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第129話 ジェラルドの苦悩

 ハノーヴァー家の当主、ジェラルド・ハノーヴァーは屋敷にある執務室の椅子にもたれて深いため息をついた。


 目の前のデスクには、二通の手紙が置かれている。


 一通は、長男のエリックが書いたもの。

 もう一通は、次男のフランツが書いたもの。


 二通とも内容はほぼ同じものだ。

 手紙には、ハノーヴァー伯爵家との絶縁を希望する旨が記されていた。


 二人が絶縁してしまえば、この家の跡取りはまだ幼いリーレシアだけとなる。

 しかし、あの子だってこれからどう成長するかわからない。上の兄たちと同じ道を歩むことだって充分に考えられた。


 再び、ジェラルドの口から深い息が漏れる。


「ハノーヴァー家の繁栄のためには、こうするのが一番良いはずなのだ」


 それなのになぜ、息子たちは自分の考えに従わないのだろう。


 他家の子どもたちは親の言うとおりに政略結婚なり、跡取りとなるなりしているじゃないか。そう戸惑っていた。


 しかし、ジェラルドは気づいていない。


 彼がいままで我が子との間に親子といえる深い絆を築くことをおろそかにしていたこと、それゆえに子どもたちはそれぞれ自力で自分の道をみつけ、既に歩き始めていることに。


 フランツは、エリックとカエデの婚約話を白紙に戻し、自分とカエデの結婚を認めてほしいと食い下がってきた。何度拒絶しても会おうとしてくる。会えなければ毎日でも手紙を送ってくる。


 ジェラルドとハノーヴァー家を避けて騎士団に逃げたあの子が、そこまで食い下がってくるだなんて予想外だった。いつものように、諦めた顔をして素直に従うだろうと考えていた。その読みの甘さを今更ながら思い知らされる。


 そして今度は絶縁状だ。


「カエデとの結婚を認めてください。認めてくださらないのなら、親子の縁を取り消してほしいのです」と言って絶縁状を渡してきたフランツは、もはやジェラルドの知っている気弱な青年ではなかった。


 まっすぐにジェラルドをみつめる鬼気迫る顔。


 アレはあんな顔をする人間だったかと、驚いた。思わず、将軍と呼ばれていた父の姿をそこに見た気がした。


 そのとき、コンコンと部屋の扉がノックされる音でジェラルドの意識は思索から引き戻される。


 ついで、「フローリアです」と妻の声が扉の向こうから聞こえてきた。


「あ、ああ。入れ」


 ガチャリと音を立てて扉が開く。顔を出したのは、妻のフローリア。


 その後ろから十歳のリーレシアもおそるおそる顔を覗かせる。しかし、リーレシアは強ばった表情のまま軽く淑女の礼をすると、すぐに部屋から出て行ってしまった。


 リーレシアはジェラルドに懐いてはいない。彼女が七歳のときにジェラルドが勝手に親子ほども年の離れた侯爵家の長男と婚約を進めようとしたところ、それを快く思わなかったフローリアがリーレシアを連れて家をでて以来、二人は別荘で暮らすようになってしまったのだ。


 それだって家のことを思って最善の選択をしたつもりだったが、あれきり二人は別荘から戻って来ない。


 そのフローリアが、静かにジェラルドの元へと歩み寄ってくる。


 いつもは優しくはかなげな彼女の表情がいまは硬く引き締まっていた。そして開口一番、彼女はこう言った。


「エリックとフランツの話は聞きました。あなたは、また同じ過ちを繰り返すのですか?」


「どうしたらよかったというのだ。私は家にとって、最善の選択をしたまでだ」


 ジェラルドは呻くように返した。


 先日、カエデの噂をまた聞いた。今度は、没落寸前だったワーズワース劇場を建て直したというじゃないか。


 彼女の知識と経験はこれからのハノーヴァー商会、ひいてはハノーヴァー家にとって必要なものだ。他の誰にも手渡すべきではない。


 だからこそ、エリックと結婚させ、この家と商会を継がせようと思っていた。


 フランツと一緒にさせれば、カエデを騎士団に取られてしまうだろう。それだけは避けなければならなかった。


 事実、トゥーリ子爵家とシュルツスタイン侯爵家からはエリックとカエデの婚約へ異議の文書が届いている。両家は騎士団の重鎮たる家柄。最近、カエデを養子にしたトゥーリ家から反応があるのは当然のことといえたが、侯爵家が伯爵家の婚姻に異議を唱えるなんて前代未聞のことだ。


 それだけカエデを騎士団から離したくないのだろうとジェラルドは思った。


「支店がな……」


 ジェラルドはぽつりと呟く。


「支店、ですか……?」


 なぜいま、そんな話を? とフローリアが怪訝な目で見る。それでもジェラルドは話を続けた。


「カエデの言うように、帳簿の様式をすべての支店で統一することにしたんだ。そして、それを定期的に提出させて、支店の業績を公平に評価するようにした。そうしたら、それぞれの支店の抱える問題を細かく捉えられるようになってな。支店の方も、私につぶさに見られるということで意識が変わったんだろう。どの支店ものきなみ業績があがっている」


 そこで、小さくジェラルドは息を吐いて視線をデスクの上の二通の絶縁状に落とした。


「しかし……子どものことは支店のようにはいかないものだな……管理しようとすればするほど、思い通りにさせようとすればするほど離れていってしまう」


 そこに、クスリという笑い声が聞こえる。


 驚いて視線をあげると、フローリアがクスクスと小鳥のようにかろやかに笑っていた。


「当たり前じゃないですか。子どもたちはみな自分の意志をもっていますし、日々成長していきます。エリックもフランツも、そしてリーレシアも」


 彼女は穏やかな笑みをたたえてジェラルドを見る。


「三人とも、健やかに成長していますよ。それに、エリックとフランツはあなたの若い頃によく似ているじゃないですか」


 ジェラルドは目を見張った。


「私、にか……?」


「ええ。将軍職にあったお父様はあなたを騎士団に入れようとしたでしょう? でもあなたに武芸の才はなかった。だからあなたは、それとは違う道でお父様に自分を認めさせようと血のはくような努力を続けて商会をたちあげ、ここまで大きくしたんじゃないですか。エリックもフランツも、若いときのあなたと同じように自分で自分の道を見つけ、自分の足で歩いています。それこそ、ハノーヴァー家の血筋のように私は思うのですけれど」


「そ、そう、か……」


 そんな風に考えたことはなかった。しかし、言われてみるとジェラルド自身も三十年前、同じように父に反発して自分の道を開拓しようともがいたんじゃなかったか。


「だけど、あなたは商会が大きくなるにつれて、家と商会を守ることだけに夢中でどんどん頑なになっていってしまいました。それを変えられず、私もあなたから逃げてしまったことをいまは悔やんでいます。だからこそ、今日ここに、私の考えを伝えにきたんです」


 フローリアの柔らかな瞳に、すっと強い光が宿ったようだった。


「私は、エリックとターニャさんの結婚も、フランツとカエデさんの結婚も、どちらも歓迎していますわ。カエデさんとは一度お会いしてるけれど、とてもいいお嬢さんでしたもの。ターニャさんとも近々別荘に招待してお話ししてみるつもり。そして、リーレシアもいつか自分で見つけた相手をつれてきてくれるのを楽しみにしてるの。ジェラルド。他家がどうかなんて、どうでもいいことじゃない。うちの子たちは家に縛られなくても自分で生きていける。そしてそんな子たちだからこそ、ハノーヴァー家をより強く発展させていってくれるんじゃないかしら」


 そうはっきりと口にするフローリア。


 いつも花のようにはかなげに笑っているだけの女だと思っていた。リーレシアの婚約話に反対したときだって、ただ別荘に逃げるように引きこもるだけだった。


 そんな彼女が、こんなにはっきりと自分の意見を言い、まっすぐにぶつけてくるなんて思いもしなかった。


 エリックとフランツの絶縁状の話を聞いて、このままではいけないとこうして別荘から出てきたのだろう。


 人は、変わるのだ。誰かを守ろうとするときに、より強く激しく変わるのだ。

 フランツがそうであったように。フローリアがそうであるように。


「私も、変わらなければならないのかもしれないな……」


 そんな言葉がジェラルドの口からこぼれ落ちた。



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