小さな世界⑧
リューズはソファーに深く腰掛け、こちらに顔だけ向けている。その奥の長椅子から子供がひとり立ち上がった。
前テシオール公の孫のセトシオ。協会幹部の資料によれば、学習態度も成績も良し。見た感じも利発そうだが、やや顔色が悪いようだ。
「ケイオス先生! アルフォートが、急に具合が悪くなって……」
「弟子が迷惑をかけているようですね。すぐに連れて帰りましょう」
「生憎だけど」
リューズも立ち上がって大袈裟に腕を広げる。
「今は諸事情により外へは出られないんだ。折角だから君もこちらへ来てゆっくりしていくといい」
そういえば結界がどうとかいう話だった。
暴走の原因であるというなら排除すればいいのだろうが、どこまでが『確定』なのか判然としない。
先程の夢、仕方なく夢ということにした、その記憶はまだはっきりしているが、あまり参考になりそうもない。
少なくともゆっくりしていく気はないので、ソアンは勧められたソファーではなく、近くにあったスツールを移動して座った。
リューズの弟子であろう若い協会員が飲み物を持って来て、他の弟子たちとともに壁際に控える。
側の長椅子ではアルフォートが眠りこけていた。
「ほら、よく眠っているのに起こすのも可哀想だ。ただ残念なことに、彼は君の弟子を辞めたいらしい」
「反抗期のようですね」
「君もコーダリーとの契約は切れたはずだ。もう関わる理由も無いだろう?」
「無くはないですよ。反領主派の貴方にも、旧領主家と契約する理由があるのでしょうよ」
「ああ、それについては丁度、甥のセトシオに話していたところだよ」
セトシオは立ったまま困惑げに二人を見比べていた。
どうやらリューズとソアンは旧知のようで、それもどちらかというと不仲に見えるからだろう。
「私と彼は同期でね、昔もこうしてよく議論し合ったものだ。そう、時代が示すように旧領主家など最早不要!私の目的はその廃絶に他ならない!最も尊ぶべきは世界法であり、必然的に人類には、呪術および我々皇帝の子孫の存在を知るべき時が来ている!」
少年期のソアンが柊協会の研究所で過ごした期間は二年に満たないが、その間リューズとはずっとルームメイトで、とても面倒だったのである。
ソアンはいつも議論に巻き込まれる前に寝るなどして、あまり相手にした覚えはないのだが、それが今は、少し悔やまれる。
「では、元コーダリー公夫妻の死亡事故は、貴方の手によるものですか」
「そう思うかい? でもまあ、歴史あるコーダリーが勝手に倒れてくれたから、ひとつ手間が省けたとは言えるがね」
「そうですか」
事故はエリーゼ自身が仕組んだことではないかと、ソアンは当初から疑っていた。
そして夢のお告げによれば、アルフォートはそれをリューズの結界を通して知った。つまりエリーゼはリューズにそれを依頼したのだろう。
すべての切っ掛けは、アルフォートの異能力が発覚したことだったと思われる。
あの日倒れたエリーゼは暫くの安静を余儀なくされていて、その間にアルフォートの身柄は柊協会に移され、ロイスは州代表職を退いた。
その後、城が州に寄贈されることになり、居候であるシュガルドは円卓会議に託されるはずだったのだが、回復したエリーゼが一転してそれに反対。
夫ロイスからの説得にも応じることなく、ソアンが初めて会った頃のような頑なな態度を見せるようになった。
ただ、それはあくまで主観であって、根拠にはなり得なかったのだが……
「――んぞうに」
アルフォートが何か呟いたため、ソアンは思考を中断した。
◇
憎かった。
見下され、蔑まれ、罵られる。
目を合わせてもらえない。
ひざの上で甘えたことなんてない。
むかえに来るのじゃなく、人を使ってさらおうとした。
次は父も殺される。
当然のように利用される。
止めないと。
あの銀髪の男が持っていた、あの剣で
「もういちど、心臓に穴をあけたら」
◇
「アルフォート?」
「えっ?! うわっ」
セトシオに肩を揺すられ、アルフォートは跳び上がるほど驚いた。長椅子から転げ落ち、また跳ね上がって椅子によじ登る。
床面に憎悪を向けると、粘着質の思念がさらりと溶けた。
「……!」
「ハァー…」
リューズがピクリと反応したのを横目に見て、ソアンは盛大に溜め息を吐いた。
「ええ、そもそもエリーゼ様の疾患を子供たちに説明するに当たって心臓に穴が空いているという表現がよくなかったのでしょう。正しくは心室中隔欠損症といって心臓の内側の部屋と部屋の間の壁にできた欠損です。軽度であれば自然にふさがることもありますがエリーゼ様の場合、重度でありながら万が一を恐れて手術を避け肺高血圧症などの種々の合併症状も進行していました」
アルフォートはポカンとした。ソアンが何を言っているのか全くわからないが、たぶん迎えに来たのだろう。
何だかいやな夢からは覚めたけれど、しんどい現実に戻ってきたような気がして身構える。
だが、なぜか怒られない。
「師匠?」
「それでも急な事故さえ無ければ、まだまだ生きられるはずでした」
「……」
「アルフォート。貴方にも、もう少しの時間と慰撫が必要だったようです。申し訳ありません」
「……う」
ソアンも何かとやり過ごしてきたほうなので、マリーに言われるまで気付かなかった。
この子は何も考えていないのではなく、考えないフリ、感じないフリをして生きてきたのではないか。
「うああああああん」
あふれ出す気持ちがなんなのか、しかしアルフォートにもわからなかった。
「無事回避したようですね。では、この度の連れ出し事案についてですが、どなたかの」
「回避?! いや、大泣きしてるんだが?!」
「泣けばいいというものではない、と知る良い機会です」
そのとき、二人を除いてこの場にいる全員が「えー…」と思った。
◆
それからオレは、熱を出して三日も寝込んだらしい。いつもならすぐに治癒をねだっていたのに、このときから触られるのを嫌がるようになったそうだ。
きっと何人もの大人に無理矢理手を引かれて連れ出されたことが、いたいけなオレの心に傷を残してしまったに違いない。
おかげで他人の記憶を覗いたことを師匠に白状するはめになったが、覚えていないことも多いし、エリーゼのことは話していない。
師匠も『事故』の真相を究明する気はないんだと思う。
なんか全員死んだことになってるし……。
実際はオレもセトシオもそれほど怒られずに済んだし、リューズと弟子たちも、本部で洗いざらい吐かされた後は元の職場へ戻っていった。
柊協会は互助組織であり、呪医の上前をはねることで資金を得ているので、足抜けでもしない限りは個人の思想や活動にとやかく言うことはないらしい。
で、結局オレは宿舎へ戻ることになって、その前日、師匠宅で初めておやつを食べたんだが
「かたいタルト生地にプリンがのっててカラメルがパリパリで苦い? なにそれシブーストだよね?」
「シ?」
「ランコントレのシブースト。キャラメリゼがほろ苦いんじゃなくて、しっかり苦いのがくせになるよね~。このプリンもお店で食べるとカラメルソースとクリームをトッピングしてくれるんだけど、持ち帰り限定のガラスの器もかわいいしやっぱりこれは」
なんと、聞いてみるものである。
どうしてもまた食べたいと思ったのに、師匠は知人に分けてもらったとかで知らないし。
ようやく判明、しかも地元の店にあったとは。
「じゃあ、オレは所用があるのでこれで」
プリンの件は解決したので、まずはフーちゃんの本体であるお人形を探さないといかんのである。
オレは速やかにシュガーさん宅を後にした。




