あわや開かずの間が入ると死ぬ呪いの部屋になるところだった
わたしの後見人として、専ら連絡や面会などを担ってくれたのはドクターだった。
面会は半年に一度ほど。高級なレストランにエスコートしてくれるのはいいけれど、白衣じゃないときのドクターは黒革のパンツとロングコートに長い巻き毛をなびかせて、どこかのスターなの?って感じで人に説明しづらい。
一年中真っ黒い服ばかり着てるアルフォートといい、呪医という人達は服装に対して、なんかダメな気がする。
それはともかく、ドクターには故郷の最新ニュースや弟の近況なんかより事故のことを詳しく聞きたかったのに、いつもやんわりとはぐらかされてしまう。
ただ、開かずの間の『彼』については、お城の再生計画が決まりそうだという頃に少しだけ教えてもらった。
彼の名前はシュガルド・ゼッツ。
遠い昔、『インソムニア』を信じて悪逆非道な行いに走った当時の柊協会から逃げて来て、コーダリー家のご先祖様にかくまわれたのだそうだ。
以来数百年間、彼はお城のあの部屋に住み続けている。
――なるほど、悪霊を封じ込めたという方が、ずっとわかりやすくて信じられる。
『インソムニア』というのは不老不死の薬のことだけれど、あくまで伝説とか物語の中のもの。
彼が老いることも死ぬこともないのは、その身にそなわった『治癒』と『蘇生』の異能力のためなのだそう。
『治癒』の異能力なら、わたしもずっと小さい頃に体験したことがあった。
ころんですりむいたときや熱を出して苦しいとき、ドクターが頭をなでてくれるとスーッと涼しい風が吹き抜けて、ケガも熱もきれいさっぱり無くなってしまうのだ。
シュガー様もあんな風に、「老い」や「死」さえも無かったことにできるのだろうか。
だとしたら、その力を狙う悪人から彼を守るのが、母の言っていたわたしたちのお役目なのだろうか。
いっそ疑問は増えたけれど、それはいつかもう一度彼に会って確かめればいいことだと思っていた。
そして開かずの間の結界だか封印だかが解かれているという今なら、わたしひとりでも会いに行ける。
――はずだったのに、どうしてこうなるのよ…。
◆
「あの…ありがとうございました」
無事トイレを借りられた先輩が、いつもと違って消え入るような声でお礼を言う。
「閉じ込められるなんて災難だったねマリー。外に出られる物置き部屋があるから落ち着いたら案内するよ」
「おたっ…ま…お気遣いなく…!」
挙動のおかしい先輩をソファーに座らせ、ココアとクッキーを出してくれるシュガルドさんも、前とは別人のように親切だ。
お買い物に行って来られたのか、お高そうなスーツをシンプルなインナーでカジュアルに着こなしている。
「アルも座って。この前はごめん。僕ちょっとイライラしてたよね。改めてこれからよろしくね?」
「こちらこそ、いたりませんで」
そう言われては仕方がない。オレも素直に頭を下げて、先輩のとなりに置かれた紅茶の前に腰を下ろす。
「ついでに後で結界のやり直しをさせていただきます」
「それなんだけど、もうしばらくこのままじゃダメかな?」
「だめですね」
「なんで?今日ドクター、じゃなかった、ソアンに会ったときも言ったけど、僕は出て行くつもりはないんだよ?」
「でも勝手にお出掛けするつもりはあるんですよね?」
「…その言い方、ソアンにそっくりだね」
「…似てません」
しばし睨み合うオレ達であったが、お互い師匠に含むところがあるという点において理解し合えた。
「とにかくこっちも仕事なので。外出に限らず用があれば都度対応しますので」
「わかったよ…。けど無視とか放置はしないでよ?」
「善処します」
横から誰かの怒りを感じるが、きっと気のせいだと思う。
「間取り図は予習済みですが、一応クローゼットやパイプスペースに至るまで全て視認させて下さい」
「うん、どうぞ?」
「これまで通り人は出入りできなくなりますが、風や光、電波の類は遮りません。電気系統と水道も問題なく使用できます。
つきましては、このお茶をあと九杯欲しいんですが」
のどが渇いているんじゃない、呪術に使うのだ。
揃いのティーカップが五客だけだったので、残り四杯はプリンの空き容器とおぼしきガラスの器を使うことにした。
人は何故プリンの容器を置いておくのかは置いておくとして、部屋の正中に九つのカップを正方形に並べ、真ん中のカップ、その四方のプリンの器、四隅のカップの順に紅茶を注ぐ。
「薫れ」
お茶が気化して部屋全体に広がるイメージ。要は範囲指定であり、焚香でもアロマオイルでもいい。
「閉ざせ」
以前のレース編みがドアの前にぶら下げる虫除けみたいなものだとすれば、今回のは燻煙剤のような……。
「えっ…なに?!息が、苦し…!!」
「なんか僕も、頭が痛い気がする…」
「すいません間違えました」
うっかり黒い害虫のことを考えてしまった。
◇
「もう!せっかくシュガー様に会えたのに、バタバタしてて何も話せなかったじゃない!」
「はあ、どうもすみません」
「しかもいつの間にかこっちが年上って、なんか納得できないんだけど」
「ですよねー」
「それとあなた達の話してた内容からして、ドクターはご健在ってことでいいのよね?」
「そうですね、はい」
「持病の悪化で永眠しましたって、柊協会がわざわざ手紙で報せて来たから、わたしも弔文まで送ったのよ。わざわざね!」
「その節はたいへん申し訳なく」
「あ、そこで停めて」
いろいろあったが何とか仕事をすませたオレが先輩とともに『開かずの間』を辞したのは、じきに日を跨ごうかという時間だった。
あらかじめ夜道を送ることを考えてクルマを借りて来ていたのだが、先輩の住まいは官庁街から徒歩圏内の寮だそうで、あっという間に着いてしまった。
このまま返すのも勿体ないので、明日フーちゃんが起きたらどこかへドライブに行ってみよう。
ただ、助手席からはまだ言い足りない愚痴の雰囲気が漂ってくるのだが。
「はー仕方ない…。今日は時間も遅かったし、明日また改めてシュガー様のところへ伺うことにするわ。適当に連絡するからよろしくね」
「えー」
「えーじゃないでしょ!だいたいアル、あんた一週間なんて言って今日は何もせずにさっさと帰ってたんじゃない!」
「何もってわけじゃ…、そうだ先輩!碧い目で金髪で赤い服で、三つか四つの超かわいい女の子に心当たりはないですか?!」
「――…え?」
「いや違くて!事案じゃないです!連れまわしじゃないですって!」
真面目に仕事していたのだと主張するつもりが、奇妙なものを見る目で見られた。
しかし城で見つけたフーちゃんは、コーダリー家にゆかりがある可能性が高いと思うのだ。
オレがいた頃にはいなかったはずだから、割と最近に亡くなったイトコとかハトコとかその子供とか。
「何よそれ、ユーレイなの?そういう話今しないでよ!」
「でも誰なのかが分かればきちんと送ってあげられると思うんです」
「…わかったわ、こんど伯父様と伯母様に聞いておく。じゃあおやすみなさい」
寮の玄関を入る先輩を見送って、オレは散らかしたままの家へと帰り、マンガを読みはじめた。
寝ろよ。