07 二つ名
東浦定治が県庁のフィクサーもしくは裏番と呼ばれていることを当人は露も知らず。さもありなん、誰も面と向かって言わないし、言えるはずもなかったから。
「碌でもない風の噂ですねぇ。本当に僕のことですか?」
ただ部署を越えて案件をよく頼まれるなあとか、県知事からもよく頼まれ事があるなあとか思ってはいた。国会議員からもあったような。
実際のところ、定治が対処してきた難攻不落な案件は数知れず。それも鼻歌交じりでお菓子のパッケージを開けるくらいの気軽さで解決してきた。
「そんな風に呼ばれることに身に覚えないんですがねぇ……」
次年度予算だろうが、県総力の大企画だろうが、事前に裏番が目を通し「いいんじゃないですか」の一言が得られたものは滞ることなし。
どんなに行き詰まった事案だろうが、組織的な弊害や外圧問題だろうが、定治の「任せてください」の一言が出れば万事解決。
その手管は誰も想像すらできず首を傾げるが、今や県庁はこの男なくば回らないとすら言われている。それはそれで問題有りと言えよう。
「地道に職務に励んでいただけで、どうしてそんなアダ名が?」
翻って先の二つ名へと至る。結果リーサルウェポンとして平時は極力負担のない部署にて鋭気を養ってもらおうとの県庁総意と相成った。それはそれでやはり問題なのだが、誰も異を唱えない。
職員一同目下の悩みどころは当人に全く自覚がないことだという。
「私にどうしてと問われましても……ですが間違いのないよう、職員数名から裏も取っていますから」
蛯原はさらっと言ったが、怯えた職員が目に浮かぶ。
「仕方ありませんねぇ……ちょっと傷つきましたが、まあいいでしょう。それで市松人形でしたか、オカルト的な対処も試されたんでしたか?」
頼まれると断れない気配が滲む。やはりあやつの父親か。
そんな機微を逃す本職ではない。
「それこそ何度でも。ですがダメだったのです。もはやあなたに縋るしかありません!」
再びの平身低頭。
「縋るには些か細身ですよ? まあ、心当たりがないでもありませんが」
「本当ですか?」
ガバッと音でも聞こえそうに頭を上げる蛯原。芝居がかって見える。目の鋭さが失われていないのがその証左。
「今夜か明日にでもこちらへご連絡いたします」
難事解決請負屋は机上の名刺を指差すのだった。
こうして生ける伝説がそのエピソードをまたひとつ。
■ ■
帰る道すがら、志摩子はスーパーマーケットにハンドルを切った。夫に宣言した以上、ごちそうの支度が必要だ。
「ちょっと、兄貴……私、娘の立場ないんだけど?」
「……知らん。俺に言うな」
兄妹が見つめる先にはカートを押す嫁姑(仮)の姿が。それはもう仲睦まじく、あれやこれやと食材を物色中である。
全くタイプの異なる佳人が連れ添って買い物する図はかなりの人目を引いていた。そこへ飛び込む勇気は二人にあるはずもなく、やや距離を置いてついて行くしかない。
「はぁーー、もういいわ。なんか不思議な人だね、お千香さん」
「まぁ、な」
人ではないけどな、とはまだ言わない。
「お母さんがお父さん以外と和気藹々なところって、あまり見たこと無いもの」
他の男を寄せ付けないだけで、お千香の社交性は高い。しかも気に入られようと頑張る側と既に気に入っている側である両者だから、そうもなろう。
娘としては複雑な心境になるのも肯ける。
「それにしても、まだ信じられない。兄貴が霊能者だなんて。しかもお寺の和尚さんでも手に負えない悪霊をやっつけるくらい凄いなんて」
「陶子、人の多いとこであんま言うな」
「誰も聞いちゃいないって。それにお千香さんもなんでしょ?」
「……そうとも言える、かな」
言いづらい。対極の存在だけに。舜治の顔が渋くなる。
「何それ。あとね、もひとつ聞きたいんだけど……」
「何だ?」
「私のクラスメイトだけどさ……悪霊のせいでちょっとおかしくなっちゃった子たちいるじゃない。兄貴、どうにかできない、かな?」
「治してほしい、ってことか?」
頷く妹にどうしたものかと兄は逡巡する。できなくはないように思われる。安易にやっていいものかひっかかる。
「いわゆる霊障はもうないだろうさ。だから本来は心療内科とかカウンセリングの仕事だ」
「……そうなんだ」
当事者として罪悪感のようなものを纏っているようだった。
「そんな顔をするな。視てみないことには何とも言えんが、近いうちに、な」
泣いた子がもう笑う。本来快活な妹はこうでなくては――屈託ない顔を今日初めて見た兄は目を細めた。
陶子がわだかまりをひとつ溶かしたその時に――
「まったくあたしの子らは母親を手伝おうって気にならんのかね」
兄妹が小言を頂戴する。お互い見合ってしまうが、コマンダーの目は笑っていない。
「お千香さん、あたしの娘におなり。あの二人はほっとこうじゃないのさ!」
「はい! お母様!」
まさかのお千香裏切りは満面の笑みで。
■ ■
東浦家は二極化のまま夕飯の支度が進められていた。
「いたたまれん……」
「ね……お父さん、早く帰ってこないかな」
買い物から帰ってきたらきたで、実子二人は台所への立ち入りが許されなかったのだ。手伝うこと叶わず、居間で居心地悪くしていた。自宅のはずなのに。
陶子の願いは通じ、玄関チャイムが鳴らされる。
「ただいま帰りました」
東浦家長が帰宅してきた。
妻志摩子が手を止め、出迎える。何時如何なる時でもこの夫婦の有り様だった。
「お帰り。定時より早いじゃないの。あたしとしては嬉しいばかりさ」
「それが案件解決のために早く行けと追い出されまして。直帰にしておいてくれるそうですが、公僕の身としては気が引けましたよ」
苦笑いしているつもりらしいが目が細いためわかりづらい。
「厄介事かい?」
「そのようです」
定治がそう認識することは稀である。自覚ない卓越した処理能力のせいであるが故に。
当然妻はそのことを十全に知っている。しかも家に持ち込まないことも。それが――
「よっぽどのようだね」
「わかりますか? さすが志摩子さんです。帰ってきてると聞いていなければ、受けられなかったかもしれません」
志摩子の眉が動く。誰が帰ってる? それは不肖のあやつしかいない。これを鬼運というのだろうか。
「先にご飯にしようじゃないか。今夜はすき焼きだよ」
「ああ、そうだったらいいなあと思っていたんですよ。繋がってると実感しますねぇ」
やっと嬉しそうな夫の顔を見て志摩子の目元もほころんだ。
「ちょっと見ない間に凛々しくなりましたか、舜治くん。でも志摩子さんと陶子ちゃんが随分とやきもきしていましたから、たまにはこちらに顔を出してほしく思いますよ」
「……悪かったよ」
「素直でよろしい」
舜治がしおらしい。正直舜治は父定治も苦手だった。剛腕強権の母はある意味わかりやすい。しかしこの父は違う。柔和にして理詰め、それでいてとらえどころのないタイプ。接し方が未だにわからないという理由で。
「それでこちらが?」
傍に控える黒衣の麗人に目を向ける。
「初めまして、お千香と申します。舜治と夫婦となる約束をしています」
努めて優雅に礼をする。残すところ最後の一人だ。認めてもらうまで気は抜けない。
「初めまして、舜治の父、東浦定治です。そうですか、あなたが……志摩子さん、びっくりしましたねぇ。志摩子さんに匹敵する美人さんですよ」
手を広げ大げさとも言える仕草を見せる。
言われた志摩子は何言ってんだいみたいにそっぽを向くが、自身も褒められて満更でもなさそうだった。この夫婦もバカップルの要素満載なのである。
「これは親子二代に渡って絶世の美女を娶るとは、東浦の血筋もなかなかやりますねぇ」
飲んでもいないのにご機嫌で饒舌に語る父定治。そんな父はやはりわけがわからんと舜治も頭を振った。
そして欠片も否定的な言葉が認められなかったお千香もご機嫌に。
「お父様も良い方ですね! 私、嬉しいです!」
どうにでもなれと力抜け気味の舜治はお千香にいいように抱きつかれ、振り回されるのだった。どこかの骨が軋む音を立てたのは舜治が我慢をすればいいだけのこと。
「早くすき焼き食べたいんだけど」
陶子はただ一人別世界の住人よろしく、食卓に放置された色鮮やかな肉を眺めていた。
気がつけば4月……
ペース荒れてて申し訳ないです。




