05 海蝕洞窟
出港にトラブルもなく、船は快調に進む。大きくない平船は洞窟の高さを考慮しての選択とか。完全に潮が引いてしまえばなんの心配もないという。
他に漁師でも頼んでいるのかと思えば操船するのは稲田である。普段から漁に出ているのか危なげない。
「ほら、ほら見えますか、水の色が変わっていきます」
帽子を抑えながら船べりに乗り出すお千香。
快晴ベタ凪で青色に包まれているが、青といっても一様ではない。碧ががっていたり、無色透明にみえたりと色味がコロコロ変わっていく。
深さをものともしない透明度に海底に触れられそうと思えてくるほど。魚や貝も手に取るようだ。
「綺麗だな。これだけでも客を呼べるんじゃないか」
「そうでしょう、そうでしょう」
地元を褒められ稲田も嬉しさを隠さない。時折船を止めてまでサービスしてくれる。この男の印象が変わりそうなくらいだった。
「こら、お千香、落ちるぞ」
飛べるとわかっていても舜治は腰に手を回す。振り返った瓜実はこちらを蕩けさせるような破顔をよこした。この顔が見たくての行動だったのやもしれない。
因みに船上にて、誰一人ライフジャケットを身に着けていなかった。
岩礁を抜けると洞窟の入り口が見えてくる。そこへは切り立った裂け目から進入するようだ。
「引き潮により、問題なく中へ入れます」
「ライトはいらないんですか?」
「奥は必要ですが、しばらくはこのままで大丈夫でございます。驚かせてみせますので、お楽しみにしていてください」
稲田が企み含んだものを言う。
お千香は夜目が利くし、なんなら松明代わりの火の玉を出してもいい。船頭がそう言うなら異もない。
船がその舳先を洞窟に向けた瞬間、目のみならず心まで奪われる光景がそこに。
「ふわぁーー」
乙女な妖怪がまんまと奪われていた。
暗いはずの洞窟内に天井から射し込んでくる陽光。その光が海面にいくつものエメラルドを生み出している。碧の海面が広がっているのではなく、宝石が無数に転がっているように錯覚してしまう。それは天井の裂け目に大きいものがなく、細かいものが数にあかせて初めて織りなす天然美術。
「天候に恵まれませんと、ここまで綺麗に見えることはございません。さすがは太陽神を顕現されるお方」
「たまたまでしょう」
興奮気味の稲田に素っ気なく返すしかない。天気をどうこうする力なぞ持っているわけがないだろう。
呼べど突つけど心奪われまくりのお千香をよそに、船はゆっくりと深部へ向かっていった。
散りばめた碧がその数を減らすようになって、ようやくお千香は現へと還ってきた。
「あぁーー、消えちゃいます」
「後ろならまだ見えるだろ」
「なるほど! さすがです!」
言うやいなや脱兎のごとく船尾へと。舜治がここまでほっとかれるのも珍しい。
「無邪気な方ですな」
これほど効果有りと思っていなかった稲田がこぼす。
モノノ怪ですけどね、とは舜治の胸の内だけに。
「こちらをお持ちください」
渡してきたのはLEDライトがふたつ。たぶんひとつはお千香の分。
「お手数をお掛けしますが、前方を照らしていただけますか」
「了解」
直径10センチほどの小ぶりながら、遠見できる距離まで照射する優れもの。男の子としては先の景色よりこちらのほうが興味に勝る。
「稲田さん」
光線の先を凝らしながら。
「はい、何でございましょう?」
舜治から話しかけたのは初めてである。
「昨日、島に初めて近づいて来た時、赤っぽいモヤみたいなのが見えていたんですよ」
「それはまた」
「今にして思えば、この洞窟の方向だったかもしれないんだけど……」
「続きをお願いします」
「いや、さっきまで気にしてなかったのは、そうなんだけど。ここに入って来る時には見えなくなっていて……」
忘れていたとは言わないらしい。
「それはまさか……封印に関係しているのでしょうか?」
「ない、とは言えません。良くない感じがしたから」
「……そうですか」
もっと早く言ってもらいたいものである。
「おや? もうひとつ悪い知らせがありそうですよ」
最奥に差し掛かろうというタイミングで満足したお千香が横についた。鷹の目が何かを捉えたと訴える。
「心臓に悪いですな」
「先客がいるようですね」
「なんですって!」
照らしたところにボートが浮かぶ。浅瀬に乗り上げた格好で。
最奥の浅瀬は船を横向けられるほど広がっていた。稲田の操船が巧みに接舷させる。
「手漕ぎか……いやーな予感しかしない」
「ですねぇ」
心当たりありまくりの二人が揃って苦い顔をする。
最後に下船した稲田もボートを注視していたそんな時――
「ぷぎゃーーっ!」
闇夜を引き裂く少女の――ならぬ、圧し潰した叫びが轟いた。
■ ■
不釣り合いながらも甘々カップルがまだ売店を流していた頃、自称インスタントグラマーは片っ端から声をかけていた。
噂の洞窟まで乗せてくれる船を求めて。案の定徒労に終わるのだが。
「どうしてだよ! 僕が頼んでいるのに! それもこれもあいつらが悪い!」
未だ鈍痛響く腹を抑えながら喚く。結果痛みが増していくのだが、怒りが勝っているとみえる。足と目が懸命に探す。
そして遂に報われる。なんということか、浜のほうに貸しボートの看板が見えるではないか。
小太りは口角を吊り上げた。
浮かんで見えるブイより沖には行くなとういう警告も虚しく、目的地めがけ吉田はオールを漕ぐ。なんとこの体型によらずスポーツと体力には自信が有り、ボートの足は早かった。
鮮やかな海中には目もくれず、洞窟の入り口を発見。当然内部の煌めきにだって動じない。舳先が砂地に乗り上げるまで用意していたライトのことすら忘れていたくらい必死に漕いだ。
動画撮影のスマホを左手に、広範囲用ライトを右手に奥へ進む。否応なしに興奮していくのがわかる。
「うわっ!」
行き止まりで照らされた光景に思わず声が出る。
石の台座にうつ伏せでもたれかかっているほぼ全裸の男が浮かび上がっていたのだから。
「なんだよこれ? いや……奥の間に行き着いたところ、石段らしきところに人が倒れています。これは一体……」
取り繕うようにナレーションじみた語りを入れる。動画撮影していたことが奏し、いいドキュメンタリーになりそうだ。
それでもこんなところに人が倒れている異常事態。まずは生死を確かめたい。
「もし、大丈夫ですか? 大丈夫ですか?」
肩甲骨のあたりに触れ揺すってみる。その肌は驚くほど冷たい。どうみても手遅れだ。頭の中で警鐘が鳴る。
「どうしよう……」
一歩二歩と後退る。こんな展開は予想を遥かに超えていた。
あのムカつくカップルも来るようなことを言っていた。あいつらにおっつけてしまえばいいと思う。
そう決めたのだ、戻ろうと振り返る。
完全に背を向け一拍も置かずに肩を掴まれる感触に怖気が走る。
「ひっ」
きしんだ音が聞こえそうなくらいのコマ送りで首を動かすと――
「ぷぎゃーーっ!」
フンドシ男がそこにいた。その面貌に赤光輝く双眸を滾らせて。




