01 動物園の変
お待たせの新編開幕します。
ダラダラまったりのお話です。
時は深夜、人里離れた原生林にそれはいた。
「何故我はこんなところにいるのだ? そもそもここはどこであろう?」
衣類を纏わず――いわゆる全裸の男がそこにいた。長身で無駄な肉は見えない。月に照らされた肌は青白く、東ヨーロッパを思わせる面差しは端正の一語。
「森の中か……」
その男の呟く通りなのだが、森の中と呼ぶには奇妙な違和感があった。
それは生物の気配が全く感じられないこと。
生い茂る樹木さえ押し黙っているかのようであり、季節柄絶えることのない虫の鳴き声もしない。リスやキツネなどの小型動物はどこへいったのか。原生林にあってそれはとても不自然なことだった。
しかし男は知っていた。己の存在を。そしてその存在が周りに及ぼす影響を。
「ふむ……我が力に衰えはないようであるな」
ほんの僅かにその裸身が揺らめく。白い靄がかかったかのように見えた。それはすぐに掻き消え、闇夜にあって漆黒に煌めくタキシード姿が現れる。
「近くに人間は……流石におらぬか。集落もずいぶん遠くにあるようだな」
首を巡らし何かを探る仕草に言いしれない色気を見る。
ニヤと口角を上げた際に犬歯が覗く。
「先ずはこの地がどこであるのか尋ねに参ろうか」
長身を宙に踊らせ、タキシードは夜の空に消えた。
やや暫くして、この世に非ざる気配の失せた森に虫の声が戻る。
■ ■
「あの……」
「……なんだよ」
「地図を見た限りではずいぶん北なんだなと思っていたんですけど」
「……そうだな」
到着口から空港ビルを一歩出た一組のカップル。
冴えない感じの男は肩を落とし気味にトランクを引きずっていた。外に出て数十秒で額には玉の汗を浮かべている。
女はつば広の帽子で表情は覗えないが、長い黒髪とレース満載の黒いワンピースを揺らしていた。
「これは流石に……」
「……言うな」
「暑いです!」
舜治とお千香の降り立った北海道は旭川空港。冷涼なはずの北の大地は気温三十五度をもって二人を出迎えた。
いつぞやお千香を丸め込むために舜治の口から出たでまかせが起こりだった。お千香がお出かけしたいニュアンスを匂わせるものだからついつい提案してしまった北海道旅行。まあ舜治も鬼退治やら猿退治やらと連戦に辟易し、お出かけに吝かではなかったために決行と至る。
ただし湿度低く快適に過ごせるものとの見通しは甘かった。特に内陸部の盆地は全国最高気温のトップランカーを誇る。ニュースで流れても地元民くらいにしか記憶に残らないらしいのが悩ましいところ。
移動するバスの車内はいい冷え具合でエアコンを効かせていたため、お千香がひっついてくるのは当たり前。
「あーお千香さんや、人目があるんで少し離れて欲しいんですけど」
「嫌です。飛行機では離ればなれでしたから」
お千香にとって残念だったのは二人の座席が並んでいたのはいいものの、間に通路があったことだった。予約の時点でどうにもならなくなっていたのだ。
その反動もあって絶賛ひっつき中。
「それに暑くないですよね?」
「それは、まあ……」
バスの空調もさることながら、お千香は意図的に体温を下げることができる。それゆえ汗もかかずくっついていられると主張するのだった。
正直ひんやりと気持ちがいい。
もちろん周囲の座席から響く舌打ちはお千香には聞こえないし気にしない。舜治は若干居心地悪く。
バスは一路動物園へ。
そこで妖姫の機嫌が急降下するとは、この時誰が予想できただろうか。
■ ■
お千香の一番目当てはホッキョクグマ。深いプールに飛び込むところが見たいという。因みに舜治はペンギンが飛ぶ様が見たい。
平日もあって混雑具合は悪くない。正門から真っ先に向かう。
嬉々とはしゃぐ令嬢に手を引っぱられていく憐れな付き人の画、と行き交う誰もが思ったのは無理もないことだった。
しかしそれもつかの間。いざ館に入るまで。
二人が足を踏み入れた時、まさに白いクマがプールの際にいた。飛び込むタイミングを計っているのだろう。お千香のテンションがいやが上にも跳ね上がる。
「舜治、舜治! もうすぐですよ!」
「落ち着け」
掴む袖を千切れんばかりに引くお千香。そして――
ホッキョクグマがふとこちらを見た。二人にはそう見えた。
「あ、こっち見ました!」
より正確にはガラス越しにお千香に視線が固定されていた。視線のみならずクマそのものが硬直しているのではないか。
次の瞬間、クマが足を滑らせたかのようにプールへ落ちた。それは飛び込んだのではなく明らかに落ちたと。
盛大な音と飛沫に観客は湧いた。水がかかるわけもないのに避けようと動いてしまう人も。
されど慌てているのはクマ。逃げるように水からあがり、プールからダッシュで離れていく。そのコミカルさに観客はさらに湧いた。
そんな喧騒の中、舜治はそっと隣に目をやった。瓜実の目が驚愕に見開かれていて背筋が冷える。
――あーこれはあれだろ。絶対的強者への……。
お千香も気づくか。
「ほらお千香、もひとつあったろ。見るとこ」
今度は付き人が令嬢の手を引く。
着いたところはアザラシ視点ののぞき穴。地表突き出る透明なドームにお千香が顔を出した瞬間、クマが頭を庇うようにうずくまる。
もう間違いない。
「……舜治、これはまさか……」
ハイテンションから急転直下、絞り出すような低い声。
「あーうん。シロクマが怯えてんな」
生物界頂点の一角を怯えさせる存在。舜治も明後日の方を見ながら言わざるを得ない。
「どういうことでしょう?」
さらにトーンが下がる。
「フシギダネー。お前から妖気漏れてんじゃないの?」
「わっちのせいではありんせん!」
周りからの視線が痛い。見目麗しい女性がおかしな口調で叫ぶものだからさもありなん。
「ウンソウオモウヨ」
「どうしてこちらを見てくりんせんのでありんすか?」
このまま怒気が膨れるのはよろしくない。周囲の人まで卒倒させてしまうに違いない。
「暑いからシロクマも調子悪いのかもしれんて。他、他のとこ行こう」
それっぽくも苦しい理屈で何とか別館へ。むくれる妖姫をなだめる舜治に灼熱の太陽が降り注ぎげんなりとさせるのだった。
然るに行く先々で全ての動物たちが怯えまくったのは言うまでもない。動物園で飼われているとはいえ、生存本能と勘は失っていなかったようである。
怯えた動物たちに加え、不運だったのは本日訪れていた観客たちであったろう。園自慢の行動展示がまるで機能しない動物たちしか見ることができなかったのだから。
「うまいなこれ」
木陰でジンギスカンのからあげを摘む舜治。濃い目のタレが肉とよく合っている一品だ。
対面のお千香はあからさまにほっぺを膨らませジト目を向けてくるが、これはこれで愛らしいから困る。目尻も下がろうというものだ。
本気で怒っているわけではないのだが、やりきれない思いをぶつける先がない。
結果、からあげボックスをひったくり全部食べてしまうことで発散する始末。
「あ、こら、俺のソフトクリームまで食っておいて……」
そう、お千香は既にソフトクリーム二個完食済みである。
「太るぞ」
どれほど暴飲暴食をしようが黒衣の下のパーフェクトボディが崩れることはない。一体どういう仕様なのやら、知っていても言いたくなる。
可愛く舌を出す仕草に益々目尻が下がる舜治であった。




