小さな世界④
ハイテクドアロックに直面し、途方に暮れていると、握ったドアの取っ手を通して何かが見えてきた。
取っ手の上部をスライドさせ、中のボタンを順番に押していく誰かの指。アルフォートにもすぐに覚えられる、単純な動作だ。
見た通りに操作して、取っ手を引く――と突然、後ろから肩をたたかれた。
「はい。そこまでね?」
開きかけたドアをそっと閉じながらにっこりと笑うのは宿舎の事務職員、食堂カウンターでもよく見かけるお姉さんだ。その後ろにはセトシオが気まずそうに立っている。
男子部屋通路の入り口のほうを見ると、大ホールにいた女子がこちらを見ながら何かささやき合っていた。
あの中の誰かが告げ口をしたにちがいない。
「あなた達の話は大体聞いていました。まさかとは思ったけれども、一応ね、専門用語でおよがせてたってやつね」
ちがった。
お姉さんはかがみ込んでアルフォートの手をにぎる。やんぬるかな。
「それじゃあちょこっと事務室に来てもらうけど。だいじょーぶ、怒らないから」
絶対怒られる。
「あっ!でもセトシオは……!」
「さあさあ!イタズラは未然に阻止されました!お嬢様方はどうぞ、ティータイムをお続けくださいませ!」
セトシオは関係ないと言いかけたが、お姉さんが通路にいる女子に声を掛けるのとかぶってしまった。女の子たちはホッとしたように、あるいはつまらなそうに、ホールへ戻っていく。
代わりに男子部屋から一人、誰かが顔をのぞかせたが、お姉さんに手を引かれて連行されるアルフォートとセトシオを見て引っ込んだ。
お姉さんはニコニコ笑顔のままである。
つないだ手からは、彼女の記憶が流れ込んできた。
◆
「なんと、メーカー専用の隠しコマンドですか。そんなものがあろうとは……。しかし、それをいったい、どうやって知り得たのです?」
「見当はついていますが、秘匿事項なので申し上げられません」
「君たちはそういうのが多いですよ、まったく」
ランデンサガ家の若き公子アズナールは十七歳。高等科を飛び級して、昨年から首都州立大に学んでいる。
次期当主候補として、二人いる兄のどちらにも引けをとらないと自負しているが、先だって上の兄には男子が誕生し、下の兄も今年から父の政務に随行を許された。
アズナールとしては、少しでも点数稼ぎをしたいところだろう。とランフォアは思う。
「まあ結構。君やセトシオがいれば彼も安心するでしょうし、お手柄ですね」
「まだわかりません。リリアによれば、アルフォートはケイオス師に不満があるようだとのことですが、以前にお領主様方が遣わされた呪医からはことごとく逃げたと」
「それは君のお師匠達の責任でもある。それに、あの聡明なエリーゼ様が根拠もない妄言をなさるとは、私には今も思えないのですよ」
昨年、ランデンサガ家をはじめとする幾つかの旧領主家が、コーダリー夫人エリーゼの要請を受けて、彼女の子息を柊協会から奪還すべく手の者を送り込んだ。
しかし、対象に接触を図るが逃げられ、術で確保を試みればかわされ、強攻に攫い出そうとするも姿を見失う。
手をこまねくしかないうちに、コーダリー側から内々の謝罪と訂正があり、すべてはなかったことになったらしい。
そのコーダリーの子息アルフォートとランフォアは当時、宿舎のルームメイトであったが、彼に対してこれといった印象は残っていない。そんな有能な子供なんているだろうか。
「世界の歪みを正すのが父様の理想。そのためにセトシオや彼は必要な存在です。お師匠殿の不首尾も挽回できるのだ。よく丁重に遇するように」
「かしこまりました」
◆
食堂の奥、厨房をぬけるとそこは、大人の世界だった。
淡いグレーの壁と、濃いグレーの石調タイルの床は研究所と同じだが、間接照明がより落ち着いた雰囲気をつくっている。
狭い間隔で並ぶ個室があり、洗濯機がたくさんある部屋があり、階段とエレベーターがある。
連れて来られたのは、エレベーターで一番上まで上がったところの個室で、子供部屋と違って縦に細長く狭い。入ってすぐにバス、トイレ、クローゼット。居室には一人向けの家具家電がある程度揃っている。
事務室ではない。けれど、お姉さんの記憶を見たことでアルフォートには、彼女が一年前の誘拐犯の仲間であることはわかっていた。
お姉さんはランデンサガ家の専属呪医の弟子で、協会の事務職員として師匠の仕事をサポートしているのだそうだ。
まだ弟子ではないけれど、セトシオも。
「ごめんなさい、アルフォート。本当は君が自分から選んで、僕たちに協力してくれるようになるまで待つはずだったんですが……」
「公やお師匠様は、ドクターケイオスごと引き抜くおつもりだったのよね。ま、よその御領主様の派閥もみんな断られているみたいですけど」
「なんで引っこ抜くの?」
一拍ほど間があって、お姉さんは少し真面目な顔になった。
「あなたはさっき、サイコメトリーでドアの開け方を知ったんじゃない? だとしたら、悪い人を見つけて捕まえるのに役立つかもしれない。お師匠様はそういう仲間を集めているの。
でもセト君も言ったとおり、無理にではありません。この部屋のドアは普通の鍵だし、帰りたいときはいつでも帰っていいのよ」
「帰らない」
アルフォートはしつこく昨夜の説教を思い出した。
「……じゃあ、今日は宿舎に泊まるって、ドクターケイオスに連絡しておくわね」
そう言って、お姉さんは部屋を出て行った。
「悪い人って、セトシオのおじさんみたいな?」
「うん、おじ上もそうですが、誰かおじ上をそそのかした人がいるかもしれません」
「そっか、くろまくだ」
黒幕を捕まえるのなら、別に悪いことではないだろう。さし当たり、セトシオと二人で部屋のあちこちを見て回り、テーブルにあった利用規約という文書を解読していると、以前のルームメイトであるランフォアが入ってきた。
「人の部屋に入るときはノックをしなさいって、ここに書いてあるよ」
「お前に言われる筋合いはないな」
ランフォアはお姉さんと同じお師匠様に弟子入りした、つまり弟弟子で、夕食前で忙しくなったお姉さんの代わりに、二人の面倒をみるようにと呼びつけられたそうだ。
それというのも、円卓会議が終わってお師匠様と他の弟子達が州へ帰ってしまった中、彼だけがジーンベルツに残っていたからである。
今、ジーンベルツにはランデンサガ家の三男坊が滞在していて、ランフォアはいつの間にか、その小姓のような扱いになっているのであった。ぺーぺーはつらい。
ひととおり愚痴を言って聞かせたあと、ランフォアはさっきのお姉さんと同じように表情を引き締めた。
「明日の夜、お師匠様がジーンベルツにいらっしゃる。お前らはそれまでに別のところへ移動しなくちゃならない。
だからもう一度、帰るか帰らないか、はっきり決めるんだ」
そう言われると、ちょっとグラつくアルフォートであった。




