小さな世界⑤
利用規約によると、宿舎の最上階の部屋はすべて宿泊用であり、協会員であればいつでも無料で使えるのだそうだ。
ただ、この部屋の窓は下半分を持ち上げて開けるタイプで、開放感がほとんどない。子供部屋の大きな窓からは、まばらな木立と灌木の向こうに涼やかな湖が眺められたものだが、ここから見えるのは下の階の屋上と、それを囲む建物だけ。
ランフォアがそう言って窮屈がるので、アルフォートは窓から身を乗り出してみた。屋上には物干し竿や簡易なベンチが置いてあって、花などはないが庭のようでもある。上を向けばすぐ近くに空があって、へそがヒュッとなる。
「コタの部屋はどこだろ? 知ってる?」
コタは子供部屋のルームメイトだったもう一人で、今は宿舎の一人部屋に移っているはずだ。しかし見渡せる建物の窓のうち、どれが彼の部屋なのかは知らないと、セトシオもランフォアも首をふる。
「ここから呼んだら聞こえるかも」
「まだ帰ってきていないのでは」
「迷惑だっつの! もういいからおとなしくしてろ!」
眺望はともかくテレビやPCもあるので、三人でなんだかんだと翌日まで過ごした。
ベッドは一つだけだが、横に使えばじゅうぶん広い。食事とおやつは食堂のお姉さんが持ってきてくれたが、本来は自分で手配しないといけないらしい。
退出時の掃除やゴミ処理なども当然しなければならず、そのためにランフォアが残ることになり、昼を過ぎた頃に別のお迎えの人がやって来た。愚痴を言いたそうなランフォアを残して部屋を出る。
お迎えの人は、食堂のお姉さんより背が高くて胸が大きい、しかし無愛想なお姉さんで、アルフォートは自分から手をつないだ。
宿舎にある転移用のドアは、研究所の他に柊協会本部へつながるものもある。
三つの施設は互いに行き来ができるが、所在地が明らかで外から出入りできるのは協会本部のみ。つまり、外に出るにはまず協会本部へ行くことになる。柊協会本部は首都州ジーンベルツにあって、アルフォートにとっては通い慣れた経路だ。
だから、外に出られさえすればいつでも逃げられる、と思っていた。
◇
ソアンは、アルフォートの姉マリーが学ぶ、カレン女子学院を訪れていた。この寄宿学校では半年に一度、保護者の面会日をもうけているからである。
学院の生徒はおよそ二百名、集まった保護者はその半数程度であろうか。夫婦そろって参加している親もあれば、ソアンのように、親族の代理で来ているらしい者もいる。
まずは全員で午前の授業を参観してまわり、次に学院の理事をまじえた懇談会がある。といっても報告を聞くだけの簡単なもので、昼食前には解散。それから寮の門限までが、被保護者との面会時間にあてられている。
昼食には学校の食堂を利用推奨とのことだが、校内では話しにくいこともあるため、ソアンは外でランチを予約していた。
話しにくいこと、というのは亡くなった(ことになっている)マリーの弟、アルフォートのことであるが、マリーとの話題といえばまずアルフォートのことくらいしか思いつかないので仕方がない。
「ふーん。おやつだとかお泊まりだとか、ずいぶん自由でのんきなのね」
「……あなたの環境は不自由ですか?」
「べつに」
マリーは機嫌がよくない。
学校のエントランスホールに出てきたときは友人たちと談笑していたが、ソアンを見るなり笑顔を凍結させた。
それでも両親を失った直後のように、表情もなく誰とも話さないなどということは無くなったので、少なくとも寄宿学校の環境は良いのであろう。おそらく面会など面倒なだけなのだ。
「でも、そうね。自分だけ違うのはいやなの」
デザートのプリンアラモードを見つめて彼女はつぶやく。ソアンはデザートをたのまなかったのだが、その事を言っているのだろうか。
「アルったら、そんなワガママ言ったことないし、いつだって全然はりあいがなかったのに。今さらって感じよね」
「……何がでしょう?」
「だから反抗期でしょ? やっぱりもう帰らない、なんて言いだすんじゃない? きっと」
「………………」
「そんなことよりわたし、聞きたいことが―――ドクター?」
ソアンは凍結した。
◇
ドアを抜け、明るい吹き抜けのロビーに出る。近代的ながら内装に木材を多く使用した、ゆったりとあたたかみのある空間だ。
あちらこちらに配置された椅子やソファでは、いつも数人のお年寄りが読書や世間話、居眠りなどして過ごしている。
彼らはみな現役を退いた呪医であり、柊協会本部は主として呪医たちのための、総合医療福祉施設なのである。
「表に車が待っている」
無愛想なお姉さんは、ロビーを通り抜けた先のメインエントランスではなく裏口へ向かった。
メインエントランスは世界中央たる円卓議場広場に面しているのだが、広場は一面の芝生で車道が無いため、道路に出られる裏口のほうが実質上の『表』なのだろう。
余談だが、広場は円卓会議の期間中を除いて一般に開放されている。円卓というだけあってきれいな円形をしており、その中心にはドーム屋根の壮麗な円卓議場、円周に沿って各州の領事館などが建つ。協会本部もその一画にまぎれているわけである。
スロープの横の短い階段を下りて歩道に出ると、少し離れたこちら側にグレーのワンボックスカーが停まっている。黒い高級車をイメージしていたアルフォートはあてが外れた。
運転席には鋭い目つきの無口そうなお兄さんがいて、お姉さんと「どうも」「ああ」と挨拶らしきことを交わしたきり、車内は無言で満たされた。
それに耐えられなくなったわけではないが、アルフォートは少し緊張した様子で外を見ていたセトシオに、にじり寄った。
「セトシオはお師匠さまに会ったことある?」
「ええ、一度だけ。でも、あまり覚えていないんです。小さい頃で、大人がこわくて」
「そっか。弟子がいっぱいいるんだよね? ひゃくにん?」
「いえそんなには、二十人くらいでしょうか」
セトシオがお姉さんを見たのでアルフォートも見る。お姉さんは視線を運転席のお兄さんへパスした。お兄さんは前を向いていて答えない。
かなり間をあけてから、「師匠はもう到着されている」と言った。
しばらく走って車は建物の地下へ入った。地下は駐車場で、奥のほうに二重の自動ドアがあり、エレベーターホールがある。
エレベーターの中で、アルフォートは運転手のお兄さんと手をつないだ。鋭い目でジロリと見られたが、振り払われたりはしなかった。
上昇が止まり扉が開くとそこは広い部屋の中で、正面が腰高のガラス張りになっていて円卓広場を見渡せる。展望広間といったところだろうか。
つまりここは、円卓広場の外周にある建物のひとつであるが、協会本部からどの方向へ来たのかは分からない。
窓のほうへと一歩踏み出し、ぞわりとする。
「結界……」
「そう。すぐに分かるとはたいしたものだ」
傍らから声がして、誰かがいることに気づいた。
右奥の窓際に立つ、フードとケープのついた黒いローブ。昔話の中の隠者か魔女のような格好だが、そんなに年寄りではない男性だ。
お兄さんとお姉さんがサッと向きを変え、「ただいま戻りました、 お師匠様!」と、声を揃えて挨拶をする。これまでになくハキハキとしている。
「ご苦労様。マルセロ、パトリシア、それにセトシオ。コーダリー公子には初めてお目にかかるね」
言いながらお師匠様はこちらへ歩いて来て、アルフォートの前で立ち止まった。
「私はランデンサガ公に仕える呪医、リューズという」
「あ、」
「なぜ……!」
アルフォートが何か返事をする前に、後ろでセトシオが声をあげた。目を見開いてこちらを見ている。――お師匠様を。
「なぜ、あなたがここにいるのですか……おじ上!」




