ふれあい
「おお、わが愛しき孫娘よ!!よくぞ来た!ほれ近う!とく顔を見せよ!」
「…孫娘じゃねえよ」
城の南東角に建つ独立した離れは、ひいひい爺さんが新婚時代を過ごすために建てたもので、ひい爺さんをぬかして爺さん一家も暮らしていたそうだ。
だが、今いるのはオレの爺さんではない。
一般的な爺さんですらない、二十代後半くらいのキラキラしたイケメンマッチョだ。
そのとろけたハチミツような金の瞳が重なるほどの至近距離でオレの目の中を覗き込み、そしてスッと眇められた。
「なんじゃ小僧か!紛らわしい色をしおってからに!」
「わかったら離れろ」
「嫌じゃ。久しぶりに逢うたのに違いはない。儂をこんな狭苦しい小屋に閉じ込めておいて、一体どこに行っておった?んん?」
確かに、しばらく見ない間にだいぶ透けている。
オレに抱きついているうちに少しずつ色が戻っているようだが、こちとら気分が悪い。
こいつの名はウザオ。
「オザムじゃ」
生前は『大国の王』であったと言い、天寿を全うしたはずだが気付けばあちこちを漂泊していて、いつ頃からかこの地に引き寄せられて来たそうだ。
『国』や『王』なんてものが存在したのは帝国以前、千数百年以上前のことで、本人の談を信じるならば千数百年以上ずっと彷徨っている霊ということになる。
そんなのはもう自然の一部として放っておきたいところだが、なぜかオレのことを孫娘だと誤認してまとわりつき、たまに癇癪を起こしては雷を落とすので、仕方なく封印してなだめていたのだ。
「ウザム、こっちの都合ばかり押し付けて悪いけど、あんたを開放したいんだ」
「なに?」
「できれば、そうだな…、あんたの元いた『国』が何処だか分かれば連れて帰ってやっても」
「小僧め貴様――!わが安鎮の宮を立ち退けと申すか!」
「えーだって、狭苦しいって言ったじゃん」
しまった、いきなり癇癪を起こさせてしまったようだ。
豹変したウザオの長い髪が雷光をまとって金色に輝き、風もないのに後ろへなびく。
「ならぬならぬ!!儂を見放すなどならぬぞ!!――外は怖ろしい…怖ろしいものが儂を捕えにくる…!嫌じゃああああ――!!」
頭を抱えて泣き叫ぶと同時に離れの外にも雷鳴が轟き、天変地異みたいな土砂降りの雨が落ちて来た。
「わかった!わかったから!ごめんて――――!!」
◇
『というわけで、自然に帰すのは無理でした』
『そう、各地で道路が冠水したのはあなたのせいだったのね』
『悪霊のせいです』
『そう。準備室のテントも被害を受けたので、しばらくお城へ行けません。そちらはそちらで進めておいて下さい。以上』
『承知しました』
◇
さて、進めると言っても、オレが捕獲したウザオ以外は本当に把握できていないのだ。
なぜなら師匠には霊とか見えないからである。
人には向き不向きというものがあって、師匠のチカラは治癒特化、それも患者の傷病を一部引き受けるというリスキーなやつだ。
その分、一定の手順で一定の効果を得る呪術とは相性がよく、今じゃ協会一の呪術大家として、何人も弟子入り志願者がいるらしい。
才能あふれる一番弟子であるオレが、ちまちました呪術が得意じゃないというのは何とも皮肉なことである。
話を戻せば、生来霊能系のチカラの無い師匠は、先代から引き継いだその他の開かずの間を一律に封印するにとどめた。
先代も同様に、先々代から引き継いだ開かずの間を以下省略――。結果、箱の中身が何なのか、もはや知る者はいない。
封印された場所については、例のレース編みがぶら下がっているはずなので見れば分かるのだが、城は広大で離れや別館も複数あるし、森の中にも怪しげな建造物がいくつかある。
それをまず、いちいち全部見て回らないといけないのだろうか。
……本当に?
「そんなこと僕に聞かれてもね…」
とりあえずオレは、最古参であるシュガルドさんちを再度訪ねた。
ここは古くて不気味で十年分のホコリが積もったこの城の中で一番まとも、というか、かなり居心地がいいのだ。
ウザオのいる離れのほうが新しく瀟洒な造りではあるが、ホコリまみれなのは否めない。
「あんたは他の開かずの間について何か知らないんですか?」
「知らない」
「じゃあ、金髪で碧い目の女の子を見たことは?」
「それならあるよ。エリーゼにビエネッタ、シルビアもそうだし、ミラ、ヴェゼル、それから」
「あ、もういいです」
リビングと寝室を区切らない広い部屋の最奥は、一面が天井まである本棚になっていて、布張りのカウチソファーとティーテーブルが据えてある。
オレはぶらぶらとその一角へ移動し、さも興味深いかのように「ん?」とか言いながら本の背表紙を眺めてみる。
「本ならどうぞ?お茶はキッチンで勝手に、ああ、僕の分も淹れてくれる?」
「え、いいんですかあ!」
すでに勝手知ったる開かずの間である。リビングのソファーでノートPCを開いているシュガルドさんに紅茶を持って行き、自分用にはコーヒーを淹れた。
仮眠の前にコーヒーを飲むと、寝ている間にカフェインが効いて目覚めがすっきりするらしい。
つまり目的は本ではなく、あの寝心地の良さそうなカウチである。
とっ散らかった家では昨夜も結局寝られず、実はさっきから立ってても寝そうなくらい眠い。
さあ、適当な本を手に、脚を伸ばして、いざゴロン――
「アルは髪、どこでカットしてるの?」
ところが、シュガさんが、となりに、すわってる。
とっさに回避したが、危うく膝まくらするところであった。紅茶と、何かいい香りがする。
「か、髪?…は、まあ自分で」
「自分?ホントに? じゃあ僕も切ってくれない?ちょうど君みたいなボブヘアもいいなって思っててさ」
後ろで結んでいた髪を解いて、耳の下あたりをチョキにした指でつまんで見せる。
「別に…ヘルメットかぶって、はみ出たとこ切るだけなんで、自分でやれば…」
「そうなの? でもヘルメットなんて無いし僕じゃ無理だよ。待って、ハサミ取ってこなくちゃ」
「いやオレもムリだってば!」
「なんで? 適当でいいんだよ?ちょっとくらい歪んでたって気にしないから」
ハサミを持ってにじり寄るシュガーさんと後ずさるオレ。
「だ…さ」
「ダサ?」
「さわれないんで」
「さわれない??」
そう、オレは他人との物理的接触、つまりスキンシップがキモチワルイ……。
知られたからにはもうここにはいられないと、立ち上がろうとするのを、腕を取られてカウチソファーに戻される。
あれよというまに両手片脚をホールドされて押し倒された格好になっていた。
「さわってるけど?」
「多少のことなら」
大丈夫、避け難い握手やハグの対策として、長袖の服と手袋は常時装備しているのだ。
それでなくとも世の中には、悪気がないのをいいことに人の肩を掴んだり、頭や背中や尻までも不躾に触れてくる人間がいる。
相互理解とは紙に書き、何度も丸めて捨てるものだ。
「女の子とキスとかしないの?」
「するわけがない」
「へえぇ……!」
シュガーさんのオレを見る目が珍獣ハンターのそれに変わった。
なぜか既視感のある金色の瞳が至近距離に迫り、逃げようにも意外なほどの強さでソファーに押し付けられた手足はびくとも動かない。
そう思ってしまっては、自分だけどこかへ『飛ぶ』ことも出来ず、やがてオレの意識はプチッと小さな音をたてて、途絶えた。