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第124話 劇団の悩みと金庫番の出番

 私はフランツのシャツをついついと引っ張ると、


「フランツ。私、ターニャさんにもう少し聞いてみたいことがあるんだけど、話せないかな?」


 と頼んでみた。


「ターニャさんと?」


「うん。劇場の経営のことでもう少し詳しい話が聞ければ、何か力になれることがあるかもしれないって思ったの」


 するとエリックさんが、


「それなら、舞台裏に行ってみるといいよ。ひととおり挨拶が終われば、裏にある団長室に戻っているだろうから」


 と教えてくれ、そのうえ団長室まで案内してくれることになった。


 エリックさんは脚本家という立場上、舞台裏にも何度か入ったことがあるようだ。

 彼に案内されて私とフランツは『関係者以外立ち入り禁止』と書かれたドアから劇場の裏側へと回る。


 でもそちらは、表の客席や舞台よりもさらに老朽化が激しかった。ところどころ床板が腐って踏み抜いた跡がそのままになっているし、天井には雨漏りのシミがたくさんできている。


 私たちは従業員用の細い通路を抜けて、その奥にある両開扉の前までやってきた。


「ここが、ターニャのいる団長室だよ。僕は表で待っているね」


 と、エリックさんは私たちをここまで案内したあとすぐに帰ろうとする。


「え、兄さんも一緒に来ないの?」


 フランツがそう尋ねるとエリックさんは弱い苦笑を返してきた。


「僕がいると、ターニャをまた怒らせかねないからね。それじゃあ、またあとで」


 そう言って、エリックさんは今来た道を一人で戻っていった。

 私はフランツと目を見合わせたあと、小さく頷きあってからコンコンと扉を叩く。


「さきほどご挨拶しました、カエデ・クボタです。もう少しお話ししたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」


 少ししてから、中から「はーい、どうぞ」という声が返ってきた。

 ノブを回して扉を開けると、そこは執務室といった感じの質素な部屋だった。金庫番室にもよく似ている。手前に応接セットがあって、その奥に古そうな大きなデスク。


 ただ一つ違う点は、壁にたくさんの絵が飾られていたことだ。どれも古そうな絵だけれど、劇場の輝かしい日々を描いたもののようだった。


 先ほどターニャさんが着ていたドレスは壁にハンガーでかけられている。


 普段着のワンピースに着替えたターニャさんは、奥のデスクにつっぷしていた。

 私たちが部屋に入ると、彼女はのっそりと顔をあげる。長く赤い髪がさらさらと流れ落ちた。


「ああ、すみません。お客さんにこんなところを見せてしまって……」


 彼女の頬は濡れていた。泣いていたようだ。その涙のあとをハンカチで軽く拭うと、こちらににっこりと笑顔を向ける。


 それは、さっきまで泣いていた人とは思えない明るい笑顔だった。さすが、女優さんと内心びっくりしていると、ターニャさんが手前のソファを手で示して「どうぞ、座って」と促してくれる。


「あ、あの、すみません。お取り込み中でしたら、また出直しますので」


 うっかり彼女が一人で泣いているところを見てしまったことが申し訳なくて、すぐに部屋を出ようとすると、


「待って! ……お願い、いかないで。いま出ていかれたら、あまりの惨めさにもっと悲しくなってしまうわ」


 自虐気味に口端をあげるターニャさん。そう言われると出て行くわけにもいかなくて、フランツとともにソファに座る。その向かいにターニャさんも腰を下ろした。その動作ひとつとってみても、洗練されていて綺麗だなとつい見とれてしまいそうになる。


「ごめんなさいね。紅茶でも煎れてさしあげたいけど、あいにく茶葉を買う余裕すらないの」


「い、いえ、そんなっ。お気遣いなく」


「それで、お話というのは何かしら」


 ターニャさんはエリックさんにしたような頑なな態度を私たちにも示すようなことはなく、穏やかに話を聞こうとしてくれた。


「ご存じの通り、私は西方騎士団で金庫番の仕事をしています。もし何か資金繰りの件で力になれることはないかなと思いましてこちらへ伺いました」


 そして、もしお嫌でなければ、劇団の経営状況について話を聞かせて欲しいと率直に伝えてみた。


「といっても、私はエリックさんのように財産があるわけでもないので、何ができるかはその、実情を聞いてみないことには何もまだ思いつかないですけど……」


 ターニャさんは私の話を聞きながら、黙って何かを考えているようだった。


 そうだよね……。一度公演を見に来ただけの客に、内情なんて気安く話してくれるわけないよね……。いくら力になりたいと思っても、この劇団の経営者である彼女の許可がなければ何をするわけにもいかないもの。


 ううん。本当は、自分が抱えている婚約だとかそういう問題から一時でも頭を別のところに向けたくて、この劇団の経営難の話に飛びついたのかもしれない。だとしたら、最低だな、私……。沈黙が長く続くと居たたまれなくなって、どんどん気持ちが後ろ向きになってくる。やっぱり差し出がましい真似をするんじゃなかったと悔やみ始めたころ、それまで黙って隣で見守っていてくれたフランツが口を開いた。


「俺も吟遊詩人の『黒髪の乙女』の歌は聞いたことがあります」


「聞いたことあるのっ!?」


 驚く私に、フランツはハハと小さく笑う。


「前にクロードと一緒に街に呑みに行ったときに、たまたまね」


 そして、彼はソファに座り直すとターニャをまっすぐに見つめた。


「あの歌は確かにカエデの偉業を歌い上げていました。だけど、カエデが西方騎士団で起こした奇跡はあんなものじゃないんです。カエデがいなければ、遠征の途中で西方騎士団は壊滅していただろうし、俺自身も生きて王都に帰ってこられなかったかもしれない。プランタ・タルタリカ・バロメッツで破壊された村を救えたのも彼女の力があったからこそです。カエデはその知識と経験で数々の奇跡を起こしてきました。だから、この劇場にだって奇跡を起こせるんじゃいかって俺は思っています」


 真摯に紡がれたフランツの言葉。

 彼が私のことをそんな風に思っていてくれたなんて知らなくて、つい目が潤みそうになる。何度も瞬きをして堪えていたら、ターニャさんが「わかったわ」と小さく呟くのが聞こえた。


「じゃあ……」


 顔を上げて彼女を見ると、にっこりと綺麗な笑顔を返してくれた。


「ええ。この際だから、あらいざらいなんでも見せてあげることにするわ。この劇場にも奇跡……なんてものじゃなくてもいいから、一人でも二人でもいいの。お客さんが戻ってきてくれたら嬉しいわ」


 そうと決まったら、あとは早かった。


 ターニャさんは私が見せてほしいといった書類は何でもみせてくれて、経営のことで教えてほしいと言ったことは何でも話してくれた。ターニャさん自身ではわからないことは、わざわざ分かりそうな他の団員さんを捕まえてきて話を聞かせてくれた。


 それで、いろいろなことが見えてきた。


 この土地と劇団はターニャさんの一家が代々継いできたものだということや、近所に華やかな新劇場ができてからそちらに客を奪われてより一層減収に拍車がかかってしまったこと、大道具さんたちと小道具さんたちとで劇場を少しずつ手直ししてきたものの資材を買うお金がなくてあまり進んでいないことなどが分かってきた。


 特に深刻なのは、ここ数年ほど赤字を補填するために高利貸しから多額のお金を借りており、自転車操業でやってきたがそれもそろそろ限界に近づきそうなことだった。


 さっきターニャさんが泣いていたのは、いよいよ高利貸しから次に返済が滞ったらこの劇場の建物と土地を譲ってもらうという最後通告が来たからなんだって。


 要は、お金があれば解決することはたくさんあるのだ。


 ここはやっぱり、資金集めが肝心らしい。


 資金があれば劇場を改修することができる。そうすれば、お客さんも取り戻せるだろうし、収入もあがって衣装や舞台にもお金をかけられる。いままでの負のサイクルを断ち切って、良いサイクルが生まれるのだ。そうすれば過去の栄光も取り戻せるに違いない。


 紙に聞き取った内容をメモして、それを睨みながらどうお金を集めようかとウンウン頭を悩ませていたら、突然誰かに頭を撫でられた。

 見上げると、フランツが心配そうな顔をして見ている。


「根詰めすぎないようにな。もうとっくに日も暮れたし、そろそろ送ってくよ」


 ハッ、そういえば窓の外はすっかり暗くなっている。室内を照らしているのは蝋燭の明かりだけ。


「あああ、すみませんっ。蝋燭代、あとで払います!」


 紙を鞄にしまいながら慌てて謝る私に、ターニャさんは優しく微笑んだ。


「いいえ、そんなのいいのよ。私の方こそ、そんなにうちの劇場のことを真剣に考えてもらえて実は嬉しかったの。それにしても、あなたたち本当に仲よさそうよね。結婚の日取りはもうすぐなの?」


 なにげなくかけられたターニャさんの言葉に、私とフランツはウッと息を呑む。

 そして二人で目を見合わせたあと、フランツが私たちの複雑な事情を話してくれた。

 ターニャさんは信じられないという表情をしたあと、私をぎゅっと抱きしめた。


「それは、辛かったでしょう。これだから、貴族は嫌いなのよ。金と権力で、なんでも自分の思い通りになると思ってるんだから。……あ、ごめんなさい。貴方はエリックの弟さんだったわね。貴方のことを悪く言うつもりはなかったの」


 フランツは小さく苦笑を返す。


「いえ、実際そういう貴族も多いですから」


「エリックのこともね、彼自身のことを悪く思っているわけじゃないの。でも、貴族の愛人になって金を工面してもらって劇場を生きながらえさえたところで、そんなの私たちの伝統を捨てるようなもの。貴族がパトロンになっている他の劇場と変わらなくなってしまったら、この劇場の存在意義なんてなくなってしまうのよ」


 寂しそうにそう言うと、ターニャさんは私を離してくれた。

 エリックさんはターニャさんを愛人にしたいとかそういうつもりはなくて、ただ一途に想い続けているだけなんだとは思う。


 でも、世間一般的には貴族が庶民の女性を囲うのは『愛人』枠であって、正妻は家柄的に釣り合う相手を選ぶものなのだろう。

 そこでふと、私自身も身分なんて無いも同然の馬の骨だったことを思い出した。


「……もしかして、私も愛人枠だったの?」


 そんな疑問をフランツに投げると、彼は吹き出すように笑い出す。


「そんなわけないじゃん。俺はカエデ以外の人を伴侶として迎えるつもりないし」


 きっぱりと答えたフランツの言葉にホッと胸を撫で下ろす。


「よかった」


「そんな器用なタイプだと思う?」


「ううん。全然思ってない」


「だろ?」


 言葉を交わして笑い合っていると、ターニャさんが眩しそうに目を細めた。


「貴方たち、本当に仲が良いのね。私、応援してるわね。いつか二人が結ばれたら、そのときは是非、うちの劇団で公演させてくれないかしら! そうなったら誰かに脚本書いてもらわなきゃ。えっと、誰がいいかしら……貴族の生活にも詳しいような脚本家って……」


 貴族の生活に詳しい脚本家? それって、あの人しかいないんじゃないかしら。


「エリックさんに依頼するのがいいんじゃ……」


 すると、ターニャさんは、それだ! という顔をした。


「ぴったりじゃない。あの人の書く脚本はどれもドラマティックですごいのよ。ついでに、貴方たちの恋路を邪魔する兄役で登場してもらいましょう」


 ターニャさんがそんなことを言い出すものだから、つい私とフランツも吹き出してしまった。


 でも、ターニャさんの口ぶりからはエリックさんのことは嫌っていない様子がうかがえて、ちょっと嬉しかった。たぶん、身分の差だとか、お金のこととか、そのあたりが引っかかってるだけなんだよね。きっと。

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[一言] パトロンという名のスポンサーの存在など当たり前の話だと思うのだけどねえ。 愛人云々といったことに引っ掛かっているのかもしれないけど脚本を書いてもらっている程度には親しいのに今更って話だし、総…
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