04 届く魔爪
――ミツケタ。ウフフ、ミツケタヨ。
吹く風にそんな音が混じる。
■ ■
――よう来てくれたの。
「いえ……少しご無沙汰しまして」
小走りで森林公園までやってきた舜治は上がり気味の息を整える。
――よいわ、呼んだのは吾じゃて。それにしても一人とは珍しいの。千香はどうした?
「ちょっと気になることがあるもんで、そちらに回したんですよ」
――ふむ……ひょっとすると、関わりあるやもしれんのう。
「かもしれません。それで、ヒイラギさんの話とは?」
向けてくる年若い端正な少女顔は当惑を物語っていた。
――あやつが、いや、あやつと呼んで良いものか……モノノケらしき気配がこの町におる。この公園を通り抜けたかったようじゃが、吾がおる以上、それは叶わんわ。
その後、遠回りして消息を絶ったらしい。公園を離れてしまえばヒイラギの管轄外であるため、それ以上はわからない。ただその気配がイヤなものだった。人に仇なすと思われるほどに。
だから莫大な神霊力を宿す舜治に伝える。被害の出る前に収めてほしい、と。そなたならできるはずだ、と。
奈良朝に生きていた幽霊が恐れるほどのイヤな気配をもつモノノケがいるとは。
「それはいつのことですか?」
――そうよな……今日の朝と昼の間かの。
舜治の頭の中でパズルのピースがはまらない。昨日ではないのか。
舜治の眉間のシワが深まる。早めにお千香と合流したほうがいいだろう。
舜治がまた来る旨を告げかけたその時――
舜治とヒイラギの首が千切れんほどの勢いでひとつの方角へ向く。
――ミツケタ……。
そう聞こえた。
「聞こえました?」
――うむ……これはかなりまずくないかの?
その方角からは醜悪な邪気も感じる。
――急ぐのじゃ、大神!
「わかってる!」
舜治は速くない足を懸命に動かした。
その向く先はお千香のいる方とは異なる。
■ ■
舜治を送り出したお千香は玄関前でしばし佇んでいた。
あの日以来、片時も離れたことはない。押し寄せるのは言い知れない不安。やはり独りで行かせるべきではなかった。いや、ここは指示に従わなくてはならない。なっちゃんのためにも。
――いつまでぼーっとしてるの? 飛縁魔。
「うるさいです。今、行こうとしていたところですから」
伝令役に残った佐和子に言われなければ動けなかった。大きく頭を振って気持ちを入れ替える。このままでは舜治に顔向けできないではないか。
なっちゃんの家はわかっている。何度か送って行った。母親とも面識はある。いきなり押しかけても大丈夫なはずだ。
そして駆け出そうとして留まる。
住宅街を全力で走るのはまずい。直線も少ない上、衝撃波で被害が出るからやめろと言われていたのを思い出す。未だに衝撃波がなんなのかはわかっていないが。
ということで屋根に飛び乗る。
これも人目を憚って止められていたが、今だけは舜治も許してくれるだろう。屋根伝いに直線距離を移動する。飛翔しない分別は残っていた。そしてスカートは翻らない。
慌てた佐和子が追随する。
――もう、急にやる気出さないでよね!
お千香がなっちゃん宅の屋根に降り立った時、玄関前には二人の女性が立ち話をしていた。井戸端会議のような賑々しさはない。
よく見やれば二人ともお千香のよく知る人物だった。
「何かあったのですか?」
「うわあっ! って、藤堂さん?」
「はい」
音もなく現れたお千香に玉樹はこれ以上ない驚嘆。涼しく返事をするお千香を恨めしく思う。
「あなたは……何度か菜津子と遊んでくれていた……」
なっちゃんの母親――風結子は驚いていられる精神状態ではない。むしろ冷静になるきっかけになったかもしれない。
「はい。東浦お千香と申します。ひまわりの化身は今どちらに? 家にいますか?」
「いえ、まだ保育園にいる時間ですから。私は早上がりだったので、これから迎えに行こうとしていたんですけど……」
風結子はひまわりの化身についてスルーしたようだ。玉樹は東浦と名乗った事を問い詰めたいと思う。
「何かありましたね? それと関係ありますか?」
お千香は風結子の手にある枝を指す。お千香にはわかる。それが微かに瘴気を放っていることが。
「……まだ何かあったというわけでは」
「その……サンザシだっけ? それがどうしたの?」
玉樹は一般人。霊感の「れ」の字もない。むしろ霊的に絡まれやすいのは妹の方。
「何故そんなものが? それは障りのあるものですよ」
「わかるんですか!」
風結子にとって聞き捨てならないことをお千香は続ける。
「舜治の懸念が当たりそうですね。保育園とやらはどこですか? なっちゃんが狙わていると思われます」
「どういうこと? 菜津子ちゃんが狙わるって、何?」
「事情は追々。急ぎます」
玉樹の疑問に応える時間も惜しい。口調や態度に反しお千香は焦っている。
そして風結子は駆け出した。物言わず血相を変えて。
佐和子はそのやり取りを空から見ているのだった。
■ ■
――ウフフ、オマエ、タダノニンゲンジャナイナ。
目が合った。
それは電柱の上にいた白い猿。地上から見上げてそのてっぺんにあっても大きく見える。ならば間近に見ると如何ほどの大きさか。実寸は二メートルはある巨体。
「何だこいつは……例のモノノケか?」
感じた醜悪な邪気を辿った先に舜治と目が合ったものがそれだ。巨大な猿。しかも人語を解す。少年のような高めの声だ。明らかに魔障妖怪の類い。
二人ほど通りがかったがそれは見えていないようだった。
こっちが当たりを引くとは。
――ウフフ。オマエミエテルナ? ソウカソウカ。
歯を剥き出した猿は嬉しそうに笑った。
舜治の背中にゾクリとしたものが走る。あれは真っ当なものじゃない。この世にあっていいものじゃない。
「迷うな! イーーッエァーーッ!」
雄詰を放つ。祓いの霊波が襲う。
ところが猿はそれを躱した。
「なにっ!?」
これは予想外。これまで弾いたり耐えたりしたものはあったが、躱されたのは初めて。術の中ではトップクラスの初速を誇るのに。
白猿は地上に降りていた。警戒しているのか、近づいてはこない。
――オマエ、キケンナヤツ。
そうは言うが嬉しそうだ。顎に手をやる仕草は人間くさいが、醜悪に笑う様に身の毛がよだつ。
舜治はそっと二種の珠を顕現させる。続けて眼前に掲げようとした動きが明暗を分けた。
「ぐあっ!」
舜治の左の頬と肩口から血飛沫が散る。
――ホウ……ヨケタゾ。
背後より聞こえる猿の声が一段低くなっていた。猿が跳び込み爪を振るってきたらしい。その爪には衣類の切れ端が見える。舜治にはその結果しかわからなかった。
もちろん避けたわけでもない。たまたま掲げた珠の霊圧で猿の爪撃を逸らせたに過ぎなかったのだ。狙われていたのは顔面のまたど真ん中。今、息をしているのは単なる僥倖である。
埒外のスピード。体術に難のある舜治には対処に窮する敵だ。お千香がいないとこうも頼りないとは。
「舐めるなよ」
それでも手はある。
「神通の加護奉る」
珠が輝きを放つ。昼にしても目が眩むほどの光量。
――ムム、イカン!
猿が怯み――
「天地の清浄これに」
その動きを完全に止めた。
そして巫覡は止まらない。
「一切成就、祓いし穿つものなり!」
珠は消え、代わりに手にあるは一条の矢。
弓はなく、その矢をただ投げつける。
――グギィヤァーー!
狙ったものか、矢はちょうど舜治が傷を負ったと同じ左の肩口に刺さった。聞くに耐えない猿の絶叫が轟く。
つぶさに背を向ける猿。舜治には追いきれない速さをもって、逃げた。
「くそ、いてぇ。お千香に泣かれるな、こりゃ」
傷口を擦って赤く染まった手のひらに顔をしかめ、猿の逃げた方へ駆け出した。




