第117話 フランツの父、ジェラルド
私はフランツのあとについて食堂へと足を踏み入れる。
この部屋も他の部屋と同様に凝った装飾がなされ、大きなフレスコ画が描かれた天井からは煌びやかなシャンデリアが下がっていた。食堂……というともっと簡素なものをイメージしていたけど、ちょっとしたパーティくらい充分開けそうなお部屋だった。
その部屋の真ん中には白いテーブルクロスのかけられた長いテーブルが置かれている。
窓側におかれた椅子のひとつをフランツが引いてくれたので、私はそこに腰を下ろした。もちろん、フランツもその隣に座ってくれる。
一人だったら絶対胃が痛いのを通り越してお腹痛くなってきそうだけど、隣にフランツがいてくれるだけで自然体になれる気がした。
「フランツはいつも、こんなすごいところでご飯食べてるの?」
つい高い天井を眺めながら尋ねると、フランツはあいまいな苦笑を返してくる。
「まあ、だいたいね。でも、父さんとはお互いほとんどしゃべらないし、兄のエリックは身体が弱くて部屋からでられない日も多いから。ほとんど一人で喰ってるようなもん。騎士団の食堂とか、駐屯地の大焚き火の前で食べる方がずっといい」
「そっか……」
こんな豪華な屋敷に暮らしているのに、フランツにとってはあまり居心地のいい場所ではないんだろうな。
そう思うと、部屋の広さが余計にがらんと空虚なものに思えてしまう。なんだか、彼にとっては贅を尽くした豪華な檻のように見えているのかもななんて思うと、ちょっとやるせない。
「あれ、ちょっと待って。もし結婚したらさ、私もここに住むことになるんだけ?」
結婚に至るまでの壁が大きすぎて、そのあとのことは全然考えていなかった。こんな巨大なお屋敷、絶対毎日迷子になる自信ある!
いまになってそのことに気づいておろおろしている私に、フランツはくすりと笑みをこぼした。
「俺がこの家を継いだらそうなるかもだけど、まだどうなるともわかんないから心配しなくても良いと思うよ?」
そっか。まだ、誰がハノーヴァー家の跡取りになるか決まってないんだっけ。長男のお兄さんは小さいころから病弱だって言うし、フランツはお母さんが腹違いだし、妹のリーレシアちゃんはまだ小さいものね……。
そんなことを話していたら、ギィと音を立てて食堂の扉が開いた。
扉から一人の男性が入ってくる。メイドさんたちもみな深く頭を下げて彼を迎えた。
フランツと共に立ち上がると、私も片足を下げてスカートをつまむレディの挨拶をする。
入ってきたのは、五十過ぎの金髪の紳士。一分の隙もなさそうな厳格な雰囲気をまとって、姿勢良く堂々と歩いくる姿はそれだけでもう威圧感を覚えてしまう。
彼には以前一度だけ遠目に見かけたことがあった。彼が、ジェラルド・ハノーヴァー伯爵。フランツのお父様だ。
フランツとは雰囲気がかなり違うからだろうか、髪や瞳の色は同じなのにあまり似ている印象がない。
それから少し遅れて、食堂にもう一人の男性がやってくる。
そちらは二十代後半とおぼしき細身の男性だ。柔らかく金糸のような髪に優しげな目元、肌も透き通るように白くて、どこか芸術家のような印象のはかなげな人。彼がフランツのお兄さんだということはすぐにわかった。
身体が弱くてずっと部屋にこもりっきりと聞いていたから、まさか今日同席してくれるとは思ってなかった。それにしてもこうやって家族が並んでいると改めて感じるけど、つくづく美形揃いの一族だよね。
お父様が一番上座につき、お兄さんはフランツの向かいの席についた。
最初に会話の口火をきったのは、お父様だった。
「今日はよく来てくれた。私は、ハノーヴァー家の当主、ジェラルド・ハノーヴァーだ」
それにあわせて、お兄さんもにこりと優しげな笑みを向けてくれる。
「僕はフランツの兄の、エリック・ハノーヴァーです。僕も同席させてもらっていいかな。今日は比較的体調がいいんだ。それに、フランツが女性を連れてくると聞いたら部屋に籠もっていられなくて」
「無理しなくてもいいのに……」と、ぼそっと返したのはフランツ。でもその言葉にトゲのようなものは感じられず、むしろ体調を気遣うような口ぶりだった。
良かった。お父様とはともかく、お兄さんとはそれほど仲が悪いわけじゃないんだね。二人の兄弟のやりとりをもっと見ていたかったけれど、私はまだやらなきゃいけないことがあるんだ。
お父様とエリックさんに視線を向けると、にこやかに笑顔を作る。
「カエデ・クボタと申します。西方騎士団で金庫番を仰せつかっております。後見人は、西方騎士団筆頭ヒーラーのサブリナ・トゥーリ子爵夫人です。今日は良き日にお招きいただき、誠にありがとうございます」
よしっ、なんとか噛まずに言えたっ。昨日サブリナ様と一緒に考えた挨拶の言葉。心の中で何度も練習してきた自己紹介の台詞を無事に言えた安堵でほっとしていると、お父様は深く頷いて手をさっと前にだす。
それが着席して良しの合図。私たちが席に着くとさっそく執事さんがグラスにシャンパンを注いでくれた。
乾杯を済ませれば、次々と前菜が運ばれてくる。盛り付けもとっても洗練されてて、使われている食器も美しい工芸品のようなものばかり。
でも、今日はじっくり味わう余裕なんてあるんだろうか……。