08 雪がれる過去
――うわー、凄いねこれ!
いつの間にか横に来ていた佐和子が楽しげに障壁をつつく。攻性防壁ではないため幽霊に害はない。
片やなっちゃんを抱っこしたお千香は障壁の向こうを黙って見ていることしかできなかった。苛立ちから靴底が砂を鳴らす。
これは舜治の張った絶対障壁。お千香の最大火力だろうが全力パンチだろうが破れない。と言うことは加勢に来るなと言うことだ。舜治の本意は怪しげな白い幼女とも隔てることを含んでいたのだが。
舜治が金銅の矛を出した。くうこが妖狐の本性を出した。ここまでは確認している。その後凄まじい炸裂音が轟き、舞い上がる砂埃でドーム内が何もわからなくなってしまった。心配でならない。
やがて障壁内部が見通せるようになった時、目に飛び込んできたのは舜治が狐幼女に矛を突きつけている場面だった。この時点でくうこが涙目になっていたとは露も思わず。
間もなく舜治の目線が上がり、お千香の顔を捉える。嬉しそうに笑う伴侶を見てお千香の頬も緩むというもの。
すぐに障壁が解かれた。
一息吐こうとした舜治は眩暈を覚え、矛を杖代わりに倒れまいとした。
「主様! 矛を出す無茶まで……っ!」
皆まで言う前にお千香は気づき、絶句する。舜治の頬にある乾いた血とシャツの肩口が裂けているのを。薄いグレー地が嫌な色に染まっている。
「怪我をっ!」
「ああ……かなり痛い。腕が上がらん」
「もう! お馬鹿!」
先ずは頬を舐める。
――ちょっと、何してんのよー!
事情をしらない佐和子があたふたと見つめたり逸したり。
飛縁魔はお構いなしに肩口へ移る。
「なっちゃん、無事で何よりだな」
「ええ。いつの間にか眠っています。大物になりますね」
「ああ、カワイイな。お千香が護ってくれたおかげだ」
「でも、主様が怪我を……」
お千香が翳り始めるので沈み込まない方へ誘導してみる。
「考えたら、怪我すんのって、お千香が傍にいない時ばっかだな」
しかも決まって左側。それは絶えずお千香のいる方。つまりはどれほど頼っていたのやら。
そんな舜治がお千香の長いスカートに隠れる狐耳を見咎めた。
「こら、空狐! 出てこい!」
「ひっ」
「聞きたいことが有り過ぎる」
「空狐? 天狐さんではないのですか?」
二度も否定されたのに未だ天狐だと思っていたお千香。涙目で見上げる空狐の儚げな面持ちにぐっときてしまう。
「違う。飛縁魔は怖くないの?」
「どうしてですか? 舜治はとても優しいですよ」
――時々イジワルだけどねー。
佐和子のちゃちゃをお千香は否定できず、わずかに詰まる。
それを見た舜治は盛大にツッコんだ。内心で。
「一杯いっぱい愛してくれます」
――あーはいはい。
手遅れ感のあるお千香のフォローに、佐和子が熱い熱いと手で扇ぐ。
けたたましいブレーキ音のタクシーが門に止まったのはそんな時だった。
女性が一人弾かれるように降りてくる。
「菜津子!」
血走った眼の母親風結子の到着だった。収束後で良かったのかもしれない。
しかしここで舜治は限界を迎える。矛が消え、体が傾ぐ。意識も遠くへ。怪我をしてからの全力疾走、続けてそこそこ負担の強い霊術を使ったせいによる。
お千香の支えは間に合わず空を切った。
掴んでいたスカートに引っ張られた恰好の空狐は倒れた舜治の腹にちょこんと座ってしまう。それが収まりよく可愛らしいのだが、誰も愛でる余裕がなかったらしい。
お千香の上げる金切り声になっちゃんが目を覚ます。
「うゆ?」
■ ■
娘の無事を知った風結子は気が抜けたようでへたり込んでしまった。お千香から菜津子を手渡されて感極まることに。
「ママ、苦しい」
「ああっ! ごめんね。怪我はない?」
「うん」
「良かった、ふーこ」
感涙に塗れる母娘に思いもよらないところから声がかかった。いつの間にか空狐が風結子の肩に手を置いている。
「まさか……くーこちゃん?」
風結子には心当たり有り。
「久しぶり」
こっくり頷く狐耳。
「お知り合いですか?」
瓜実を驚愕に染めるお千香。ある意味今日一番の衝撃に二の句が出ない。
しかも男をお姫様抱っこしているなかなかシュールな様相だ。舜治が気を失ったまま地べたに寝かせられないと。だから空狐は本調子。
「ママ、くーちゃん知ってるの?」
「そうよ。小さい頃よく遊んだもの。あの頃と変わらないのね」
手を伸ばし空狐の頬に触れる。
人ではないことも承知しているのかと問うお千香にも当然と応えた。お千香は開いた口が開きっぱなしになる。なっちゃんの母親もどうして大物らしい。
「ふーこに謝る」
「何を?」
「あの猿は、昔討ち漏らした。わたしのせい」
ぶつぶつと切れる話し方の空狐が説明するところによると――
まだ日本人が腰に刀を佩いていた頃、人里でふらふらしていた空狐にちょっかいをかけてきた山猿がいたという。それはしがない生身の白毛の猿。適当に傷めつけると山に逃げていく。
しかし山の瘴気でも吸い込んだのか荒魂と成れ果て、再びその姿を見せた。
それでも妖狐から天狐を超え格を上げていた空狐の敵ではない。あしらって終わりだった。終わったはずだった。
時が過ぎ、狐の精霊を受け入れてくれる少女と仲良くなった。それが風結子。その風結子がまだ幼い頃、山でとても怖い目にあったと聞いた。それとなく守護していたものの、これといった霊障もなくやがて成人し、これまたなんとなく疎遠になっていく。
ある時気づけば風結子に娘がいるではないか。風結子によく似た可愛らしい子だ。いやちょっと待て。かつて風結子の魂魄にこびりついていたサビのようなものまで引き継いでいるではないか。
案の定良からぬものに狙われる。しかもあの猿には見覚えが。
けじめをつけるために自身の手で方をつけなくてはならない、と。
ただ空狐の想定外だったのは強力無比な霊媒師と飛縁魔の存在だった。初めて見た時は動転する思いだったほど。こちらに傾いていたから結果的には万々歳。
「そんな思いをさせてしまったのね……私が山に入らなければ、そんなことにはならなかったのに。この子にまで……」
またもや眠りについた菜津子を撫でる。里でヤマヒト様と呼んでいたものは空狐が関わっていたかもしれないが、娘に類が及んでしまった責は自分にあると風結子は思う。
「いい。なっちゃんのこと好きだから」
「ありがとう、くーこちゃん……あら? この子、粗相してるわね」
今になって菜津子の衣類その下半身が湿っているのに気づく。やおらお千香にかぶりつく。さっきまで抱かせてしまっていたはずだ。
「お気になさらずに。私どももなっちゃんの虜ですから」
異性はおろか同性までも蕩かすお千香の微笑みに風結子もやられそうになる。
「ありがとうございます。改めてお礼をさせてください。時に……あなたも人に非ざるものですか?」
「はい」
より妖艶さを増す化生の笑みだった。
――あたし蚊帳の外ぉーー!
幽霊少女も元気で何より。
そして舜治が目を覚まさないまま落着と相成った。
■ ■
晴れて後日、舜治とお千香はなっちゃん宅にてお礼と称したお食事会にお呼ばれしていた。手土産にケーキといなり寿司を添えて。お稲荷さんはお千香謹製である。
「あら、早かったね」
出迎えてくれたのは玉樹だった。そういえば今回無関係と言えなくもなかったか。
「ああ、じっと家で待ってらんなくてな」
「ふふ、凄いよ〜」
意味深に笑う玉樹にリビングまで通され、二人は絶句する。
テーブル上の大皿にうず高く積まれた玉子焼きが聳えているのだ。
「これは……たしかに凄いですね」
もちろん他にもご馳走目白押しなのだが、そのインパクトが全てを攫う。
「おねーちゃん! きたーー!」
すっかり元気になったひまわりの化身が飛び込んでくる。お千香が優しく受け止めた。
「あれ?」
舜治には途方もない違和感。今までは脇目も振らずに舜治へ突進してきたのだから。受け止める姿勢で固まる間抜けな様を晒す。
「あらあら」
やはりあの時、間一髪で手を差し伸べたお千香の功績か。舜治も相応の働きをしたのだが、菜津子は見ていない。子どもは残酷である。
その様子に手を叩いて喜ぶ者がいた。
「やっぱいるのな」
「ふん」
嘲笑っていたのは空狐。
「ここの子になった」
「は?」
「なっちゃんを護る。だからここの子になった」
「そうかい」
それでいいかと思う。なっちゃんはなっちゃんで何某か引きつけやすいように思われる。この狐が守護霊となってくれるならそんないいことはない。
「ほら、土産だ。お稲荷さん」
手にあるいなり寿司を出す――とその手を叩かれた。
「油揚げ嫌い」
「何だとぉ!」
これまでの常識がガラガラと崩れていく。狐と言えば油揚げではないのか。それが嫌いだとは一体どういうことだ、と。個人差があるだろうに勝手な決めつけも甚だしい。それでも日本人なら誰でも思う。
見れば玉子焼きタワーのてっぺんからお行儀悪くつかみ取り、ほっぺを膨らまして貪っている狐っ娘がいた。
「くーこちゃんは昔から玉子焼きが好きなのよねぇ」
前掛けを外しながら風結子がキッチンから顔を出す。
「今日はようこそいらっしゃいました。たくさん食べてくださいね」
元来日本の狐精霊は天狐までしかおらず、中国の空狐は玉子が好物だという。
そんなことまで知らない舜治は天を仰いだ。
本編最終話となります。
おつきあいいただきましてありがとうございました。
次は緩いのいきますか。




