08 父と子
「そうなんですか……お千香さんには舜治くんが随分と世話になっているんですねぇ」
「はい、お父様。舜治のお世話をするのが私の生きがいなんです!」
「そうですか、そうですか。舜治くん、君は何歳になってもガールフレンドができないものだから、心配してましたけど、いいお嫁さんに出会えたようで何よりです」
和やかと言ってもいいのだろうか、東浦家の晩餐はお千香と父定治中心に盛り上がっていた。その二人はとても楽しそうに、母志摩子も穏やかに、舜治は上げられたり落とされたりと居心地悪げに。
そして陶子だけが仏頂面ですき焼きを貪っている。あの兄の彼女?嫁?が面白くないものだから。
そんな娘を父が咎める。
「陶子ちゃん、こんなに美味しいすき焼きなんだから、もっと笑顔で食べてほしいと思いますよ。せっかく久しぶりに集まっていることですし」
「……はぁい」
ここで余計な返しは母の逆鱗に触れる。兄妹はよく知るだけにそこは間違えない。
「そう言えば陶子ちゃん、帰りは明日だと聞いていましたが?」
「うん、ちょっとトラブルがあって、予定がおかしくなっちゃって……」
「トラブルですか? 学校行事でそれは捨て置けませんねぇ」
感情の読み取りづらい表情そのままながら、定治の雰囲気が張り詰めるように感じる陶子。トラブルの原因も自身にあるため、語る口は重い。
「私も含めて何人かでやらかしちゃったんだ、お寺で……」
林間学校の経緯を言い訳交えず話す。
「それで今日、お兄がきれいにお祓いしてくれた」
「そんなことが……陶子ちゃんも迂闊でしたね。それでも今回のことは身にしみる勉強になったことでしょう」
「……うん」
箸を置き、殊勝になる陶子。確かに此度は堪えた。
「学校の対応もお粗末ですねぇ」
これは一度検めてもらいましょうかね、と口に出さずに県の室長は続けた。
件の高校に激震が走るのは二日後のこと。
「しかしこのタイミングで舜治くんが帰ってきていることは、やはり天の采配なんでしょうか……」
顎をさすりながら息子を見やる。
その息子は話題が陶子に移った辺りから一心不乱にすき焼きと向き合っていた。普段買えないお高いお肉をここぞとばかりに。それは途中お千香に諌められるほど。
「さっきの厄介事ってやつかい? それも舜治でなければならないような」
ここまで口を挿まなかった志摩子のただでさえキツイ目元が鋭く光る。
「ええ……こんなことを息子に頼まざるをえないとは、父親としても県の職員としても失格ですよ、僕は」
深い溜息とともに肩を落とす夫に対し――
「喜びな、舜治! やっとお前がお父さんの役に立つ時が来たのさ!」
妻のこの言い様。夫を励ます意味合いも含んでのことだろうが、乱暴この上ない。
「……俺の意思はお構いなしかよ」
そんなものを考慮する母であろうはずもなく。テーブルの下でお千香が手を握ってきてくれたことがささやかな慰めだった。
■ ■
翌朝食後、父の運転する車に舜治とお千香の姿があった。舜治の手には一枚の写真。例の厳つい親分さんと愛らしい日本人形のツーショット。
「今時、祟る人形ねぇ……」
舜治は興味無さげに写真をひらひらさせていた。実際、興味はない。
もちろんただプリントされただけの写真からわかることはほとんどなく、実物を訪ねる道すがらである。
昨夜のうちに概要は父定治から聞いている。その時点での目測は気のせいと偶然の産物。定治も思わず頷いてしまったのはご愛嬌。
「頼みますよ舜治くん。僕個人としては心霊現象は対処不能なことですからね」
内心は霊だの超能力だのを理解と認識をしていない定治だったが、それを口にすると我が子を否定することに繋がる。ただし物部の絶大な力は知っていた。主に物理的な意味で。
舜治が大国魂を発現させた時、総本山にて当代総領と面会している。その際、力の片鱗に触れているからだった。主に物理的な意味で。
それでも一門を向こうに張って一ミリ足りと引かなかった態度に舜治は感服したものである。未だにそのことを伝えていないのところが周りから不肖と言われる所以かもしれない。
やがてコンクリートの高塀に囲まれた一角が見えてきた。
そして到着するまでこっち、お千香はだんまり。昨晩は実家にお泊りだったため、さすがに閨にて致せなかった。欲求不満によるご機嫌ナナメだったことは舜治だけが知るどうでもいい事実。
「要塞だな」
「風情のない家ですね。陽当たりが悪そうです」
「まあまあ、そう思っても口に出すものではありませんよ」
三人の見上げる豪邸?剛邸?の威容は近隣から宙に浮き上がりそうなほど浮いていた。
身の丈をゆうに超える塀をぐるりと巡らし、その上には鉄柵が逆木のように構えている。当然ながら監視カメラがいくつも見える。建屋は三階部分がかろうじて覗くが窓はなさそうだった。
定治が訪問を告げると黒光りの鉄扉が動いた。これも分厚くかなりの重量を思わせる。
それを見てお千香の前蹴りで吹き飛ぶだろうな、と口には出さない舜治であった。
当のお千香は伴侶の懸命ななだめすかしで平常値まで機嫌を回復している。
出迎えたのは相談者蛯原だったが、途端に眉の根を寄せた。東浦定治の連れがパッとしない学生くらいの若い男と、黒ずくめの怪しくも若い女なものだから訝しむのも当然と言えば当然。
「お早い連絡とご足労、感謝いたしますよ、東浦さん」
「お困りの県民がいらっしゃるのなら、骨身を惜しまないのが公僕というものです。仮令ヤクザ屋さんだとしても、税金を収めていただいているのですから」
「参りますね、さすがに」
本職相手にそんな皮肉ったウイットを曰えるのはこの男ならでは。蛯原も苦笑するしかない。
「そちらのお連れさんは一体?」
「昨日口走った心当たりですよ。頼むことに心苦しくありましたよ。僕の息子なものでして」
紹介された息子は通り一遍の挨拶を済まし、本職を目の当たりにして目を逸らす。
「そう、ですか。これはまた、意外な心当たりで……」
これまた本職に対して薄いリアクションに蛯原もこれまでになく詰まる。人を見る目に長けた筋者にして何も見極められないとは。凡庸か否かもわからない、そんな若者に映った。
そんな風に見られていた舜治の内心は――
――うわー、こっち見んな! 本物だ、ガチヤクザじゃん!
ヤクザは怖かった。お千香の後ろに隠れたいくらい。悪鬼羅刹をものともしない霊媒師も二十ぼちぼちの若造、身が竦む思いは人外より実在するヤクザのほうが勝る。
そして改めて不相応な若い男女を眺め、長い髪がかかる女と目が合う。
「そちらのお嬢さんは?……っひうっ」
一瞬にして息が詰った。有り得ない。この黒ずくめの女に飲まれてしまったのか。一角の極モノとして台頭して数年、経験したことのないプレッシャーだった。
お千香にしてみれば、愛する舜治に粗相されないように睨んだだけ。それも垂らし髪の隙間から軽く。
されど護られる舜治からの肘突きで我に返るほどには力が入っていたらしい。
「こ、これは期待できそうですか」
「それはもう」
息が細くなった蛯原に定治は軽快に応えた。
外観はコンクリートの無機質感溢れていた邸宅の内部は、反して板張りや襖、畳ばかりの日本家屋のようだった。
時折すれ違う舎弟と思しき胡乱な面々が非日常を醸し出す。
そんな中をどこ吹く風で歩を進める東浦一行。プライドにヒビが入りまくりの蛯原を先頭にして。
その蛯原はひとつの部屋を前にして足を止めた。
「オヤジ、邪魔いたします」
襖を開けると、調度品の何一つない和室に寝かされている者がいた。
「おお、蛯原! どうじゃ? いい祈祷師は見つかったか?」
「へい。今度こそ間違いありません」
上体を起こし縋るように手を伸ばす老人がそこにいた。名を塩川剛毅、容姿に劣らず厳つい名前の本格の親分だった――はずだが、今は写真のような見る影もなく弱々しく老いさらばえているように見える。
蛯原がその手を取り、励まし支えていた。
「そうか、そうか。頼むぞぉ、頼むぞぉ」
そこには親分としての風格なぞもはやなく。
「どうですか舜治くん、何かわかりますか?」
定治が細い目を向ける。
「うん、まあ……憑きものはいるっちゃ、いるけど」
舜治には親分の布団周りで這い回るやたら足の長い蜘蛛が数匹見えていた。大きさは二十センチくらいか、胴も長く実在するものではない。
それらは這い回るだけで何かする風でもなく。
「どうしました?」
いつになく煮え切らない返答にお千香が訝しむ。
「なんかね、これはどうも、人為的かもしれん」
「いつものことでは?」
この二人にとって今さら過ぎて緊迫感は微塵もない。
「君たちはいつもこうなんですか?」
バカップルの日常と非日常を知らない父定治が細目の片方を開く。
「舜治が苦労するような敵などありませんから」
どうしてお千香がドヤ顔で豊満な胸をことさらに張るのやら。
「あー父さん、除霊するから、あの人離れてもらって」
自分で言えない舜治。まだヤクザが怖いのか。
定治に促され、親分の手を離す蛯原。親分が慌てる。
「蛯原、どこへ行く!」
「どこにも行きませんから。今、祈祷の先生がお祓いしてくれるそうです」
「そ、そうか、傍にいてくれよ」
「へい。先生、お願いします」
先生と言われむず痒い舜治が二歩前に出る。
柏手をひとつ。
「神妙の加護奉る。平けくと所知めせと、祓へ却れと吾申すぅ」
室内に一迅の風が吹く。それは静謐にして清浄な風。
異形の蜘蛛が光の粒子となって消えていく。
「綺麗です」
こんな時でも舜治の妙技にうっとりするお千香は別にして、舜治はあらぬ方向を見やる。
「あっちか」




