ、人々を襲っております。西方騎士団及び東方騎士団は総力をあげて事態の収拾にあたることになりました」
亡霊……。
その一言で脳裏に浮かんだのは、王弟が残したという呪いの言葉だった。