月の光
彼の帰りは遅い。
どこに居るのかは察している。
だからこんな夜はお洒落をして出掛けるのだ。
駅の喧騒から少し離れた所からアキエに電話を掛ける。
トゥルルル、トゥルルルと呼び出し音が幾度となく響く。
あと三回呼び出し音が鳴っても出なかったら切ろう。
そう思って回数を数え始めたら、二回目に電話が繋がった。
『ごめんなさいね。ちょっと取り込んでたものだから』
「こっちこそごめんなさい。忙しかったんでしょう? 今、大丈夫?」
『そ、そうね……』
アキエが口籠もる。
やっぱりそうなんだ。
直感が告げた。
そしてそれを裏付けるように、電話の向こうで『誰からの電話?』との男の人の声がして『ちょっと黙ってて』とアキエが焦ったように答えるのが聞こえる。
『だ、大丈夫よ』
「いつも悪いんだけど、今夜もあんたと一緒に居たことにして欲しいのよ」
『それはいいんだけど、あんたまた?』
「ええ。今日はエリートなお医者様がデートのお相手」
『前のイケメンサーファーはどうしたの?』
「ああ、あれ? チャラいだけだったから振ってやったわよ」
『あんたねぇ……』
「お小言はいらないわ。頼んだわね」
『う、うん……』
納得できかねるらしい声を無視して電話を切った。
◆
こんな映画なんて見なきゃ良かった。
映画が終わった時、心からそう思った。
大々的に宣伝されている大作の陰でひっそりと上映されていたラブストーリー。
主人公の少女の恋人となる青年は医者の卵。
見終わったカップルが幸せそうに腕を組みながら劇場を後にする。
友達同士で見に来たのだろう女の子が楽しそうに話しながら私の座る席の横を通り過ぎる。
「ね、今の人……」
「しっ! 聞こえちゃうわよ」
そんなひそひそ話が聞こえてくる。
そう、幸せな映画の筈なのに私は涙が止まらない。
この後はどこに行こう。
ファミレス?
まんが喫茶?
こんなお洒落な格好で?
◆
月の光が照らす公園を通って駅へと歩く。
いつもより高いヒールを履き続けた足が痛い。
脱いでしまおう。
靴をぶら下げて素足で歩く。
ひんやりとした地面が少しだけ心地良い。
「ラーララー……」
鼻歌を歌いながら軽くステップを踏んでみる。
街灯が私のスポットライトだ。
早朝の誰も居ない駅。
夜を照らしていた月が沈んでいく。
◆
始発電車に揺られ、部屋に帰り着いた時、彼は起きて待っていてくれた。
「夜中にふらふら出歩くなんて、何かあったらどうするつもりなんだ?」
「あたしのことなんてどうでもいいでしょ!」
彼は今でも私を心配してくれる。
だけど私より大切なひとが居るのだ。
それを知っていながら別れを告げられない私は、別れを告げられるのを待っている。