邂逅
「うっわ、すっごい美少年だね」
シュガー様に会うなり、室長が思ったままのことを言う。
「ありがとうリルベル、あなたこそ素敵だよ。ジャックなんかには勿体ないってずっと思ってたんだ」
「私が何かね、シュガー? 一体これは何の集まりだ?」
そしてなぜか、大小の紙袋をいくつも下げたロアンヌ閣下までがいらっしゃった。
夕刻、シュガー様からの突然のお電話に、わたしの頭の中は真っ白になった。
しどろもどろになっているわたしを見かねて、上司であるリルベル秘書室長が電話を取り上げ、用件を聞いてくださったのだけれど、それによれば、シュガー様の部屋を訪れていたアルフォートが急に意識を失い、ゆすっても叩いてもぴくりとも動かないのだという。
わたしは何とか電話を替わり、ドクターに連絡するようにと辛うじて伝えた。
するとこんどはドクターからの電話で、室長も一緒にお城へ来るようにとの事である。
城門は閉じているので通用門へ行くとドクターが待っていて、庭園の中をまわり道して物置きのようなドアから入り、またぐるぐると歩いて開かずの間へと到着した。
先日やり直したばかりの結界は解かれているらしいけれど、どこをどう通って来たのか全然思い出せない。
「ロアンヌ、まさかその大荷物は手みやげか? こちらもあるぞ、ほら、ランコントレのタルトとプリン!」
「やった!ありがとう! ジャックも、服はその辺に置いて座ってて」
「手みやげに服だと? 食い物だろう普通」
「それよりリルベル、何故君がいるのかね?」
手みやげを受け取ってキッチンへ向かうシュガー様を、わたしはあわてて追いかけた。
シュガー様は手ずからお茶を淹れ、しょっぱい食べ物がいいというロアンヌ閣下のために冷凍庫から肉野菜のパイを出してくださった。
それを温め、お菓子をお皿にのせてソファーのテーブルに並べる。そういえば、と思って部屋を見回すと、奥の書架のところに置かれた長椅子にアルが寝かされていた。
「気絶しているだけですよ。あの子はかねてより潔癖症だか接触嫌悪症だかを患っていると言っていまして、それへシュガルド様が何かなさったそうで」
「まだ何もしてないってば! チューするふりだけ、それもおでこかほっぺのつもりだったのに」
「ほ……」
――何故、あんな弟にそんなことを?!
「駄目弟子のことはまた後で。順番に片付けていきましょう」
「ではまず確認させてもらうぞドクターケイオス。ここがウワサの開かずの間、そちらの少年がシュガルド・ゼッツ氏。てことでお間違えないね?」
話しながら、リルベル室長が二人掛けソファーの隣をポンポン叩いてわたしを招く。
居間のソファーはこれひとつなので、別の場所に置いてあった肘掛け椅子とスツールを移動してロアンヌ閣下とシュガー様が掛け、ドクターは立ったまま。
ロアンヌ閣下とリルベル室長は、かつて父から州代表職を引き継ぐ際にドクターとも面識があり、シュガー様に関する事も聞かされているそうだ。
「ええ筆頭殿、電話でお話しなさったそうなので敢えて紹介などは致しません。なお私は隠退の身ゆえ、ソアンとだけお呼びいただければ」
「ああそ、私ももう筆頭じゃないけどね……」
ドクターの今日の服は、黒革のパンツにズタズタのダメージデニムの重ね穿き、シルバーラメのタンクトップに真っ赤なトレンチ風ショートジャケット。
ファッションも慇懃な話し方もいつも通りだけれど、室長の表情は少し引きつっている。
「それでロアンヌ、君はシュガルド氏とも面識があるようだが、いつの間に?」
そう、それをわたしも聞きたかった。
「最初に会ったのはジャックが十歳かそこらの頃だっけ? で、ついおととい頃久々に会って、デートして服とか買ってもらった。でもヘアサロンが休みだったんだよね」
デート、とは?
室長とわたしは同時に閣下を睨んだ。
「え……いや違ぇ!そんなんじゃ……。
ゲホン
実のところ私も、彼が開かずの間の主だとは知らなかったのだ」
◆
十年の保管期限を過ぎて廃棄される文書の中からコーダリー城再生事業化計画の決議書類が見つかって以来、城にまつわる昔の記憶が芋づるを引くように思い出される。
子供の頃の私はコーダリー家の令嬢エリーゼのことが好きだった。
二つ年下の彼女はお姫様らしい気品があって誰にでも優しく、病弱のためにほとんど学校に来ることはなかったが、いつだったか運動競技会で出場はしないが一等のメダルを渡す係をしていた。私は競走が得意で何度も彼女からメダルをもらい、彼女は微笑みながら「今日はわたし、あなたの係ですね」と言った。
それからというもの私は、彼女に会いたい一心で家業の手伝いをするようになった。
我が家は代々造園業を営み、特に祖父はお城の庭全般を任される御用庭師だ。当時、城の前庭は一般にも開放されていたが、祖父の手伝いであればコーダリー家のプライベートな区域にも立ち入ることが出来る。
と、思ったのだが現実はそううまくない。
祖父に師事することはまだ許されず、広い庭園を走り回っての雑用ばかり。ときには城の使用人にまでこき使われて、あちこちの草むしりや落ち葉掃きなどもさせられたものだ。
シュガーに会ったのも同様に、北の森にある墓所の掃除を言いつけられて、しぶしぶ向かったときだった。
墓所には苔と蔦に覆われた石造りの納骨堂と祭壇、参拝のための広場があるだけで、門も柵も無い。どこから現れたか分からない彼は、当時十二歳の私より幾つか年上に見え、ヒラヒラのついた昔の貴族のような服がサマになって似合っていた。
エリーゼに兄弟はいないし、使用人でもないだろう。
昔の格好をして墓場に出るとなればそれは―――。
戦慄する私に彼は、自分と会った事を誰にも話してはならないと言って、どこかへ消えていったのだ。
◆
「違うって、君が僕に誰にも言うなって言ったんだよ」
「――そして先日、開かずの間が開いていると聞いて興味本位で覗きに来たところ、あの頃とまるで変わらない彼と再会できたという訳だ。
正直、長年忘れていた上に、ロイスから聞いたときにも全く信じてはいなかったのだが」
「僕だって信じられなかったね。人ん家のお墓にエロ本隠してた悪童が、コーダリー家に替わって州代表になるなんてさ」
「なっ、てめぇ! あれだけおごってやったのに!」
「ほら、それが地でしょ? そういうふうに喋りなよ」
「あーそうするわ!」
閣下の正体はともかく、わたしはシュガー様の口からエロ本という言葉が出たことをなかったことにした。
けれど、
「あの、ロアンヌ閣下は母を好きだったと……?」
ここへ来る前にリルベル室長もそう言っていたのを思い出し、つい口をはさんでしまった。
「いわゆる初恋の想い出ってやつさ……」
閣下は少し苦く、けれど穏やかな口調で続ける。
「エリーゼとロイスの婚約が発表された日、悪ガキは離れの庭に忍び込んで彼女の部屋の窓を叩いた。告白の返事はノーで、彼女にとって俺は守るべき民だからってのが、その理由だって言われたよ。
なんのこっちゃまったく納得なんか出来なかったが、ダメなものはダメだからなぁ。俺は潔くあきらめて、それっきり爺さんの手伝いもやめちまった」
「おい、そんないきさつ私は聞いたことなかったぞ? エリーゼはただロイス公を愛していただけじゃないのか」
「そうだとしても何かこう、複雑な年頃だったかもしれねぇだろ」
「母は、わたしにも弟にも同じだけ優しかったし、父を愛していました。でもそれ以前に……家に縛られていたのだと思います」
だから、考えたくない憶測がどうしても湧きあがってしまう。
父が母を道連れに死ぬわけはない。
でも、母ならば―――。




