07 吸血鬼なるもの
「ぶぎぇらぁあぁーー!」
刹那、無様な悲鳴がお千香の脇から聞こえ、ボニファーツィオなんとかがあさっての方向に吹き飛んでいった。
どこかの誰かのワンボックスカーが衝突音とともに揺れた。その側面にはタキシードがめり込んでいる。
お千香の左腕が横に伸びていた。ゆっくりと腕の先を向いていく眉目秀麗が何かしらと傾ぐ。その表情を愛らしくきょとんとさせながら。
どうやら姿を隠し襲いかかろうとした吸血鬼を無意識にして無造作に、そして無拍子で放たれた裏拳が捕らえたのだった。裏拳は的確に吸血鬼の顔面にヒットしていた。
なにせ妖姫の膂力である。ボニファーツィオなんとかのダメージはいかほどであろうか。
まるっきり弛緩していた舜治にはその結果だけが知るところだった。
■ ■
同じ日の昼下がり、高木に囲まれながらも木漏れ日あふれる縁側で老境にかかろうかという和装の人物。日向ぼっこよろしくお茶をすすっていた。
純和風邸にそぐわない洋装のこれまた老執事が声かける。
「猫でも抱いていれば完璧に見えましょうか」
「ん? ああ。それもいいな」
「地中海より密書が届いております」
密書といいながら開封済みの書状を手渡す執事。渡された方も咎めるでもなく興味薄げに折りたたみを開く。
「相変わらずの横文字か……して、なんと?」
「昼間出歩けるほどの強力な吸血鬼が目覚めそうなので送りつけた、とあります」
本来はもっと厳かに長々と綴られているのだが、あまりにも大雑把な意訳である。有能執事は多言語を解するらしい。
「やつばらはいつになったらあれを退治できるようになるのやら」
「好意的に捉えれば相性が悪い、といったところでしょう」
「そうは言うが……所詮、餓鬼の成れの果てぞ。その辺の密教僧でも務まる話だ」
「我ら物部一門においては駆け出し術者の実践訓練程度でしかありません」
「だいたいあそこまで弱点の多い魔物がいることのほうがびっくりよ」
太陽やら、銀やら、杭やら、十字架やら。他にも水を渡れなかったり、招かれないと家に入れなかったり。
「元を辿れば日本人が悪いようですが」
「言うな、柳。左道に傾いたどこぞの陰陽師が異国で解き放ったせいと聞いてはいるが、の」
ここでいう餓鬼とは仏教でいわれるものとは違い、雑多な瘴気が依代を得て実体化した小鬼のことである。
大昔にそれをヨーロッパでばら撒いた者がいたという。それが土地の水でも合ったのか変異して吸血鬼と化け、恐れられている――らしい。
「場所まで記してあったか?」
「はい、北海道のようでございます」
「修行中の年中組でも派遣しておけばよかろう。人選は任す」
「御意に」
日本の戦闘霊媒師にとっては一様に雑魚として扱われている吸血鬼。
執事は音もなく姿を消し、悪鬼討滅の手配へ向く。
物部の当代総領は冷めたお茶を睨み、その視線を木々へと移した。
本日は平穏なり。
■ ■
デッサン用石膏像のような造形は見る影もなかった。ボニファーツィオなんとかの面貌は左の頬から顎にかけてえぐられ破砕されているのだ。高かった鼻もこれほど曲がるものかとひしゃげている。
そんな有様を見てお千香は思うのだった――こんな魔物紛いのやつも血を流すのね、と。何しろ舜治の投槍による風穴からは流血なく煙を上げている状態なのだ。
もうひとつ違うのはお千香の裏拳によるダメージがわずかながらに再生し始めていることだろう。
「あー、痛そうだな、こりゃ」
暢気に近づいて舜治が曰う。
「まだ生きています。それ以上は近づかないでください」
「わかっているよ。しかしあれだな……」
「なんですか?」
「こいつ、俺にやられたほうが楽だったんじゃないのかね」
「んな!」
妖姫が硬直する驚愕の一言。さもありなん、物理でボロカスにされるより神霊力で滅ぼされたほうがいいように思える。それくらい自称真祖は見るに耐えない。
「こやつが脆すぎるんです! 私はちょっと手を振っただけですから!」
「いや、責めてないから……ほーぅ、やっぱり牙があるんだな。片っぽだけだけど」
かろうじて残っていた右上の長い犬歯。
急にお千香がキョロキョロしたかと思えば、ワンボックスカーのフロントガラスに寄った。おもむろにワイパーをむしり取る。車の持ち主には気の毒この上ない。
「おいおい」
「だって直に触りたくありませんから」
ワイパーブレードの風を切る音とともに舞う白っぽい欠片。舞ったのは哀れなる最後の犬歯。
ジト目の舜治にお千香はニンマリと微笑む。
「舜治が噛まれたら大変です」
「お、おう。ありがとう?」
疑問形になるのも致し方なし。
「ぐ、あぁあぁ」
牙を失った痛みからか吸血鬼は意識を戻し、手足がさまようように動く。車体にめり込んでいるためもがくのみ。その様はひっくり返した亀に似ていた。
「ささ、トドメを」
更にいい顔になるお千香。
――これ以上茶化すとマジギレするかも……。
どちらかが悪いというわけでもなかったのだろう。それでもお千香の笑顔が怖い。
神宝は出し入れ自在である。舜治は矛を手元に戻し、まさに虫の息たる血吸い虫に突き立てるのだった。
異界の主が消滅したおかげで空間が元の世界に戻り始める。新品スマホのフィルムを剥がされていくように空気の違和感が薄れていく。
「お千香……」
「はい?」
「直ぐにここから離れよう」
「どうしました? もう何もいませんよ?」
舜治が顔色を失っているのがわからない。
「これはまずい」
視線の先はワンボックスカー。元の世界に戻れば壊れた物も元通りになればいいなとの願い虚しく、惨憺たる姿。まだ年式も新しそうなので本当に気の毒である。
色をなくした妖姫も手にあるワイパーを放り出し、間髪入れず舜治の手をひったくった。
お千香にひきずられて抗える術などなし。
「さあ、行きましょう! お早く!」
街は知らん顔で雑踏を取り戻していくのだった。
「かぁーっ、うまい!」
「はぁーっ、胃にしみます」
それこそ素知らぬ顔でビールを呷る二人。
さして店に見当もないため前日と同じ居酒屋である。二晩連続に早くも馴れたのか、店員が注文前に追加を持ってくる。
「明日は札幌ですね。小樽は夜になりますか?」
「小樽直行もいいかと思い始めた今日この頃」
「ふふ、白い恋人パークは外せませんよ。なっちゃんにお土産のお菓子作るんですからね」
そう言って若鶏の半身焼きにかぶりつくお千香は口の周りをタレまみれにしていた。美人も形無しだがタレの香ばしさが勝る。
無垢な提案に異論ない舜治はとろとろのカマンベールチーズにじゃがいもを擦り付ける。ブラックペッパー追加はお好みで。
最前のゴタゴタもどこへやら、ピッチはうなぎのぼり。結局二人は学習しない。明日の午前中は予定立たずになるだろう、と。
■ ■
どこかのバカップルがクッキー焼きに勤しんでいる頃、新千歳空港に高校生くらいの少年三人が降りる。
服装はまちまちながら、揃いのリュックは年齢に似つかわしくない厳つさであった。中には人に言えないようなモノが入っているやもしれない。
「ちょっとドキドキしてきた」
「経験者の俺がいるから心配ないさ」
「餓鬼退治もできないようじゃ半人前って言われるくらいだし」
「頑張ろうぜ!」
物部の言わば研修生の少年たち。意気昂ぶらせるものの、空振りになることはまだ知らない……。
これにて灼熱の北海道編完結します。
お付き合いいただきましてありがとうございました。
読後、北海道に行きたいなあと思ってもらえたら嬉しいです。




