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霊異譚イチャつき絵巻  作者: ヘルニアス洋
東浦家の奇妙な面々編
89/101

06 頼れる男の名は

――今日は定時で帰れそうです。


 画面の文字を確認して送信した男はふっと息を吐いた。未だに電子機器の操作は苦手とするこの男は年の頃は中高年、身なり良くメガネの奥に覗く目が細いのが特徴か。

 端末がメッセージの着信を告げる。相手からの返信はいつも速い。


――愚息が嫁(仮)を連れて帰ってきてるよ。今夜はごちそうにしようかね。


「これはこれは、帰るのがが待ち遠しいですね。すき焼きなんかいいんじゃないでしょうか。噂の彼女さんとのお目見えも楽しみですよ」


 つい口から出てしまう。


「室長、嬉しそうですね」


「ああ、就業時間中にいけませんね。なにしろ進学して以来音信不通の息子が帰省していると連絡がありまして、思わず頬が緩んでしまいました」


 ここは某県庁の環境局住民生活保全室のフロア内である。室長と呼ばれた男が嬉しそうな顔を繕わずに秘書担当の女性へ返した。


「あら、それは良かったですね。それでは残業はいけませんよ」


「はい。ありがとうございます」


 もともと残業は数えるほどしかしてこなかった。当人は気づいていなさそうではあるが、県庁あげてこの男を通常業務で煩わせないようにしているという事実がある。

 女性も屈託なく笑顔を見せる。この男の上司部下、年齢問わず変わらない口調が好ましかった故に。


 そんな和やかな空気漂うところへ一人の男性職員が飛び込んできた。


「室長! 今お手空(てす)きですか?」


「はい、そうですが、どうしました?」


 基本いつもお手空きな室長が落ち着きなさいと手を向ける。


「一階フロアまでご足労いただけますか。ちょっと厄介なお客様が……」


「僕でお役に立つのでしたら」


 室長は腰軽く部署を後にする。


「これで問題解決ですね。明日からの調整が必要かもしれません」


 見送った秘書担当はそうつぶやき、室長のスケジュール調整に取り掛かるのだった。



「お姉さん、いつまで待てばいいんでしょうかね?」


「は、はい、申し訳ございません! 間もなく、間もなく来ますので、今しばらくお待ちください」


 総合受付カウンターの女性職員はただひたすらに平伏していた。その身の心臓は全力疾走したかの如く早打ち、自慢の白い肌には隈なく汗が流れている。

 対峙しているのは高級感あるスーツ姿の男だ。髪も満遍なく撫で付けられ隙がない。華美ではないものの露骨に高価とわかる腕時計を覗かせている。


「頭をあげてほしいんですがね。人と話す時は目を見て、と教わらなかったのですか?」


「い、いえ、そんなことは」


 それでも顔をあげられない女性職員。それもやむなしと遠巻にしている職員一同が声に出さずに一致した。

 何故なら高級スーツの男の顎からこめかみに走る刀傷らしき古傷と、話し方こそ丁寧ながら鋭いでは済まないレベルの眼光に圧倒されているから。

 明らかにカタギではない。しかも穏やかな語り口がより恐怖感を煽る。

 下っ端とは比べ物にならない本筋が何用で単身県庁に赴いてきたのか。


 誰もがこの状況を打開できる職員を待っていた。


「お待たせしました。後はお任せください」


 平伏したままの女性職員の肩にそっと置かれる手。


「室長ぉ……」


 くしゃくしゃの泣き顔を上げると優しく微笑むメガネ顔が見えた。錯覚なく後光が見えた。

 周りからも安堵の溜息が聞こえてくる。


「代わってお話を伺います。本日はどういったご用でしょうか?」


 室長は真っ直ぐに筋者を見据えた。


「……私を真っ向から見返してくる人はなかなかいませんよ」


「それはもう、目をつぶって誤魔化しているだけですから」


 気負いなく自然体でそう返す。

 まだ近くにいた受付職員は卒倒しそうになる。そんな煽るようなことを平気で口にできるのか、と。それでいて、ああこの人なら大丈夫か、とも思う。

 そして当人にそんなつもりは微塵もない。


「くくっ、面白い人ですね。どうやらあなたがそうらしい」


 これまで表情を崩さなかった筋者が嬉しそう。


「おや、僕が目当てだったんですか?」


「ええ。東浦定治(さだはる)さん」


 そう呼ばれた室長の細い目が僅かに開かれた。



 ところは応接室に移る。通常は局長級以上にしか使用を認められていない部屋だが、東浦室長はお構いなし。テーブルを挟んで対峙する。


「改めまして、私は蛯原と申します」


 筋者が差し出す名刺にはなんとか金融興業、肩書は専務とあった。


「これはご丁寧に。僕は住民生活保全室の東浦です……闇金の方でしたか」


 名刺を交換しながら、直球を投げる。しかも内角高めにのけぞらせるような豪速球だ。


「ウチはまっとうなマチ金のつもりですよ……まあ、私が(キワ)モノであることは否めませんがね」


 極モノ蛯原が肩を竦める。


「しかし、東浦さん、あなたも随分と胆が太い。ウチの者にも見倣わせたいくらいですよ」


「ヤクザの見本に推薦されても嬉しくないですねぇ」


 そんなことを本職を前にしてつらっと述べる一般人では埒外の胆力である。

 お人好しながらここ一番で腹が座る不肖の息子は豪放磊落な母譲りではなく、実はこの男の遺伝子に由来するのではないだろうか。


「それではご用向きを伺いましょうか」


 蛯原は一枚の写真を見せてきた。

 そこには着物姿で胡座に座る初老の男が写る。巌のような雰囲気が覗え、どう見てもヤクザの親分。百人に聞いても百人がそう答えるほどにヤクザの親分であった。

 しかし座敷部屋のようで男の背後にガラスケースに収まっている日本人形に目が引かれてしまう。現代風なのか顔立ち柔らかく、ツインお団子の髪型も愛らしい。

 強面とのギャップでも狙ったのかと思いたくなる一枚。


「これはウチのオヤジなんですがね。一緒に写っている人形が問題でして……」


 やはり紛うことなき親分だった。そして――

 この写真を撮ってからオヤジの体調がおかしくなった。病院の検査でも異状なし。菩提寺の住職から人形の影響であると聞かされる。それは写真の人形にほかならない。

 それではと捨ててみたがなぜかしら翌日には元の位置に鎮座していた。何度捨ててもそう。件の住職にお焚き上げしてもらったにもかかわらず、やはり翌朝には捨てた時と同様に。

 命に関わる容体ではないものの、オヤジが精神的におかしくなりつつある。なんとかして助けたいのだ、と。


 一通り聞き終えた東浦室長はというと――


「えーと、捨てたと勘違いされたとか? 認知症でもそういった事例は多々聞きますし」


 これは怒鳴りつけられても仕方ない。


「流石に失礼ですよ。私が捨てたこともありますから」


 蛯原もここは抑えて。


「そのお寺さんは信用できるんですか? 実際、人形が悪さをしているのを見たわけでもないでしょう」


「先々代からのお付き合いなので、そこは信じてもいいかと」


 ヤクザ相手に奇特な住職もいるらしい。檀家減少のせいかもしれない。そもそも住職が病状と人形を関連つけた根拠も知りたいものである。


「裏街道にもいろいろな伝手はもちろんあります。結果、八方手を尽くしてお手上げです。ヤクザ者がとお笑いください」


 自嘲するしかなかった。言う伝手とは拝み屋やら呪術師やら、表には出てこれない連中も数多く。それでも好転しなかった。


「ですが、そういったお話を県庁に持ち込まれましても、流石に対処しかねますよ。なんでも屋ではないのですから」


 その通り。意地悪なく県職員は困り顔になる。


「県に相談に来たのではありません。あなたですよ、東浦さん。あなたに相談しに参ったのです。困難極まる問題を取り除くと風に聞く「県庁のフィクサー」と呼ばれるあなたに!」


 本筋が臆面なく手を突き、頭を下げた。物騒な二つ名を告げながら。


「何ですかそれは?」


 身に覚えのない二つ名を聞き露骨に顔をしかめる東浦室長。同時に先ほど妻から届いたメッセージが頭を()ぎる


――帰ってきた時を狙ったかのようなタイミングですねぇ……。


■ ■


 家路に向かう車内で男はのけぞったかと思えば大きなくしゃみをした。上体を揺らすほど大きく。

 驚かされた同乗者三名の内二名が非難の罵詈雑言を浴びせてくる。ただし残る一名は手を取り――


「階段の登り降りで汗をかきましたか? 冷えると風邪を引いてしまいます。もっとこっちへ寄ってください。私とくっついて温まってくださいね、瞬治」


 心配するより何故かしら嬉しそうな顔で――

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