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霊異譚イチャつき絵巻  作者: ヘルニアス洋
灼熱の北海道編
78/101

02 ホッケの開き(大)1200円

「ぬう……どれほど行けば森を抜けるのであろうか?」


 タキシードを纏った男は宙にあってそうこぼした。月明りを通さない鬱蒼とした原生林を眼下に眺めながら。

 見渡す限り人工の光はない。もっと高度を上げると見えるのだろうか。何故かしら体感で数十メートル以上の上昇ができず、それも叶わない。


「それにしても、国の見当もつかんとはな……このような森が茂っているなど、見たことも聞いたこともないわ」


 空飛ぶタキシード男の全方位数十キロが森林であり、ちらと見た植生も記憶にはないものばかり。


「噂に聞く海とやらを越えてはいまい……いや、あのお方ならやりかねん」


 独り問答を繰り返すのはひょっとすると寂しいのではあるまいか。

 それでも右往左往することなく決めた方角に進んでみる。いずれ人里に辿るはずと思って。


 ついに陽が登りかけるまで森を抜けることはできなかった。


■ ■


 不釣り合いなカップルが夜の繁華街をぶらついていた。ホテルのチェックを済ませ、晩酌アンド北の幸を求めての行脚である。


 何しろ動物園からこっち、市街に来るまで女性の機嫌が悪いこと悪いこと。もともと人目を引いて止まない麗人が子どものように拗ねて連れ合いを振り回すものだから、その連れ合いの男は周りから揶揄されっぱなしだった。

 暑さも相まって男の顔には疲労の色が滲む。これはもう黄金輝く飲料待ったなし。


「お千香、これ以上むくれてるなら、店に連れてかんぞ。あーあ、キンキンに冷えた北海道限定とかあるのになぁ」


「……ごめんなさい」


 手のひらが返るのが早い。いや、実はもっと早い内に諌めて欲しかったお千香である。お千香はお千香で直るタイミングを逸していたらしい。

 俯きがちに腕を抱き寄せる。帽子はホテルにおいてきたからダイレクトにおでこを肩に当ててきた。


「今日は金に糸目はつけんからな。せっかくなんだ、北海道のうまいもん食うぞ」


 舜治は寄せてきた頭をポンポンと叩きながら――


「もちろん飲み放題だ」


「はい!」


 ここに来て今日イチの破顔を見せるお千香。行き先も知らないくせに足が先を行く。

 絡まりながら歩きづらくはないのだろうか、バカップルはやっぱり平常運行。



 地下へ降りる階段の道すがら、壁には本日のオススメがびっちりと張り出されていた。降りる僅かな時間でもどれにしようかと話が弾む。



「いらっしゃいませー! 二名様ご案なーい!」


 ハツラツとした店員が迎えてくれる。

 賑わう店内は六分ほどの客入りか。奇抜な造りのない居酒屋らしい居酒屋だ。チェーン店とあからさまに高そうな店を避けるチョイスは贅沢に振り切れない舜治らしい。


 席に着けば間髪入れずにビールを頼む。出てきたジョッキにはなみなみと北海道限定が満ちている。


「くぅーーっ!」


「んーーっ、おいしいです!」


「昼間、我慢した甲斐があるってもんだ」


「お客さん、いくねぇ。食べる方はどうします?」


 えんじ色の作務衣が似合う闊達な印象の女性店員だ。

 店員が注文待ちなのに乾杯もそこそこに半分もジョッキを空ける方がどうかしている。


「北海道初めてなんですよ。だったらこれ食ってけってやつを何品かお願いします」


「内地の人かい? 何でもいいの? 値段も? 太っ腹だねー。それじゃあ任せてもらおうかな」


 ジョッキを空にして料理が来る前に追加だ。お通しのイカ塩辛も自家製だろうか、嫌な雑味なくうまい。

 明日の観光プランを二人で言い合い、ペースが上がる。

 今回の一番目当ては今日行ってきた。まあ散々な結果だったのだが。酒蔵の見学や科学館のプラネタリウムを候補に、護国神社や自衛隊の資料館も検討中だ。


「だいたい今日の舜治は少し冷たいと思います。私が動物に避けられているのに知らんぷりばかり」


「お、おう」


 お千香が絡みだした。小動物はまだしも、ホッキョクグマに怯えられたのはショックだったと見える。お目当てだっただけに。


「いっつもそうです。いいようになだめられて終わり。私だって悲しく思う時があるんですから!」


 ジョッキがテーブルを叩く。カウンター席のサラリーマン風がこっちを見た。他の席からも視線が刺さる。

 女優やモデルにも見ることのないレベルの佳人が冴えない男に絡んでいるのだ。しかもその中身はもっと自分を大事にしてほしい、と。

 ひそひそされる内容も窺い知れよう。


 今宵のお千香は簡単に引かないようである。蛾眉が険しく、迫力が増す。


「聞いてますか、舜治!」


 妄愛の妖姫も知らずにストレスを感じていたらしい。


「聞いてるって。俺が悪かったって」


 それはダメな返し。


「今日はごまかされてあげませんから!」


 案の定、更に凄みが増す。舜治でなければ腰を抜かすであろうほど。

 そこへ救世主が登場する。大きな皿を携えて。


「お客さん、いいお酒飲んでる? はいこちらホッケの開きね。今日のは特別大きいよ。こっちはボタンエビの鬼殻焼きだぁ。頭ん中のミソが美味しいんだから」


 皿からはみ出すホッケの頭と尻尾。エビも香ばしく匂い立つ。


「あ、ありがとうございます」


 店員のゴリ押し感にお千香が肩をすぼめて礼を言う。ちょっと赤らめているのが可愛らしい。


「まだまだ持って来るからね」


 店員は去り際に舜治の耳に寄る。


「なだめすかしも逆効果になる時あるからね。時には有無を言わせないのも女は嬉しいもんよ」


 脇腹を軽く小突いて行った。やけにフレンドリーな店員である。やり取りも聞かれていたか。

 そう言われてみると舜治にも思い当たるフシがないこともない。

 対面のお千香が今度はジト目でいる。店員と親しげだったのが癪らしい。


「あの方と仲良さそうでした……」


「バカ言ってる。俺がお前以外に目移りしたことあったか?」


「……ありません。けど……」


「ちょっとむくれるところも可愛いいけどな、俺はお前だけってわかってんだろ」


「うー、やっぱり主様はずるいです。そう言われたら返す言葉がありません」


「ずるくない。ほら、魚美味そうだぞ。冷めないうちに食べないか」


 ホッケをひと箸摘んで差し出す。皮離れのいい身はホクホクとした感じ。脂も垂れる。


「……とても美味しいです」


 顔がほころぶのをこらえているお千香を見て、舜治はニンマリとする。

 ウニの卵とじとタコザンギが来た頃にはお千香のご機嫌も隠せなくなっていく――ちょろい。



 店員さんが足繁くジョッキを交換していく中で、隣のテーブルの会話が聴くでなく聞こえてきた。大学生だろうか、男女ふたりずつのグループだ。


「だからマジなんだって!」


「はいはい、あんたも都市伝説好きよね」


「んーわたしも余所で聞いたけど、んなわけないしょ」


「だよなー。UFOの方がまだ現実的だろ」


「俺は噛まれた女に会ったんだぞ!」


 男の一人が信じてもらえず血圧を上げているようだ。何やら噂の検証中といったところか。


「そりゃ変質者か、そういうプレイってオチなんじゃねーの?」


「だいたいここ北海道だよ。イメージ合わないって」


 他の三人は飲み会のいいネタとして楽しんでいた。


「お前ら二人、襲われたって知らねぇぞ。若くてキレイな女が狙わるんだからな!」


 男は女性陣を指差す。さり気なく持ち上げているのはどちらかを狙っているためか。


「やだ、わたし狙われちゃうのー」


「清らかな乙女の魅力で伯爵様を虜にして、あ、げ、る」



 盛り上がる酒席から微かに聞き取れた単語は――吸血鬼。

 舜治は軽快にジョッキをあおるお千香を愛でながら、そのワードが棘のように刺さったかのように感じるのだった。

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